ロゴ☆徒然なるままに☆Cyou

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800)今回きり番のお題は《愛》です。では、愛って。。。いつくしむこと、かわいがること、恋すること、何かを好きになること、大切なこと、ひきつけられたものに夢中になる快い感じ、他に対して自己を主張せず、おしみなく自己を与えるという生の根本態度をもととしていう言葉、人格としての自己が他を人格としていとおしむこと、仏教で種々の欲望をおこすこと、、、と辞書には書いてあります。まさか、愛を辞書で引くとは思っていませんでした。辞書は文字。愛はハートと私は開き直りました。愛は与えられて初めてわかる部分でもあって、それによってその心地よさをまた与えていく。この世で初めて感じるというか触れる愛は母のぬくもり、父のぬくもりでしょう。なので私的には愛の基本は両親・家族なんです。両親からの愛の形は様々で、ほめられ、かわいがられ、怒られ、笑い、泣き、、、感情から道徳から学問まですべては両親からの伝達が土台なのです。その応用としてのバリエーションが人を愛するということに繋がり、愛することがすなわち愛を受けることにもなると学習してきたわけです。今、現代人は愛されることはできても愛せない、という一歩通行状態か、愛放出症候群の愛を与えることだけに専念してしまっていませんか?自分にも返ってこないと、実の愛はきっとわからないと思います。愛なんて、深く考えるものではないのです。人のため、何かのため、というエゴを取り払えば必ず循環するものなのですが。。。一生懸命になって、自己を見失っているとき、愛を与えているつもりが、自信を押し付けているようにもなってしまうもの。愛の基本は家族。一人では役に立たないのです。輪です。愛が人から人へ相互通行になれば、心の扉は大きく開くと私は思っています。そのためにはまず、己を愛し、己から愛を受けよ。ではないですかね?自分を否定している人や、自分を認めていない人が人を愛しても。。。と思います。愛が循環すると、自信がついて強くなり、優しさもでるものではないでしょうか?感情の中の愛は喜怒哀楽すべてです。表情の硬い人、乏しい人も、少し自分をみつめて見ませんか?私にとっての愛は生きることのベースでもあります。植物や動物に愛を注げば、いい気分にしてくれます。これも愛、あれも愛、みーんな、愛です。愛=恋愛とか男女のなかなんて言う人、、、欠乏症です。

799)私が来年から登る山を見つけて、それについてずーっと心に問いただしてきました。その山は一生をかけて登ることとなるのです。気が付けば、、この為に私は10年も前から準備をしていたことになって、どれもその時の自分の感性できているので、長い道のりではあったけれど、今年の年頭からラストスパートがかかったかのように、いくつもの土台が私に与えられていた。好きだから、興味があるからと思っていたことが、ここで、一つにまとまったわけです。ほんとに私の人生、面白い。たくさん傷つき、苦しみ流した涙は底知れず、、、でも今はもうそれらも光でしかないです。大きな山だな。。それに関してはまた主人に大きな理解と協力を得なければならなくて。。。家のだんな様は一言『君が成長するなら何でもやってみなさい、がんばって登れよ!』うれしいなー。宇宙一素敵なだんな様です。ありがとうと、心から感謝です。

家のだんな様は、、、、ギリシャとチベットと南米とタイとインドとマヤとオーストラリアがミックスしたような、、、インディアンに近い宇宙人です。一緒にいる私も変わり者の宇宙人でしょうね。

 

 

798)失敗だらけの人生なんてないんです。失敗しないと成功もないのです。いいことがない人生なんてないんです。プラスマイナスゼロでも、一でもいいじゃないですか。一つあればそれが土台となるのです。隣の芝生は良く見えるもんです。毎日一つでもいいこと見つけれれば、発見があれば私は楽しいですね。そのためにもじーっとしていないで、本ばかりに頼らないで、自分で本を書いてみましょうよ。参考文献なしの、本物を。毎日少しずつ。それも楽しみでしょう?

 

 

797)良いもの悪いもの。この判別はかなり差が出てくることだと思っています。100%良いものと思って人に勧めても、受け手によっては悪いものと捕らえられる場合もあるし、たとえ同じく100%良いものとして受けても、同じように100%の価値を見出せない場合もあるわけです。聞いたときと手にしたときの差と、受けての準備のような気持ちのあり方とでもいいましょうか。良いもの悪いものほど、あいまいなものはなく、安易にそれを前面に出して決め付けることは逆にこだわりのようにも思えるのです。100%のものとして良いものと伝えるには、それは、伝える人を見抜きながら伝えるしかないのでしょうね。誰でも彼でも同じものを同じように受け取れることはできても、それが生きてこないのでは少し、遠回りするのもいたしかたないでしょう。良いものをいい状態で保持するにはそれなりのことが必要だと私は思います。

 

 

796)失って初めて気づくこともある。そして新たなるスタート。ある意味で、変革の時期は自分で作り出すもの。はじめの一歩がもたつくと、ずーっともたつくこととなるのです。出たり入ったりしてる人、結構いますよね。道はくねくねよりもまっすぐがいいですよ。砂利道よりは舗装道路。人生の道路整備は公団がやってくれるわけではなくて、自分でせっせとコンクリートを流して固めていくんです。乾くまでの間は浄化ですっきり、瞑想で至福のときを。

 

 

795)自分の目ほど確かなものはない、自分が強ければ(自分に自信があれば)邪気さえも跳ね除けて、マイナスをプラスにまでしてしまうのです。怖いものなし。友人がいつか言っていたことを思い出しました。『私はエネルギーが強いからマイナスの中でも跳ね除けて、マイナスが口に入ったとしたら、プラスはすぐ近くに必ずあるのだから、それを食べればいいことよ』まったくその通り!

邪気やマイナスエネルギーを跳ね除けるには、自分の体にエネルギーを蓄えていないと役に立たないのです。誰にもある体の気。自分の体は発電所です。つねにたくさんの気で充満させて、えい!と追い払いましょう。それには日ごろからの鍛錬が必須です。心と体両方鍛えて、いつもさわやかでいたいですね。気功、ヨガ、ストレッチ、座禅、瞑想。。。マイナス因子が多い世の中だからこそ、。。。気はお金と同じです。入ってもすぐに出してしまえば、それで終わり。いかにためるか。です。それが波動へのつながりとなり、高低さもでてくるのです。

 

 

794)家族というものを思い出したとき、一番先に思い出すのは食事の時間。父が食卓に着くまでは一口も食べられない、子供にとって辛い時間でもあった、、ある時、妹はおなかがすきすぎて、怒って食卓をひっくり返したことがありました。母は凄い剣幕で怒ったものの、父は一言。食べたくないんだな!結局この夜は誰も夕飯を口に出来なかったのです。それ以来、妹はしなくなりましたが、、その食事の後の1時間以上にも及ぶ家族の一日の反省会。いつもダイニングには大きな○×表がありました。今の時代、こんな家庭は無いに等しいのでしょうね。それでも今、私にとってこの経験は素晴らしいもので、そんな子育て熱心な両親に感謝の念であふれます。なぜなら、家族が一番だから。けんかしても、何しても、家族がいい。。。。今そのように思います。

 

 

793)今年の流行語大賞に見る今の社会。《超。。。》この単語が使い出された頃から、子供と大人の立場がおかしくなったような、、、今年の流行語はいまふたつ、個性がなくて、物足りなく、これもボキャブラリー不足のひとつなのでしょうか?

外国語も大事ですが、日本語、まともな日本語、もっと使いましょう。日本語ほど綺麗で優しい響きの言葉はないのだから。。。。大人でさえ、日本語をうまく話せない。挙句の果てが、作り文字。省略言葉。意味がない文字。その反映が今の社会ではないでしょうか?ちゃんとわかっていて崩すのと、わからないまま崩すので、、大きな違いとなるのです。小さな子供でもきちんとお話の出来る子供さんは、聞いていても、見ていても気持ちのいいものです。それが言葉の響き、言霊です。響き、波動はじかに自身に帰ってくるのですがね。。。どんなに身なりをきれいにしても、高価なものをつけても、それらが安物に見えるのは自身から出ている波動なんです。お化粧で変われると思っていても、中身が大事なんです。

 

 

792)牛肉に番号が付いて売られるらしいが、なんとも中途半端な感じで。。番号だけ打ってあれば安心感も大きいのか、消費者は購買意欲がわいているようです。この番号を調べるのはパソコンで調べなくてはならない。。。ここまで表示するなら、産地表示のほうが親切というもの。番号だけの信頼性、私は番号よりも自分の舌でしょうか。

 

 

791) 心の隙間。誰にでもあるものなのですが、とかくいろいろな問題を抱えて頭を痛めているときに、同じような経験談などを持つ人の話しに惹かれるのも人間の心理。類は友を呼ぶ現象。そこでみんなで立ち上がれればいいけれど、その輪の度つぼにはまる人は結構多いのです。それは第三者でないとなかなか見分けれないでしょう。ほっとしたのなら、自分を取り戻して、冷静にその事象を見ると自分のしていることがわかります。どうせ惹かれるのなら、いいほうに進みたいと、私は思います。

 

 

790)日本でも昔の日本がブームになっている中、ロンドンでも日本旋風は吹いているそうな、、他国から見る日本のイメージを洋服やデザインから見ると、侍のイメージを抜け出てと思ったら、どことなく中国かな?って感じです。文字ではお相撲や太郎の代表的な文字。そう、我が家のご主人様も代表的な太郎。でも、近所では犬によく付いていますが、、、飼い主さんが犬を呼ぶとき、ちょっと困ります。

 

 

789)私たちが生活している中で受けるいろいろな波動と光。ご説ごもっともといわんばかりの低波動も、たくさん紛れ込んでいます。本物と偽者の見分け方。それは感性でしかわかりません。知性があるばかりに、それが逆に作用し、惹かれている人が多いことは、わかる人にはわかること。怨念、悲しみは特に大きな強烈な低派動です。この低派動に惹かれると、いろいろな障害が出てくるということは、明らかです。低波動を発しながらポジティブになれない、、、と思いませんか?

