700)今回キリ番のお題は、波動。世の中、、地球上、大宇宙、すべて波動であると言う事です。人の身体も波動。花にもワンちゃんにも、香りにもすべてあります。この人とは気があうのよね!なんていう気も波動。なんだか引き付けられるわね!それも波動。これは何だか嫌な気がするわね。これも波動。プラスとマイナスの極の間を流れる波動なのです。では波動とは何でしょう。一つの事に起こった運動が連続して周期的にほかに伝わっていく事。と辞書に有ります。私的に言ってしまえば、何も深く考える事はない、波に乗ればいい、サーフィンと一緒。。。この波動は人の心と大いに連動している所があると私は認識しています。なので、いかに良い波動を引き付けて、自分の中に取り入れられるかで、良し悪しが出てくるのです。良い波動を手に入れるには、自分をしっかり知る事から始まり、自分自身を受け入れて、自我を捨てる事。そして、笑顔です。笑顔も健康も自分で決まる事。心を穏やかに、優しく持って、美しい言葉で毎日を充実して送りましょう。心優美これにつきます。 子供達の楽しそうな遊んでいる声が、時に妙に勘にさわり、いらつく事が有るのです。この時の子供の声は楽しさで上げている声ではなく、ストレスの叫びとなっているのです。聞き分けてみて下さい。自分の体調ではなくって、周りの波動なのです。なので、このような声の中で暮らしているという事事態、精神衛生上よろしくないと、私は想います。いろいろな波動に気が付けば、心の叫びも見分けられます。病は気からと申します。この気も波動です。 幼い時にお母さんがお腹が痛いと言えば、お腹に手をあてて、頭が痛いと言えば頭に手をあてて、日本の昔昔から有る家庭の医学。母が愛する子供を想う時に流れるいい波動を子供に送っているのですね。私は良く、ものもらいができた時に、母親につげの櫛の柄をひであぶったものを、おまじないと言ってまぶたに3回当てられました。軽くまぶたの上をなぞっただけのおまじない。その時の呪文は、、『あっちゃんのかわいい目目が元にもどりました。』と肯定的な言葉であったことが、印象的です。見事に小岩さんの目にはなりませんでした。母から子への愛。夫から妻へ、妻から夫へ、、、愛は最高のいい波動です。 699)小さな巨人がまた日本から誕生しました。バスケの田臥選手。NBAでプレーするなんて、かつて誰が想像できたでしょうか。想いは届くものなのですね。2Mを超える巨人の中の彼は子供のように見えるけれど、放つエネルギーはそれをも上回る。いいぞ!日本!頑張れ!野球、サッカーに続きスポーツ選手がどんどん外国並みのレベルに到達できる。どうして?それは努力と信念の何ものでもないと私は想います。その気迫が大きなエネルギーをも作るんですね。このような大きな力を目の当たりに見ると言う事は、昨今のいろいろな事象にもひとすじの光とも取れます。 野球は、、筋書き通り楽天の圧勝となり、やはり、この体制は変わらなかった。。。大きな変革として、ライブドアにと想っていたけれど、時期ではなかったと言う事。その時がくれば、また野球界も夢ではないし。。ライブドアの若き熱い変革魂は野球ではない所での活躍が待っているのでしょうか?それが縁。落ちてラッキーとも想う。そんな野球界。ともあれ、今の野球界は取りあえず、続行と言う事で、丸く納まったのでは? 災害で命を落とす人、そして、生まれでる新しい命。その小さな命は多くの意味を持って生まれてきた事でしょう。元気に優しく暖かく育ってほしいと願います。
698)歌舞伎にサンバ。。。市川一門はアクロバット系なら、尾上一門はサンバ、歌舞伎は庶民の娯楽と言えど、伝統芸能に現代の風潮を取り入れる是非は賛否両論であるけれど、良いものは何をしなくとも受けいられるはず。そうでなくとも最近の歌舞伎座はマナーを知らない方々が多く見ずらいもの。私は高いチケット代を払って、サンバを見ようとは、、思わない。
697)災害地のペット/家畜の救助にやっと力がはいってきました。世間では、人間が先、という意見もあります。けれど、昨今のペット事情は番犬から家族へ気持ちも移行していて、その選択に少し寂しさが残っていました。一緒に寝起きをしていれば子供よりも情が移るもの。それは家畜とて同じ事。あー、やっと家族の元に、、と思いながらテレビを見ていたら、ねこちゃんの飼い主のおばあさんが涙ながらにその心情を訴えていました。私もうるうるで見ていて、最後にレポーターの人がお名前は?との問いに『ゴマとヒジキ』とおばあさん。きっとこのおばあさんの毎日食べているものか、好物なのね、と笑ってしまったのですが、、、それほど、ペットは人の一部になっていると言う事だと思います。
696)いかにハッピーに前向きに生きるか。自分に無になれば良いと言う事。自分が無になると言う事は、心がすべてほかに向けられるので、その心が必要な人へ届くのです。自分の心と向き合う事は必要でも、ひとりじめしないで、共有できるようになる事が決めて。まずは身近な人へ向けましょう。他人にばかり良くても、まん中に穴があいていれば、風通しがよすぎて、、、良いものを心に満たして!溢れる程の愛。
695)今までどれほどの国を訪れたであろうか。その中で得てきたものははかり知れない。すでに発展している欧米では成長過程としてはあまり得る事はないけれど、南の島々やアジアの発展途上の国々では、それはいろいろ教えられ、気付かされてきました。無から有を生む、、そんな感じでしょうか。ここ数日、パソコンの調子が悪くて、あまりパソコンの前に座らなかったら、面白いぐらいに、好奇心が湧き、行動力に拍車がかかった私です。パソコンはキーを押せば何でもわかるけれど、それが出来なければ、自分の身体と足と頭を使って探すのです。その楽しい事。どこかの大学でパソコン禁止と言ったことを思い出しました。確かに、それは一利有るのかもしれない。今の人はそーいう意味で苦労を知らないのです。私等はそろばんの時代でしたから。暗算もおかげさまで得意でした。電卓が入試でも使われる昨今。人間の脳の働きが偏り過ぎてきていませんかね?