 

 

788) 忘れることと、許すこと。これができればこだわることも無くなるのでは?今日がすべてと思えれば傍観者にならずに済みます。あーなりたい、こーなりたい、、、、まずは今を完全燃焼することから。すると、なりたいようになっています。朝起きて、やることがあることの幸せを感じたことはありますか?そうじでも、買い物でも、何でも。それは小さなことで、当たり前のことだけれど、幸せではないでしょうか?

 

 

787)会話の中で、でも、だって、、、をなくそう!反論する前に自分の中で受け止めて、すると、そのような言葉は出てこなくなって、発する波動も変わってきます。話を受け止めなくては理解はできないものです。間違って理解して失敗しても恐れることはないのです。失敗するほうがありがたいのです。完璧な人は修正法を知らないのですから。

和裁をしていて、綺麗に縫えても当たり前。経験があればそれは誰でもできることです。教えてもらっている段階や、応用しながら工夫をしていく段階で、解いて直すという作業がつきものです。和裁ではこれがスムーズにできて一人前です。一度聞いたことで質問は私はできないんです。自分でやってみて、初めて疑問がわくからです。理解するということはその場ではかなり大変な作業ということです。何でも本質を知りたくば、チャレンジのみです。

 

 

786)何とかの神のために、、なんて目を血走っているけれど、神は自分の心にいます。私たちは一人一人が仏になれるのです。神様と天を見上げて祈っていることは、心へ言い聞かせていることだと私は思います。一人一人が神なのだから、仏なのだから、本来は争うことがこっけいなことだと、誰も気づかないのでしょうか??ここは地球。宇宙の中の一つの星です。曼荼羅を見てください。ヒントがあります。仏になれるよう生まれてきたのだから、仏になるでしょう?身近にも仏様はいますよね?

ものではないから、気にしない。気にしなければものではない。。。。松田家流、ものの考え方。

 

 

785)最近の若い人の頭という頭を端から割って水でじゃぶじゃぶ洗い流したい。。。そんな私です。石の上にも3年という言葉を知っていますか?3日坊主よりも忍耐のいることです。仕事が無いから探さない、働かない、無から有を生むということを知りませんか?頭を使えるのはこの世にいる間ですよ。せっかく生を受けてきたのに、もったいないったらありゃーしない。生きたくとも生きれない人もいるんです。弱い。弱すぎる。弱いということは優しいことではないのですよ。たまに優しい人なのねなんて、言っちゃうけれど、それは社交辞令です。弱いは弱いんです。だから強くなればいい、ただそれだけです。強いということは荒いということではありません、気が強いということでもありません。優しいことです。多くの人と接し、是非、愛を感じてください。わかりますか?若いうちの苦労は買ってでもしろ、って知っていますか?犯罪を犯すことが罪と知っていますか?それは一生背負ってくものと知っていますか?人は一人では何もできないのです。親兄弟を思う気持ちはありますか?。。。。。Never Give up!!!!!!!罪は心からの一言で消えます。《ありがとう》それだけこの言葉の魔力はすごいのです。見破られます。だから正直に向き合いませんか?救いの手が伸ばされたなら、心から悔い、しっかりつかむことです。仏の顔も三度まで。

心優美、結局冬のような心では人とも係われないのです。人と係われないから愛もわからない、優しさもわからない、、親とお友達では成り立たないでしょう。親は友達ではありません。よって、頭も働かないのです。心はハートは私のイメージではサーモンピンクのほんのり甘く暖かいものです。冬ではありません。春です。もっと視野を広げましょう。地球は広いし、宇宙は無限です。

 

 

784)死ということを恐れることは自我ではないかな?と思います。生きるも死ぬも自分ではないとある意味思えるとき、すべてを明け渡して宇宙という中に泳いだとき、、、

死への恐怖は若い頃から不思議と無かったけれど、どうしてそう思うのか、、最近、その意味が鮮明になってきました。生きているうちには何人も送り、そのたびに悲しくなるけれど、それは目の前にいなくなったという現実。それだけです。目の前にいなくなるだけでそれだけ悲しくなるのなら、いやというほど、そばにいればいいなー、なんて思っている私です。そもそも、その悲しみは後悔の念が多いもの。

たまたま叔母と話をしていて、いとこが先祖代々の墓にペットの遺骨を入れたとお冠。確かに。私も犬を飼っているけれど、そこまでは考えられないのです。そもそも何で姿形が違うのか、、ここから察する無言の教え。骨となればみな同じといえばそうだけれど、宇宙の中ではみな同じといえばそうだけれど、動物の念は一年で断ち切る。これが私です。どこか矛盾がありそうな内容だけれど、やはり無言の教えなのでしょうか。

 

 

783)私は人間を語るときに最近は身近なパソコンをよく比喩に使います。人間はパソコンの本体で、付録としてソフトが付いてきています。生活の過程で新たなソフトがどんどん積み上げられてきているけれど、それらを整理し、使いこなせるだけの人が少ないということです。私もそうです。何年も持ち越してもどんどんソフトは開かずの扉、、、今年もラスト1ヶ月です。せめて、年内に整理し、使えるソフト、保留のソフト、不要なソフトの分別はつけ、体の大掃除と行きたいものです。

 

 

782)変化をするとき、浄化をするとき、それに伴う痛み苦しみは仕方ないでしょう。浄化=けがれを清めること、不正の種をなくすこと。変化=変わること、とそれぞれ辞書にあります。日々浄化できればその負荷も少なくてすむけれど、たまっていればそれだけ大きな事象が伴うということです。そうなると、地球上で起こっていることも理解できる範囲ではないでしょうか?地球破壊とか、黙示録とか、、、目先を変えればはっきりとわかることです。新しく生まれ変わった地球を見るために、日々の一人一人の浄化は必須だと私は思います。それに伴う浄化の段階のすべての事象を受け入れつつ。。。意識は次世代へ。

 

 

781)今は忍耐する時代ではないと多くの人は言いますが、その結果がNEETなる人を作ったともいえると私は思います。何でも限度というものがあって、どこまでという線引きはできないけれど、忍耐なくして成功もないのです。私的に思えば、NEETなる予備軍はわんさかいて、それも甘えの構造。何事でも甘いのが好きだから甘くなる。温故知新。今皆で見直すときではないでしょうか。行く末を案じて悲観的になっている人はネガティブ。もうそこで放棄しています。一人一人ゼロから築いていく必要性。少数の人がそのような活動をしている今でも、甘えの構造の壁は厚く、子供だけにとどまっていないのだから、、、目をさませー!子供は親の背中を見て育つ。その親が甘ければ甘くなってしまうのも仕方ないのではないですか?社会現象のこの事態を意識で変えていければ、、、必ず、変わります。それが地球。

 

 

780)すべての原因は自分にあります。その答えを出すのも自分です。他力本願では決して乗り越えることはできないと私は考えます。人を見るよりまず己から。自分を見れない人に人はわかりません。だからこそまず自分です。

自分探しの旅は生きている間ずーっとです。私自身旅を始めてかれこれ10年になります。貴重な10年でした。そしてこれからもその旅は続きます。いつからはじめても競争ではないのです。早ければいいものでもないし、必ず、そのきっかけとなる事象が目の前に来ます。そのときを見過ごさないように。。。

自分の家族を愛せない人に愛は与えられないし、愛を語れないと私は思っています。経験者は語る、、、実践してからその効力は発揮できるものではないですか?万人に伝わらなくとも、一人に伝わればそれは絶大なる効力となるものなのです。主人の口癖、、100人に愛を与える前に、1人を愛せよ!一日でわかるときもある、何年かかかるときもある。それはそれで長さは問題ではないのです。まず、愛することを意識することから始まります。そこから自然に無意識に変わるとき、きっと変化が訪れます。考えても、理解すことでもなく、、、ヒントは身近なところにたくさん、転がっているものです。遠くばかりみてないで、たまに足元見るのも大きな発見になります。

 

779)人の持つ感情の中でも、妬み、恨みほど人格を下げるものはないという私の持論。そのような感情のわくときは、必ず、自分を正当化していて自分が一番と思っている現われだと思うからです。このサイトでも採算述べていますが、一番はないのです。その最大級のエゴを超越できないでいる人の発する波動もまた、低いと思っています。素晴らしいことをしている人を真似するにも、その人その人でまったく異なることと同じです。真似をするのは方向性で、中身は自身が決めること。たとえば、親孝行や子育てほど同じにできないのもその現われ。要となるキーポイントは愛。愛の形はさまざまです。人に流されること無く、自身を信じ、適切な愛を出せるようにしたいものです。

今自分が一番ならば明日は二番です。そんなことばかりにとらわれているから、鈍いのです。自分から見て凄いなーと思う人がいれば指南を請えばいいし、人が知らないことを知っていたら教えればいい。互いが互いを敬い思いやることが幸せでもあるし、人間の一番の基本のようにも思えます。そうして輪ができるのです。ただ、、何度言ってもわからないかちんこちんな人も確かにいます。それは本人が気づくまで仕方ないことなのです。

 

 

778)自分のやっていることが正しいことか間違ったことか。結果論。けれど、振り返ればその理にかなった事象に身が震えるほどの想いをするときがあります。周りに理解されるのは結果であり、そこまでの道のりは苦しいこととなるけれど、強い心と正直、素直さ、これで乗り切るのが一番ではないでしょうか。その道のりが間違っていれば、それなりの結果となり、また事象は狂ってくるのです。これは、占いでもなんでもなく、直感という行動。感性を研ぎ澄ませば研ぎ澄ますほど直感はさえて、道を開けてくれます。要は、その結果に浮かれることなく、感謝してまた新たに精進すること。。。私は今、そのことをまさに体感してます。ここからが分かれ道。更なる努力と八正道を進みます。誰のためでもない。係わるすべての人に向けて、、、ありがとう。

 

 

777)現実のことばかりに覆われて、目先のことばかりに振り回されていると、心はだんだん病んでくるのです。頭を切り替えて目先を変えて見られる心のゆとりを持つことで、心は生き返ります。ストレス社会=現実社会。想像力をつけること、夢や希望を持つこと、上を向いて歩くこと、部屋のカーテンを開けること。少しずつ、変える事は可能なはずです。

 

 

776)たとえば、私にいいことがあったら、どこかで悪いことを受けている人がいる。誰にも影響を受けない人生ではないと、人も道もすべて繋がっているという、私の考えです。そのことに対して罪悪感を持つことは逆にマイナスの作用をも引きおこしがち。どうすれば回避できるのか、、、誰にでも正直であり、向かい合う強い意志ではないでしょうか。どんなときでも感謝の気持ちと人に分け与えられる広い心。この世でいいことがあった場合の私の想いです。

 

 

775)体は正直で甘えん坊さんで、ちょっと優しくしちゃうとかちんこちんになってしまいます。間接が硬くなると、体も壊れてくる原因の一つと私は理解しています。一日5分でも間接を動かしましょう。以前お玉をもって歌いながら踊りながらキッチンに立ついう歌手がいました。。。。私も似たり寄ったり。言葉の表現も大事ですが、ボディーランゲージも大事です。表情も豊かになります。皺もなくなります。血行もよくなり、いやなことも忘れます。ボディーランゲージができる人は想像力も大きいです。まずは身近なものからそのものになる練習も一つ。私が良く変身するのは、花や木。ゆりとかばらとか桜とか桃とか、、自分のイメージで変身して見ると面白い発見もあります。そして、ものを観察する洞察力も身につきます。是非、お試しあれ。

 

 

774)韓流ブームと騒がれて、何だか理解に苦しむ人が注目の的になっていて、日本中の女性が大騒ぎをしているような報道です。地元ソウルではそんな日本の光景をあきれて見ていて、信じられないと人々は口をそろえ、、、私も同感ですが。韓国の俳優さんは日本で営業活動をしている反面、韓国での外国映画はあまり理解がない。それも反日感情の流れの一つ?幸せ大国日本。日本男児諸君。韓国の男性に負けないで魅力を発揮していただきたいです。

誰もが正しい意見を言うとは思わないし、どれが正しいとも位置づけはできないけれど、、、、偏見は誰にもあるもので、私も例外ではないですね。偏見を持たない人のほうがアブノーマルでしょう。

 

 

773)愛は自然に湧き出るもの。無い人には与えればいいし、決して強要ができないのも愛。夫婦で陰陽の世界を知ったら、次は両極のないもの、形の無いものへ。男女を越えて、はじめて一つになるものではないでしょうか?昔の人は空気のようだとよく夫婦の仲をたとえていました。まさに、実感しています。今の難しい言葉よりも昔の人の言い伝えのほうがはるかに重みが合って、利にかなう。。私は今でもおとぎ話や神話が大好きです。ことわざも。。それらをぱらぱらやっているだけで、生活が成り立ちます。

本をあまり読まない私が1冊だけ宝物にしている本。何気なく本を開くと、いつも必要なメッセージが書いてあります。不思議であり面白い。

 

 

772)自分から発する波動は自分ではわからないものだけれど、ペットや精神を病んでいる人は敏感にキャッチし見透かします。誰にもごまかせないのが自身から発する波動。ならば、いい波動を発するには、、言葉や考えでもない、もっと深い部分が要ということ。

 

 

771)一見、知識がありそうなひと、結局、無知という事実。人の言葉をたよらず、人の文字をたよらず、ネットで探すのは情報で、知識とは異なります。情報を実にするのは、目と頭。そして見極める心と体得だと思います。

 

 

770)離婚しようかしまいか、どう思いますか?と聞かれたところで、迷っているということは迷うなりの条件があるわけだから、しないほうがいいのでは、、というのが私の考えです。OKサインのときはどんな事情でも、どんなことでも事象がそうなるんですよ。たとえば、離婚となれば、経済問題、住居問題、育児問題。。。これらひとつかけてもだめでしょう。無理やりの発信は自分の首を絞めるんですよね。決断は自分が下すもので、まして、人の人生、他人が動かすことはできません、アドバイスがあっても、最後は自身です。

 

 

769)母屋の整理を始めていると、昔のいろいろなものがでてきました。赤ちゃんの頃から小学校はあどけなく、今見てもかわいらしい。中学1年生から高校3年生当時の学生証に写る私の顔。今の私とは別人で、誰が見ても親戚の人?ぐらい違っていることに自分でも驚きます。顔は心ですから。。その頃は学力品力優秀な妹といつも比べられ、しつけ・教育に厳しかった両親に、押しつぶされて、自分を否定していたような、何かにおびえているようなそんな顔。その私が変わったのは、20歳のときに始めて親のレールから外れたとき。奔放な人生だったけれど、顔は明るくなっている。そして、自我の塊の私が30歳にして誕生。結婚し、その自我がが剥がれ落ちたとき、その証が今でしょうか。いい意味で自分が好きで自信があるので写真を撮るときの顔がまったく違っています。自分の顔は日々変わります。自分を毎日振り返ることは、自己の成長に欠かすことのできないスパイスです。

 

 

768)幼稚園の頃から一生懸命に勉強して、どうして、大学生になったら中学生レベルにまで落ちてしまうのだろうか?活字離れとか、少子化とか言うコメンテーター。それ以前の問題です。興味が拡散して、考えないし、想像力もないし、文字から読み取ることもしないし、、、余分ないらない知識を詰め込むよりも、最低限の知識だけ、しっかり身につけたいものです。日本語は母国語です。母国語まともに話せなくてどうしましょうかね?私が親ならパソコンは絶対20才まで使わせない、必要なものは辞書を引き、図書館へ足を運び、自分の手で文字を書く。これにつきます。

私の身体はたこだらけ。右手にはペンだこ、針だこ、手のひらにはぞうきん絞りだこ、足首には座りだこ。私の生活そのものです。

 

 

767)ここのところ、家族とか夫婦とか愛とか、妙に脳裏に浮かんできて、ふと周りを見渡すと、いいデーターがでてきました。夫婦が同じ寝室、あるいはひとつのベッドで寝起きしている家庭は円満で、家の中の空気がきれいなんです。そんなこと??と思う人、これは事実です。事実は小説よりきなりです。それほど、夫婦という陰陽は強力です。

 

 

766)私の師匠は主人でした。でもそこを旅立つときが近づいているのも夫婦で感じている昨今。準備万端整って、これからの私の師匠との出会いにまた歩き出します。今までありがとう!と巣立つ私を快く送り出してくれる主人。偉大な人です。心から尊敬しています。主人いわく、、これから走り出すと忙しくなるから、今の内にゆっくりしておけ、、ゆっくりとは寝ることでも遊ぶことでもなく、心を静かにオープンに、また新しいアンテナを立てて見ます。また大きな山越えが始まります。その山は希望と光にあふれています。とても楽しみです。なぜ師匠を離れるか、、私の場所が別にあるから。。そんなもんです。