694)人はいろいろな物から影響を受け、吸収できます。人から人へ、本から、芸術から、動物から、植物から、食べ物から、、、けれど、それを消化するもしないも、その受け手次第。頭で受けるのは簡単です。心でどーんと受けてみませんか?他力本願では受けられないのです。 44才になってまさか天文分野に興味を持つとは思ってもいなかった私。思い起こせばその前兆は春頃から来ていて、何を思ったか、この私が天体望遠鏡を買ったのだから。。。自分でも無意識の買い物でした。即席観測所を設置して夜空を見上げる日々。プラネタリウムはゆりかご、、の認識を改めて、日々、宇宙を垣間見ている私。ただ、、、文字が多くて、専門になると英語。頭を抱える日々でもありますが。今私のおつむは銀河系です。
693)川の流れのように、時の流れるままに、、時空と言う中に自分を置いた時ゆりかごにゆられているような心地よさがある。そこには、願望もなければ、欲もない、精進して生きていればそれなりに流れに乗っていけると言う事。スローライフ。 幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだよ、、大好きな365歩のマーチ。目標に向って前進するも、精進するも同等の事。幸せは、やってくるものですね。そのやってくる道をあけるのも自分。真っ赤な絨毯を敷き詰めてくるでしょうか?生きるって楽しい事です。
692)どうせ何かを信じるならば変わらないものを信じましょう。永遠のもの、愛。
691)短期は損気。怒っている自分の顔やら姿を鏡に写した事ってあまりないですよね。自分がいつも今どんな顔しているか想像してみて下さい。それには、日頃から自分の顔をよく見て、知る必要があるのです。我が家では至る所に鏡があります。テレビのリモコンの裏にも鏡。これは以外と便利で、すぐにひょいと覗けるのですね。鏡に写っている顔はまさに自分です。それを熟知するとちょっとの顔色形の変化もわかり、自己改善のいい材料にもなります。怒った瞬間の顔をばっと見て、ぞっとしたら、もう、そんな顔をしないようにすれば良いだけのこと。顔は心の鏡でもあるので、自分を変えるには、手軽なスタートになるはずです。これをしてくると、だんだん、、短気、なくなります。
690)人の事は我の事。。明日は我が身であります。他人事のように傍観者をしていると、するっと糸がきれる事も有る。肝に命じるはしっかり命じるべき。 誰かがいろいろお話をしてくれたり、アドバイスをしてくれると言うことは有り難い事で、時に意志に反する事でも冷静に対処した方がやはり、いい。とは私の経験上。言われている内が華ですね。
689)昨夜は満月で月の大きなパワーをいただきました。そのお月様。上に上がっていると、白く光っているように見えるけれど、夕方の上がる時のお月様は色もオレンジで大きくて、それは幻想的です。たまたま、夕方車から見えたその幻想的なお月様。目線と同じ高さでかなりの迫力。じーっとみていると、あー、ここは地球星なのね。とつくづく思う私。さながら、今夜はSFXの映画に出ているワンシーンのようでした。 宇宙なのですよ。ここも。そう考えると、いろいろなことをあれこれ悩むなんてばかばかしくなりませんか?