主人のことを偉大な人とか、凄い人とどこへいっても言っちゃう私。それはね、そー言う人が彼を見ると必ず握手を求めます。世界中どこへ行っても。そんな彼を14年独占していた私は果報者で、これからはそのエゴを取り払いオープンにしたということであります。

 

 

765)大人の仕事をゲーム感覚で疑似体験させて、どうしたら何ができるかを学ばせるビジネスを立ち上げた人がいます。今の子供に欠けている、考えて相手を思うことが同時に学び取れること。へたな塾に行くよりも、このような体験に参加した子供は一皮剥けるのだろうな、、とうれしい気持ちで見ていました。物を作ってお金となり、それをどうして行くか。大切な学びです。いいことをしている人もたくさんいるんですね。そのアンテナをうまくキャッチできるか。。。

 

 

764)赤ちゃんって、敏感です。何でも感じ取ります。空気から音から、、。私たち大人も最初はそうだったんですよね。生きていくうえで知恵が付いて、いつしか、その感性の部分が小さくなって。。知恵も必要です。けれど、ある程度成長したら、知恵も自分でつけませんか?赤ちゃんは自分で知恵を見つけ出します。学び取る時期を過ぎたら感じましょう。必要なことはそこからすべてわかります。本から得るものは早いですが、それでいいですか?本を読まなくとも感性を発達させれば、すべてわかります。もちろん、難しい言葉ではなく自分の言葉で。遠回りかもしれませんが、そのプロセスは面白いです。知識と感性を使いこなすと宇宙での生活も、また楽しい。

 

 

763)中国の報道官は中国にしては近代的な目線で捉える、ニューエイジのように見えます。彼の発言は日本も真摯に受け取るべきであろう。言葉や文面で意思は伝わらない。行動が伴ってはじめて伝わるのだから。信頼関係は特にそうう。文字だけで語り合っても、なかなかすべてはわからない。昨今の掲示板トラブルもその現われ。人は生身の動物だから、体温を感じてこそ、、という本来のものがやはり前提と私は思います。

 

 

762)私は着物に関しては素人ですが、祖母から学び、母から学び、その中でいろいろ経験をつんで今に至っています。何よりも日々、着ているという強みでしょうか。着ているからわかるんです。頭では着物は着られません。何でもそれと同じことです。机の上と実践では大きく違うものです。人生も同じ。紙に書いた人生を送るのか、自分の足で歩くのか。私は何でも自分で手をかけ、足をかけ、、です。

 

 

761)地方に伝わる郷土料理は決して料理学校で習ったものではなくて、その地方のいろいろなものに工夫をして作られています。結果として、バランスよく成り立っていることは周知の事実。料理教室に行くのも一つではあるけれど、自分で作り出すこと、親からの伝授に勝るものはないのです。なぜ?愛というスパイスがかなり効くからです。

 

 

760)地球を癒すには宇宙を癒すには、まずは自分が癒されていないと、、意味がないと思いませんか?言葉やうわべでポジティブになるのはできること。そして、、その真意は結構見透かされていたりして、、。地球が危ない=言ってる人がもっと危ない。と私は思います。そんなこということ事態、ネガティブ、マイナス思考の現われです。地球はきれいで忍耐強い星です。その星が癒されたがっていると思うと、どうしたらいいか。感性で生きている人にはわかるんです。

 

 

759)松田家流究極の開き直りの生き方。。。実年齢は今の自分なのです。それを否定することは、自分をそこで否定してはいませんか?脳年齢、精神年齢、肉体年齢は変化はあれど、不動の年齢は実年齢なのですね。

自分の年齢をニコニコ笑って話をする人はたいてい、若く見えます。自分を肯定しているのでは?私も44歳とどこへ行っても言っちゃうタイプ。国内では3歳ほど、欧米にいたっては20歳ほど、アジアでも10歳は若く見られます。

 

 

758)母は強し。。私の亡き母も強かった。彼女は65年という今では短い一生でしたが、その中で、自分したいことはすべて思いのままにしていたし、欲しい物もすべて手にいれていました。突然始めた日舞で名取になったり、、あー、この人は気が強いけれど、運がいいんだなー、、ぐらいにしか思っていませんでしたが、その裏には子育てという業があったことに気が付きました。2人の娘を誰に頼ることなく父と2人で試行錯誤で、夫婦喧嘩などしながら、育て上げたんでしょうね。その過程にはいろいろあったと推測します。しっかり子供を育て上げた人がいい人生を送っているのもそこにヒントがあるのではないでしょうか?人には課題提示はさまざまで、私は子供の変わりに、その両親からしっかりいただきました。今は辛くとも必ずご褒美はいただけます。だから、与えられた今の環境は大事に勉強していくといいのかもしれません。運の良かった母が短い生涯となったにはそれなりの事由もまた、しっかりあり、、、得たご褒美をエゴにすることなく、私は両親から得た大きな糧をこれから生かして行きましょう!

 

 

757)何年か前から、健康食品ブームで、サプリメントやらハーブ、無農薬などとこだわりのものが良いとされている昨今。でも、そのブームの前はそれらを誰もが良しとして採っていたのですね。結果、それらに病気の因子があっても出ない人には出ない。なぜ?健康とか、不健康以前に心だと私は思っています。たとえば、言霊の一種ですね。これはとてもおいしくて自分にあっていると思える人は、何を食べてもなんともないのですよ。あれでなくてはこれでなくては、それにこだわっている以上、その人にネガティブ意識が潜在しているのではないでしょうか?我が家では、、、夫婦カップめんでもなんでもいただきます。おなかがすいていれば何でもおいしいね!式です。私の心も強くなってから胃腸障害は一度もありません。思い込むことは自己の現われだと私はまさに実感しています。世界中、同じものを食べていなくても、元気な人は元気です。要は、根本です。もっと皮肉ってしまえば、、、豊かな日本、の象徴でしょうか?健康になりたいのなら、心が先です。食べ物やほかのものを頼ってもそれは無理というものです。心が健康になれば、食べ物も自然に変わってきます。それが自然の法則の一つと私は考えます。あんなに健康に気を使っていたのに、、、なんて話はよく耳にします。

自分だけが、自分の家族だけが健康になればいいですか?その一人一人の考え方の答えを今、地球が求めていろいろ提示しているのではないですか?環境問題、経済問題、食糧事情、すべての原因は私たちです。餓死とかしているこの状況を考えれば、物がない生活をしているエリアを考えれば、おのずと答えは出てくるはずです。今一人一人が目覚めることはこれから生を受けてくる人の為のものだと、なんとなく思いました。なので、これからくる新しい時代を生かすも殺すも今いる私たちなのでは?私たちの今もそうであるように。。。

 

 

756)生活に嵐が吹き荒れたり、自分の身体が病んだり、、、それは今の自分というよりも今までの行い全般の答えではないでしょうか?人生はずーっと繋がっていて、過去は過去と引き離せない人、我で生きてきた人に顕著に現れるような気がします。過去をすぱっと切り離せるように、その日その時をいいものにしたいものです。光輝く明日は誰が作るものではなくて、自分ですから、自分の行く道に光がさせるよう、仏教で言うところの徳を積む。いいことは案外、人目に付かないものです。人目に付くいいことは当たり前、人に気が付かないようなこと、、たとえば、私がしたこともわからないような、そんなことですか。宇宙はすべてを見てくれています。

 

 

755)このサイトのはじめの頃に書いたこと。ボランティアは遊びではできない。自分がしっかりしていなければ、人に与えることはできないのです。奇麗事ではありません。同情とボランティアは別です。何かをしたければ、周りを省みないで飛び込むよりも、自分のできる範囲でいいのでは?これしかできない、ではなくて、これが今のすべて。教職員のいろいろが問題になっているのもその一つ。先生としての人格基盤ができていない人が、たとえ子供であれ教えることは不可能です。子供はピュアで大人よりもいろいろを感じ取るから、透けて見えるのです。信頼のある先生はとても自信にあふれ、その姿が子供たちを共鳴させるのではないですか?

私は学歴、地位よりも経験重視です。どんなに立派な学歴を経ても、どんなに素晴らしい地位にいてもその世界で通用するかしないか、それはその人の心。柔軟性如何であると考えます。凄い人が職場に来て、皆さんが期待していても、何か溶け込めない、、そんな人はよくいます。仕事だけではなくて、すべてをこなせて凄い人と私は言わせていただきます。

 

 

754)心=顔=言葉=愛=しぐさ=センス=心、すべて輪です。どれかひとつかけても輪にはなりません。この輪から出る光は強烈で誰をも魅了します。日々、精進なり。

 

 

753)人と話すことで自分も見えてきます。自分の殻をやぶるのは自分でしかできません。今の自分と同じレベルの人のなかで毎日を過ごすよりも、いろいろな輪に飛び込むことも幅を広げるものです。人の縁はやってくるのではなくて、自分で歩いているときにぶつかるのです。足踏みばかりの人生は独りよがり、それこそがエゴだとは思いませんか?

 

 

752)私の周りには素敵な人の輪が広がって、、、主人を筆頭に心から愛している人たちです。いつでも笑顔をありがとう!いつでも素直な意見をありがとう!昔から友人には恵まれてきたけれど、年とともに変化もあり、その時々に必要な人が来ること、会える自分がとてもうれしく、感謝感謝です。私がここまでに成長できたのは、私の力だけではないということ。私を成長させてくれたのは、両親であり、叔母であり叔父であり、妹であり、友人であり、そして、主人です。その人たちから受けたことをこれからいろいろな面で、出します。心から、ありがとう!

 

 

751)自分の感性とパワーで今まで乗り切り、幸せを体感してきた私が、何か魔が指したように自分の直感を否定したとき、問題が厚い壁となって私の前にたちはだかり、その思いが原因だったとは思いもよらず、じたばたじたばたしていました。、ポジティブに生きている友人にふと弱音を吐いていたら、自分の直感を否定していて、それがネガティブになっていたことに気が付きました。私としたことが、、、って感じでした。気持ちを切り替えて、自分の直感に感謝し、宇宙で生きている自分というものを改めて気持ちにインプットした途端、その厚い壁が開いたのです。この壁が開くとは誰も、、、想像付かないような厚い壁でした。うれしかった。ここでも書いていたのよね、迷うことはネガティブ、まさに、自分で言っていて自分でしていた、、でも、立ち直りの早さも、強い信念の賜物でしょうか。

どうも主人と私が意を決したときには最大強の力がみなぎるようで、、、気持ちの持ち方とはほんとにびっくりしますが、今夜気持ちがすっきりしたと同時に、またいろいろな事象が動き出しました。もちろん、ポジティブに。今は、、矢でも鉄砲でもいらっしゃーい、、ぐらい、跳ね除けられます。ネガティブな方、どうぞ我が家へいらしてください。帰りには笑っています。

 

 

750)昔から口に出したことや、想ったことは90%の確立でかなっていた私。人の性格を読むのもなぜか、、得意という、人にはちょっと首を傾げられそな特技の持ち主。最近はそのことにも拍車がかかり、うれしいやら、びっくりするやら、、、しいて言えば、もう少しわからないほうが、、幸せなときもあり、、、知らないほうが幸せと、わかったほうが幸せと、、複雑な心境ですがそれも私。うまく気持ちを整理してこの妙な私と付き合っていきましょう。

たまに、あー、勘違いだった、とか、見誤ったとか思うときもあるのですが、それは間違った感じ方ではなくて、それを選ぶことによりそのことから学び取り気づくいろいろな課題があります。なので、私の選択しには間違いはないということで、すべては自身の精進のためのもの。それに気が付いたのは10年前、そして、そのことがよりいっそう確かになったのは昨年でした。それは私だけのことではなく、すべての人に当てはまることだと思っています。人間は動物、犬と同じ本能を持ち合わせているのですから。その本能を研ぎ澄ませば、いいだけです。ちなみに家のワンちゃんは霊媒師並です。ことさら、人を見る目は、、、確か。

 

 

749)テレビをつけると痛ましい事件ばかりが飛び込んで、平常心のかけらもない人が多い世の中。詐欺事件は拍車をかけて、あの手この手と人を欺いて騙し取り、何が面白くてそんなことをするのか、理解に苦しむけれど、、愛のない家族の影響は多いと思います。子供のしつけも、そうですが、親が愛を感じていないので子供にうまく愛を伝えられないのですね。犯罪を犯す人は精神鑑定よりも、家族の愛の形の復習のほうが応えると、、、思う私です。当人を当事者を何とかするならば、同時に回りも治さなければ解決とはならないと思います。それほど、家族=血は強いものです。第三者では到底わからないことなのです。いろいろな形があるのも愛。愛は無限大であり、多種多様であると。。。これが愛という決まりはなく、それぞれの愛の形があるのでは。たとえば、家の夫婦の愛をほかの夫婦がまねをしても、同じにならないのです。みんな違うのですから。ただ、方向性だけ、要です。

過去に執着せずに最後に満足できるような生き方をすることが、私の愛の形の一つ。

 

 

748)お玉の話題がでて、、、そういえば、私は42歳までお年玉をしっかりいただいていました。母や叔母や叔父や、、今はそれららの方は他界して、、ということは、これからは私が出す番ということなのでしょう。お金の収支は結構うまくできていて、入った分出すということです。それで、また入ってくるのです。それでも、私利私欲で使っていると、ある時ぴたりと崩れていくのもお金の面白い仕組み。

 

 

747)今朝方の流星群はお天気が悪くて、肉眼では見られなかったけれど、私の目の裏側にはたくさんの流星群が見えました。星の数ほど。。。気持ちよく笑顔がこぼれてしまうような、、、そんなイメージ瞑想の天体観測とあいなりました。こんな経験もいいなー、なんて、妙にるんるんな私です。

 

 

746)さて、しし座流星群の時期です。2001年には25個を自宅のテラスで見た私です。情報をキャッチするのが遅くて、これから明日にかけて天体観測。今、宇宙に意識があって星が好きな私。2001年に見た時とはまた違うのでしょう。そのときはテラスにコタツを作って主人と見ていましたが、、とても寒かった記憶があります。今年は暖かい。ホットな気分で流れ星を楽しみましょう。見るコツは、一点集中。人の言葉に迷わされて目を動かすと、見逃す、、早い。とても願い事など言ってる暇はないけれど、今年はにやり。宇宙は私を知っている、見れば通じる。。。。決して私のおつむは、いかれていません。

 

 

745)北朝鮮の拉致のニュースを見ていて、大きな憤りと胸の痛みを感じます。このようなトップをもつ会社なら、、まだわかる。けれど、国なのだから信じられない。映像から流れる華やかな生活ぶりと、貧困ぶりのギャップ。これだけ物資を送ってもいきわたらない実態。困ってるものを助けるということはもっともだと思うけれど、人を見るべきことも重要だと思う私です。アメリカの政局も大きな変動を向かえ、日本への影響も多大であると考えます。北朝鮮問題もここまで引きずって、頼れるアメリカも背を向けたら、さー、ライオン総理はまだ、話し合いを続けるのでしょうか?この方は、時期を見誤ったと思う私です。綱引きはごぶごぶでは終わらないのです。引くか引かれるか。ライオン総理もお目目の焦点が、、合っていない?これだけ泣いている人がいて、これだけ困っている人がいて、総理とは国民の父でもある。これでは非行に走る子供が増えてしまいます。人の心の叫びが受け止められなければ目は見えません。180度考え方の違う相手と話し合いの糸口を見つけるには、更なる努力と頭が必要だと、、、

 

 

744)今朝、いつものように庭を掃除し、打ち水をうっていたら、たまたま裏のご夫婦が通り、デートですか?とうかつに聞いてしまったら、ご主人は病気で通院らしい。奥さんはまだ死なれたら困るから自分の用事を断って、病院へ付いていくのだそうです。それを一部始終聞いていたご主人はうつむき顔。。かかあ殿下なのね、、。立て続けにあった奥さん方も、話題はもっぱらご主人の不服であった。まー、ご近所同士は和やかなお付き合いという事です。夕飯時にポツリと主人に、家の夫婦は素晴らしい!と突然言ったら、主人は笑いのつぼにはまって、ご飯が食べられなくなったけれど、、、我が家の夫婦はどんな風に見られているのかしら?とふと思いました。

 

 

743)カメラのレンズは人の目よりもいろいろ写してくれます。人の目は2つも付いているのに、見えていないことが多いのです。なので、自分の目を信じるにはかなりの経験が必要となるわけです。2つの目から違うものが見えないように。違うものが見えるから迷い、悩み、、、なのではないでしょうか?私は、とりあえず間口は広いです。ひとつのことだけをずーっとしていた時期もありましたが、その時期は卒業ですかね。一つのことを真剣にすればそれだけではすまなくなるので、結局手を広げるようになる。その中で、一つのことが意味を成すのだと思っています。人も事も物も、すべて、単独ではないという私流の考えです。

 

 

742)袖触れ合うも他生の縁とはよく言ったもので、何気ない会話に必要とする情報が結構あったりして、、人を見たら泥棒と思えとも教わった記憶もあるけれど、このような時代だからこそ、いろいろな人とのふれあいを楽しみたいです。泥棒されたら?それも縁でしょうときっと笑い飛ばすと思います。まー、、私に限ってそのような人は付いてきませんが、、。

 

 

741)久しぶりに眺めた南アルプスの山々。うっすら所々雪化粧して、雪の白ってほんとにワンポイントがはえるのですね。この地はどうしてこんなに落ち着くのだろうか。川の流れも穏やかで、とてもいいものを感じました。私の近くには多摩川がありますが、この10年、いい川とは、、お世辞にもいえないくらい、何か悪いものを流しているようにさえ思えるときもあります。車中からみた富士山も行きも帰りも雲ひとつなくきれいに裾野まで見えて、これだけのロケーションでも、ラッキー!そして、また、思いがけないことが多々あって、、今日は行くべきして行ったのか、何かに引かれて行ったのか、、まーどちらでもいいこと。主人とワンと3人で楽しいひと時が持てることだけで幸せです。ただ、、、このアルプスに囲まれた中にいるときはとても物事がスムーズに行くのも不思議で、、13年前に機織に伊那谷にこもったときに、初めての私がスムーズに布を、、織れて、、先生もびっくりの体験でもありました。

 

 

740)いろいろな経験をする人間。同じような経験をしても感じ方向き合い方は千差万別です。どのような経験をしたとしても、この世の中は悲劇の舞台ではないのです。渦中にいると悲劇のヒロインについついなってしまうんです。私もそうでした。でも、ある日そんな自分がなんて気の毒と思ったときに、そんなヒロインはいなくなりました。こんなことばかり考えていてはだめ、一つのことにこだわってはだめ。。みてごらん、泣けるぐらい幸せではないの?暇だからそんなことばかり思うのよ、って、そんな別の私の叫びでもありました。経験できたことだけでも、いろいろな自分をも見れ、環境をも見れ、感謝です。世の中という大舞台のヒロインは悲劇ではないのです。違いますか?人はそうして強くなり、優しさも身につけるのです。傷つき悲しんだ人はそれをばねに強くなり、その分、人に物に、、、優しくなれるのです。

 

 

739)ふんだりけったりと思うほど、あっちいったりこっちいったりしていた私。が、結果オーライで、ラッキー!に変わった瞬間眉間の皺が、、、消えました。

ほんのちょっとのことでも飛び切り救われる思いってあります。ものすごい土砂降りで、おまけに和服で、、じーっとうとましい雨を眺めていて、自分が外に出る時間にぴたりと雨があがり、建物に入った時にまた土砂降り、そんな感じでしょうか。たったこれだけと思うより、あー、この数秒がありがたい!という気持ちが笑顔の元だと私は思います。

 

 

738)自分の望みがかなうとき、想うことが現実になるとき、どうすれば?ただ、念じて待っていてもそれはかなうものではないということ。受け入れが十分なものと判断されて、はじめて掴むのです。一時的な好転はあくまでも一時的。しっかりとしたものを掴むならば、、、日常の生活からです。心優美に。。。想うことが現実化されている方をみれば、その生き様がヒントになるのでは?私もそうでした。今ですか?@^^@

 

 

737)物事には順番があって、ひとつ飛ばすと、だんだんジグザグになっていっちゃう。飛び級なんてこともあるけれど、人生には飛び級はないように思えます。自分の足元をしっかり固めて築いていくことも、大事な作業ではないでしょうか。建築と同じですね。ちょっとの風で壊れてしまっては、、壊れないようにするにはどうしたらいい?壊れた事実を否定するよりも、なぜ壊れたのか究明ができないと、また壊れます。ひとつひとつ丁寧に作り上げていきましょう。あせりは自分のエゴだと思います。どんなにあわてても、ゴールは同じです。

車に乗っていて、一台でも先に行きたいような走りをしている車があるけれど、そんなにあわてても、、、、結局信号で隣り合わせになると、ご苦労様!って言いたくなっちゃう私です。

 

 

736)不思議なくらい、困ったことが起こると必ずその対処すべき救いの手がひょいと出てくる。なので困ったことではなくなって、嬉しくなって、感謝の気持ちでいっぱいになります。自分のしていることが正しい道である証でしょう。しっかり道をそれないよう、この気持ちを大事にします。

産まれたときには誰でも幸せになる権利を持ってこの世に生を受けていると思います。その権利を生かすも殺すも自分。誰のせいでもない、自分。癒しはある意味自分ではないでしょうか?人間は自分で何でもできるんです。心があれば。仕事は癒しであってはビジネスにならないでしょう、仕事場は戦場、その中での安らぎは家庭であり伴侶であるはず。香り、色彩その他癒しグッズはグッズで、そのサポートであると私は考えます。癒しが長続きできず、浸透できないのはやはり、観点を見直す必要があるのではないでしょうか?仕事が楽しくて楽しくて、、その裏には幸せな家庭が必ずあります。

 

 

735)あることに疑問を持って、主人に説明してもらって、、、30分。私には主人の言い分が理解できなかった。何度頭の中を整理しても、私のまとまった答えと彼の話にずれがあり、とうとう主人に、君はここまでばかだとは思わなかった、、いつも凄いことを饒舌に話すのに、君の回路はどうなってんだ?と呆れ顔。そんなこといってもわからなものはわからない。私には主人の回路のほうがわからない。最終的な答えを聞けるときがこれもご縁でその5時間後にやってきたのです。夫婦のずれを修復するようにお互いにわかりやすくって、、聞いた途端、私の考えがよかったではないか。主人もほら、僕の言ってたとおり。。???言葉って受け手によっても話し手によってもわかりやすい人とわかりにくい人がいるんですね。主人は筋道立てて内容が多くって途中で私はその内容を自分ではぶく、、私は単刀直入にいうので、彼の言う途中がない。おもしろいです。なので、合う人、合わない人出てくるのね。

 

 

734)昨日、お寺のご住職の奥様からとてもありがたいお話を聞きました。内容は、、ここで私が述べていることの総括でしょうか。奥様がそこまで突っ込んでお話くだすったことは初めてで、久しぶりに母の墓前で涙し、すっきり浄化できた私。その涙は悲しみの涙ではなく、感謝の涙です。ここで、何度も書いてきたけれど、大きな変化が音を立ててやってきました。いろいろ動き出すと面白いほどに連鎖で動き出します。父のこともそう。否定的な動きではない。立ち上がれー!かな?

 

 

733)信じられないことが起こった。1998年に北京に行った際にチャイニーズのお友達にサンスクリット原語の経典を教えてもらって、何分、カタカナをふっても読めるものでもなくって、ずーっと仏壇にのせたままになっていたのです。それが、、お風呂場で何気なく口からぽろぽろ。。。一気に読み上げてしまった私。今手元で確認したが、、間違いなし。はー、、、、自分で自分にびっくりしている私です。

 

 

732)お世話になっている税理士さんのお宅のチワワが階段から落ちて頭を骨折し1ヶ月も東大病院へ入院している言う。私のワンちゃんへの思い入れは人間と同じで、話を聞いたときには大きなショックを受けました。今年のお正月用に着物を縫ってあげたとき、とても喜んできてくれていると聞いていて、来年も、、と思っていた矢先の話でした。元気なワンちゃんにはワンちゃんなりに注意は必要で、大丈夫という安心感のちょっとしたずれだろうか。人も同じ。思い込みによるものは自分の頭で大きくなって、根本がかすむもの。神経質になれえとは言わないけれど、基本はしっかりと頭に入れて、その上で行動したいものです。ワンちゃんの回復を祈り、また私の作った着物をきてくれることだけを、イメージします。お大事に。。。

 

 

731)久しぶりにバスに乗って、降りたい駅の名前を忘れてしまった私。けれど、降りる駅ではその場所がアナウンスしていたことは覚えていたので、運転手さんにそこへ行きたい旨を伝えると、そこはバス停がないからとまらないという、、、どうしよう。そこで、バス停の前にあった酒屋さんを思い出して、そこを告げると、あなたの行きたいところは行かないが、そこの酒屋の前には止まるという。ならいいか。。と外をじーっと見ながら乗っていて、目的地。やっぱりアナウンスでしっかりその場所を告げている。バスの運転手さんも不親切というか意地悪というか、毎日運転しているのだからわかるはずなのに。。。。そう、それは私の思い。ただ義務で運転している人には通じない理屈でした。と思ったとたんに不愉快もなくなり、どうもー!っと大きな声で降りた私です。

 

 

730)わがまま娘で、自分勝手で、気位の高い、、私が、ここめでになるのに14年かかりました。私の大きな変革期に目の前に現れた主人。彼は、自分の14年を捨てて私を気づかせてくれました。誰にでも変革期にはキーパーソンが現れます。大変革であればあるほど、その人への反発もあるけれど、その壁を越えるのも超えないも自身です。何か変化に気が付いたら、そのときに目の前に現れた人に注意を向けてみませんか?必ずヒントがあります。私がもし、彼を否定して、受け入れなかったら、決して今はなく、また別の私が誕生していたでしょう。けれど、私は今の自分が大好きです。素直さが好きです。隔たりのない自分が好きです。そして主人が大好きです。これからの私は、、、導きにしたがって自分の新たな道に進みます。この世でできることを与えられたことをちゃんとこなせるよう、これからもまたお勉強でございます。

 

 

728)少なからずコンプレックスというのはあるものです。それがトラウマになったりすることも多々あります。でも、そのコンプレックスも自分なんです。すべてを受け入れて、そんな一部の自分をも好きになることが、そして、それを認めることがまず第一歩。誰からも好かれよう、誰からも慕われたい、いい人になりたい、、、それらが大きな壁となっている自我ではないでしょうか?裸の私を一人でも受け入れてくれたら、それは芽吹きとなります。

 

 

727)曼荼羅=宇宙という密教・仏教の教えがはっきりと見えたとき、私自身の大きな一つの変化も感じました。仏様が星に見えた時とでもいいましょうか。五行も、ホロスコープも易もみんな一緒。マヤもヒンドゥーもチベットもすべては同じ宇宙観。で、自分が見ているものは現実社会の宇宙観。そう考えると私もひとつの星なのでしょうか。

 

 

726)久しぶりの友人からの電話で、四方山話しに花が咲いたひと時。彼女は少々落ち込んでいたらしいが、私と大笑いしたら元気が出たと、いってくれました。お互いの笑いがお互いを癒したのね。人の心をあけるには、説教よりも、笑いが一番。その人に必要なことはその笑いの中に入ってるのだから。もっともらしいことよりも、かなり特効薬。

 

 

725)世の中不思議なことは多いけれど、その元は、人間。人間ほど不思議で素晴らしい生き物はいないだろう。昨今は猿だ熊だと人間に近づく勢いだけれど、、がんばれ人間。

 

 

724)ポジティブに生きている人、ポジティブな考えを持っている人は、見ているだけでそのすごいパワーが感じられるものです。ライブドアの社長はかちんこちんの経営感覚を打ち消し、成功の図式を体全体から放出しています。ビジネスには失敗もつきもの。けれど、プラスマイナス1であれば、それは成功でしょう。やってみなければわからず、頭で否定していても未来はないのです。すべてを悲観的に見るよりはよっぽど周りの人も幸せに包んでくれる。。。それがポジティブ。

 

 

723)私の生活に仏教の八正道を生かすことはずいぶん前にこちらで書きました。そのころに比べると、それらが実践される過程での変化やいろいろが眼に見えてわかってきました。諸行無常=すべて移り変わるものであり、諸法無我=すべてが我のものではなく、涅槃静寂=迷い苦しみのない心にたどりつくことができる。と以前読んだものに書いてありましたが、まさにそれを実感している私です。

物事は頭で理解しても身につかないので、そこでよしとするのではネガティブになってしまう。そのことを頭でわかることができたら、体に言い聞かせること。体験すること。四苦八苦を経験し、迷い、執着から解き放たれ考えることもなく、身を任せての生活になれると、、、私はそうでしたし、これからもそうです。

 

 

722)自ら望まなくとも、その人が必要なときに必要なものがめぐりめぐって目の前にくるものです。そのめぐってきたものをうまくキャッチできるか否か。自分のアンテナの感度を整えておくと逃すことなくキャッチできます。それは、運がいいとか悪いとかの結果と結びつくほどの縁です。必要なものに必要なものが届くには、心の開きと頭の柔軟性が大事です。目の前にいやなことや都合の悪いことが届けられたら、それは誰のせいでもなく、その人自身のあり方なのです。がっくりきても仕方ないですね。それもいい勉強のチャンス。ありがたく受け止めるのも経験です。

 

 

721)どんなに名声があっても、どんなに世間的に幸せであったも、家を大事にできなければそれなり、、というのが私の考えです。大きな家とか小さな家とか関係ないのです。生きていくうえで家は大事で、その家があるから帰ることもできれば、出かけることもできる、家があるから団欒がある。家は殺伐とした空間ではないのです。出発するところだと私は思っています。いつもそこに感謝してこそ次のステップがあり、夫婦家族の輪が大きくなるものではないでしょうか。平和の和は平和の輪でもあるとは、松田家流の法則。

 

 

720)政治家が北朝鮮へ出向くときだけ、マスコミは拉致の件を多く取り上げるけれど、、、家族の方がもうこれ以上待てない、という叫びは誰の耳にも痛切に届いたことでしょう。何の手がかりがないわけでもなくって、わかっていることがあまりにも事実と異なることが多く、その苛立ちのぶつけ先は、、、その立場が痛いほどわかっていても、私などは何の力にもなれないのか?そんなことはない。きっと声が気持ちが届くはず。そんな念をこめて、、、早期の解決を心から祈ります。

 

 

719)脳へインプットするものの影響力は多大で、それがあまり好ましくないことでも、伝えるものが影響力のあるものだと何の疑いもなくインプットされる。そして、よくよく考えれば道理にあってないことも、それが正しいと認識されてします。マインドコントロール的。人にマインドコントロールされるのなら、自分の感性でコントロールもできるはず。人に100%従うのではない。そのような考えも一つ。その上で自分はどうなの?この方程式が大事であると考えます。誰もが同じことはできないのですし、それが精巧な人間でもあると思います。10聞いたらその中の一つでも納得できれば、そこから残りの9つについては、またいろいろな展開が始まるわけです。要は自分をどう描写していくか。自分がわかっていれば簡単です。生きていくうえで年齢は関係ありません。ずいぶん前に話しましたが、実年齢と脳年齢と精神年齢はまったく別物です。

 

 

718)人は特別な人なんていないのだと思います。鈍感か敏感か、得意か不得手か、努力家か怠け者か、柔軟かかちんこちんか、、、なので、自分はこれだけすごいのだと天狗になっている人は、それまで。この宇宙には一番はないのです。上ははるか遠くです。そして、2番手3番手はいつもぐんぐん伸びています。。。私流の考え方。

 

 

717)いとこの子供に子供が産まれて、まるでおばあちゃんになったように嬉しい私です。光海と書いて、みみちゃん。猫のような名前だと評判はすこぶる悪いけれど、光る海、いいじゃない!私は大好きな名前ですね。私には子供は授からなかったけれど、それは今思えばそれなりの意味があった。かつて、子供ができないことを非難されたこともあるけれど、子供がいてもいなくても、人生におけるお勉強は同じくらい重いのです。子供がいれば子供を育てる過程で学び、子供がいなければ、親から学び、そんなものです。人生のカリキュラムは自分では選べないものが多いけれど、まー、障害物競走のようなものでしょうか。引いたカードに見合うものを探す、、人生ゲームと思えばいいのです。私は自分に課した修行期間があと少しで終わります。さああて、次に引き当てるカードは何でしょうか?楽しみです。じたばたもがかず、ゆったりと波に乗って、クリアしたいと思っとります。

 

 

716)被災地への天皇皇后の訪問の様子を見ていて、じーんときた私。皇室の制度にはまー、いろいろ意見はありますが、それはさておき、やはり、この方々は顔で話せるのですね。言葉少ない中にもしっかり重い優しさがあふれ、一般の人と同じ目線で話される様子を見て心を打たれました。何日か前のおえらいさんの形だけの訪問とはちょっと違いますね。

耐えてしのんで優しさ磨き、心をしっかり強く鍛えた暁は、観音菩薩かマリア様か、、、そんな笑顔が自然に出せるようです。

 

 

715)食べ方は一応マナーを習ったり、格式あるところでの立ち居振る舞いも学生のときにしっかり叩き込まれてきたものの、どうしてもクリアにならないことが一つだけありました。焼き魚のいただき方。これはねー、、、私の場合、物心付いてからお嫁に行くまでしっかり身をほぐした状態で母が出してくれ、出先でそのような場面になると、必ず誰かがそれをしてくれ、、結婚してからはその役目は主人へと移行さて来ました。ところが、茶道を始めた私はこれをどうにかクリアせねばならない場面にとうとうぶつかってしまいました。お茶懐石。さあああー。しばらくは魚オンパレエード。猫のようにきれいに食べる主人を参考に、一から勉強でございます。覚えるだけでは身にならず、、、実践の積み重ねで自分の物にしなくては、、、

 

 

714)芸術家の感性というのはかぎりなく奥が深く幅が広い。底知れぬ好奇心と実現。これに尽きる。自分を客観的にとられられるからものも客観的にとらえられ、すべてがゼロからの真っ白なキャンパスというわけ。先入観があるとこれは出せないものです。

 

713)声にもいろいろあって、低い声、高い声、ガラガラ声にだみ声、、きれいな声って耳に気持ちのよい声ですよね。耳に気持ちがいいと脳への反応もよくなって、心が和む。透き通っている人の声は普通にきれいですが、だみ声やがらがら声だって、心一つでいい声になるというもの。前にも話しましたが、声(音)の波動にはストレスやマイナス面が多く反映させるものです。誰でもがひばりの声になりたいけれど、そうもいかないのならば、ひとつ、心して、発声にも注意を払うと、面白いと思います。自分の声がまるで作られたかのように聞こえることもあるものです。人間の部品はいろいろ自分でチャレンジしながら調整すると、最高の部品になるのですね。私は人間が好きです。こんなにすばらしく単純でおもしろい動物は。。。。いません。

素直がいい。いつでも人に感謝の心を現して、大声でありがとう!といえるような。心で思っていても伝わらない。感謝は表現してこそ感謝。感情のひとつでもあります。皮肉れた心や、やきもちや、ねたみ。レベルの低い感情です。レベルは高い位置においておかないと、落ちるだけです。意識を高く持って、素直な心。これは美の条件ですね。

 

 

712)人の笑顔というのは、たのもしい味方にもなるものです。笑顔で元気よく話されると、受けてもなんとなく心がはずみ穏やかになってくるから不思議。笑顔はとっておきの魔法でもあるわけですね。同じ話を淡々とされるよりも、気持ちもいいもの。話し方に抑揚があるといいますが、体同様、感情の表現の豊かな人はいるだけで福の神です。

顔の表情は心と同じですぐには整いません。日ごろから思い切り笑う、そして、顔の筋肉を柔軟にして、顔で語れるぐらいになるとすばらしいな、、、

 

 

711)スローライフ。最近はかなりこのフレーズを耳にします。ぱっと頭に浮かぶのは都会を離れ、静かな山などに囲まれてのんびりと、、都会の喧騒を忘れて、、てな感じでしょうか。したくてもできないなんて思う人案外いるんです。でも、都会の真ん中でもスローライフはきっちりできるもの。気持ちの持ち方一つです。そして、時間のあるときは自然に触れる。デパートに行くよりも、喫茶店に行くよりも、アウトドアで楽しむ。しっかり頭にインプットすることによりいつでもその光景がバックにあるものです。意識を持てればどこにいても大丈夫。脳や体へのインプット。原始生活はできなくとも、文明を忘れることはできます。

 

 

710)歌舞伎の世界では顔見せ興行がはじまり、この世界ではお正月。カレンダーも残り一枚となり、ほんとに、30歳を過ぎてからは毎日が坂道を転がるように、、はやい。我が家の庭のみかんは今年は豊作で、鈴なりです。ちょっと味見をしたら、かなり甘い。このみかんも今年が食べおさめ。有りがたく、しっかり味わって食べましょうか。完全無農薬100%天然もの。昔懐かしい味がします。

りんごをかじるとはぐきから、、なんてコマーシャルが流行るくらい、りんごはおもいきり、がぶりと皮ごといただきたいけれど、昨今のりんごはどれも艶が良く、、日持ちの為のワックスがきつい。洗っても落ちない。これではなかなかがぶりとはいけず、、りんごの皮を干してのアップルティーができない。。。

 

 

709)自分がとても好きなもの、信念を持っているものがあっても、それが万人に受け入れられると思うのは、それこそが【我】ではないかなと、私は思います。自分が知っていてもそのことを知らない人がいて当たり前。知らない人にどれだけ普及させるか。その自分のいいと思う事をどれだけわっかてもらえるか、それはその人次第です。その人を見ていれば、その人のやっていること、信じている事、考えが伝わるものです。その対象を伝えるのではなくて、自分を伝えることが一番だと思うのです。【我】が強ければ、いくらいいことをしていても、相手には伝わらないと私は思います。良い事悪い事は結果として、自身の行動として現れるものです。

どんな時でも頭を柔軟にして、聞く耳を持ち続ける。心は私。子供から、動物から、植物から、食べ物から、天から、目上の人から、、メッセージの授受はあらゆる所にあります。そのメッセージを聞くには【我】を取り払う事。

毎日の生活の中で、いろいろな事に目覚め、気づき、成長し、その想いが悟りになるのはやはりこの世を去る時であろう。それがいわゆる卒業証書ではないのかな?悟りはやはり人そのもので、少々の事ではなくて、たくさんの積み重ね。死ぬまで精進と気づきは続くものでは?

 

 

 

708)私は名前を呼ばれる時、名字で呼ばれるのは、、、嫌いです。名字は家であって私ではない。私は、家と家の付き合いよりも、心と心の付き合いをしたいし、しています。心と心の付き合いに上下はないのです。敬う心はまた別格。

 

 

 

707)電車の中で妙なおじさんがストリートダンスをしていました。そばにいた、小学生たちに受けようと思った様ですが、最近の小学生はそんなことは鼻で笑い飛ばし、冷ややかな目線を送っていました。それでもそのおじさんはひるむことなく、にこにこ笑って踊り続け、、、普通のサラリーマンに見えますが、、早くも年末の宴会芸でしょうか?その車両の中で受けていたのは、、、私だけ。とってもおもしろいおじさんでした。いくらダンス好きの私も一人で車内で踊る勇気はありません。おじさんのパフォーマーに拍手です。でも、、危ない人だと思われているようでした。5月病が暖かい11月に、、て感じでしょうかね。

 

 

 

706)未来を知りたければ、感性を養い、直感力と、周りに起こりうる事象を察知すれば有る程度、わかるようになります。自分の今している事への答えが日常に現れるものです。もしも、自分にとって良い事が起こってなかったら、そのサインを無視せずに、修正すればいいのです。これは、とても大事な事です。

ワンちゃんを飼っていて、そろそろ妹を、、と思い出した頃、この子の体調が悪くなり、少し安定してきた頃、また、ショップで見かけたワンちゃんがほしくって、妹を迎えるつもりでいたら、今度は、目を怪我をしたのです。あまり考えていなかったけれど、ふとこの子を見ていたら、はっと気がつきました。この子が拒否しているのだと。我が家は来年は引っ越しもあるし、主人の仕事も忙しい、そんな環境の中、無理だと訴えているのでは?と直感で思いました。時期を待てということですね。ごめんね。でも、気が付いて良かった。あなたをも失うとこだったね。小さなシグナル。この意味は気が付くと大きいです。

 

 

705)さて、生きている間にどれほどの事に気付くでしょうか。死ぬまで気が付かない人もいます。どうせなら生きている間に気付いた方がより良い生活ができると言うもの。その時々で気付きは変わり、過去があって、それに肉付けされる事も有る。要はその厚くなった気づきの衣を脱ぐ事無く心と身体に馴染ませ続ける事。ところが、、たまに脱げるんですよね。そんな人が多いです。脱いだら着れば言い。けれど、一度脱いだなかなか羽織れないのが、、、なので、一度身に付けた気づきは大事に致しましょう。私がここで述べているのは、私の気づきでも有り確認作業のひとつかも知れない。私は書くと言うことで、インプットされる人の様です。

 

 

 

704)人の土俵で相撲をとって、自分の土俵を綺麗に整備するような細工をしていると、、、道路公団、社会保険庁、厚生省、、、国民のお金を使って今まで楽しくしてきたのだから、最後の御奉公。自分のお金で楽しく暮らしましょう。過ちをおかしても、それを悔い改めることで(心から)救いの手はひょいと伸びるものです。その自分の過ちを認めず我を通せば、それなり。自分の首を自分で絞める結果となるのです。誰が制裁をくだすのか、それはそうなるように導かれるものです。世間では神様とか言うけれど、実は自分の心が制裁をくだすよう働きかけているのではないでしょうか?ぽろぽろとぼろがでる、、というではありませんか。

 

 

 

703)ときたま主人の雷が落ちます。私がろくでもない事をした時。それが今日だった。ある本で人の顔は身体のバランスであるという(チャクラ)卵型は非常にバランスがとれているということ。主人は卵型でおでこも広く、ばっちり均整がとれているのです。本によれば。けれど、そのバランスの良い顔も夜うす暗闇の中でみると、ウルトラマンと寝ている様でもあり、ぎょっとするのですね、いつだったか、子供に江戸村のさらし首のようだと言われたね、、なんていったら雷が落ちました。やはり、、本はしばらく閉じましょう。

 

 

 

702)自分を熟知していればそこからうまれる自分に対する動じない心が生まれてきます。ものに頼る事もせずに、それらが必要ではなくなる。。。占いよりも自身は当ります。占ってあたっていると言う人生も一つ。自分なりに自分を信じて生きてきて、結果、占い通りであった、、それも一つ。この違い。占い=運命、ある程度決められているけれど、人生は自分で幾らでも変えられます。自分をなおかつ知りたければ、なおかつ自分を見つめる事。

 

 

 

701)手軽にカラーセラピー、しましょうよ。難しい勉強も知識もいらない。生活していれば浮き沈みはあるものですが、その幅を少なくするヘルプはいろいろあるものです。テーブルの上にオレンジを山盛りにのせて、ちょっとしゃれたフルーツ皿なんか使えばそれでOK。鮮やかなオレンジ色が癒し効果になります。りんごでも柿でもぶどうでもバナナでも、、、いろいろ果物でもできます。お花でも同じ事。その日の気分で好きな色のお花をどーんと飾ってみて下さい。選んだ色は、どんな色であれ、今必要な癒しの色となると私は想います。洋服も同等と考えます。黒づくめのからすの格好では、いい波動はなかなか難しい。。。資格、知識がなくとも感性で生きている人間の五感はプロ級です。身近なところに星の数程有るカラー。おしゃれという言葉の裏側にはいろいろあるわけです。

毎日数回、お香を焚いてます。朝は白檀。それから寝るまでは好きな香りを楽しんでいます。今気に入ってるのは、ストロベリーの甘い香り。これを家中に充満させながらお昼寝すると、天国にでも行ってる様です。バックグラウンドミュージックはできれば、、歌詞のないもの。自分の波動にあったいい曲を脳へ身体へ送りましょう。私はこれが究極の家庭の医学と考えます。この土台があって、食物のバランスがうまく供給されるのではないでしょうか?土台の無い所へ食べ物だけで健康はありえません。松田家流でございます。

 

 

 

 

 

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