688)苦は楽の種。と私はたびたび言っておりますが、苦と言うのは幅が広く、すべてをひっくるめた苦です。たとえば、親子の断絶、夫婦の不仲、病気、仕事がない、縁がない、、、それらを与えられたら、ありがとう!と私は言っているのです。人には越えられるべき壁と言うのがあって、それはそれができる人に与えられた試練だと言う解釈の元。一つや二つで終わらない場合がありますが、それはさらに成長できるチャンスです。もちろん、当事者がそんなことわかっていたらそれこそ苦労はないのですが、、乗り越えた時、自分が変わっているはずです。変わると言う事は悪いものを取り除くと言うだけでは出来ない事です。苦だけが取り除けても、それは乗り越えた事にはならないのです。それが、気付きであり、目覚めです。私自身も何度、山を超えてきた事か、、自分の身体をもぼろぼろにし、死にたくなった事もあります。けれど、今、その時期を終わって私はそれらの私に降り掛かった出来事の意味が、毎日の生活にいろいろ関わってきているのです。今、私は自分が大好き。それは今までがあったからです。また、壁にぶつかった時、一度はどーんと底まで落ちるでしょう、落ちないかも知れない。私は這い上がる自分を知っているので、そんなことはどうでもいい。与えられたチャンスを生きている間に活かして、それを糧にできれば。。。何の苦労もない人より充実できる、、それもこれも私を選んで下さってありがとう!という気持ちが大事ではないでしょうか。その時言えなくとも、必ず言える時がきます。それが、ひとつの自分探し。
687)以心伝心。その人の事を想ったりすると、連絡がきたり、偶然あったりするものですが、見えない世界ともある。。 私の父は心臓も重症で肺も重症、、でも、たばこが大好きで止められない。止めてほしいと何度も喧嘩もしたけれど、余命の短いとされる人への愉しみを取り上げるのが苦しくて、家族は黙認状態。けれど、家にいた時はどこでも自由に吸えたたばこも、今いる所では所定の場所。それがめんどくさくて、規則をやぶって部屋でぷかぷかやっていたのです。1ヶ月だれも気がつかなかったこの事実を、天から見ていたご先祖様や母がとうとう私に知らせてきました。今日は父の所へ行く予定は全くたてていなかったのに、なぜか、気がせいて、主人のおしりをたたいて面会に出向いたわけです。そこは掃除もちゃんとしてくれるので、綺麗なのですが、なぜかテレビの裏が気になって掃除をしようと裏手にまわれば、、、しっかり灰皿。当然のように、父をしかり、念書まで書かせてきたのですが、、私も父も闇雲にちんちん仏壇に拝んでいるわけではなくて、見ている人は見ているということで、悪い事は出来ないものですね。
686)親しき中にも礼儀有り。日本人は特に、これができない。親子でも。夫婦でも。ありがとう!ごめんなさい!このたったわずかな短いフレーズにどれだけの愛があるかわかりますか?この言葉って、日本語の中でも美しい言葉の中に入る程、暖かな表現だと私は思っています。どんな高価なプレゼントをもらうよりも、主人からの、ありがとうは一番うれしいです。まー。。私はごめんなさいが多いかな??感情表現、もっと使いましょう。自分の為に、家族の為に、、、。言葉でも、手紙でも、やはり、直は気持ちがこもります。
685)目に映るもの、感じる事、耳にする事、生きる事、亡くなる事、、、すべての事に意味がある。だから、自分を好きになって自分に意識をあわせると、その人にきっと何か問いかけてきます。どんな事も悲しい事ではない、悲しい事をも深く受け入れて、その事実を通してのメッセージ。 最近、私のアンテナをリニューアルしました。只今感度良好です。アンテナにつけ加えて、窓も綺麗に掃除しました。沢山の光が溢れています。そしたら、頭の角が少しとがっていたのが丸くなりました。
684)三年前、こんなことがありました。主人が大事にしていた、フィンランドで購入した皮の手袋。寒い国の手袋だけに大変使いご心地も良くて、なおかつ物も良くて痛む事無く20年近く使っていたものです。ある冬、その手袋をはめて買い物に行った時、手袋等必要もないのに、主人はほかの手袋に目移りがして、片方を試しにはめたんです。もちろん、今持っている方が数段良かったので、買う事はなかったのですが、、その後、主人は確かにその手袋をはめたんですが、買い物を続けてふと手許を見たら、片方、、、なかったんです。いろいろ捜しまわっても出てくる事がなかった手袋。主人は反省していました。大事に使っているとやはり、念がはいるんでしょうか?ほかに目移りされて、手袋は心外だったんでしょうね。それ以来、彼は手袋は買いません。そして、片方だけ残った手袋は、彼自身が戒めのために、大事にとってあります。
683)世間一般的に見て、取りあえず仕事も順調、自らも裕福で、、なんて状態の時に、試される時があるものです。人は誘惑/エゴに弱いもの。どんな時でも自身の今は一人で築き上げてきたわけではないので、天狗にならずに地に足をつけることが要です。自分が一生懸命に仕事すると、自分の力と勘違いするけれど、ひとりでは仕事にはならないので、、クライアントがいて、自分がいて。必ず物事には陰陽があるということ。農家の人には大地がサラリーマンには得意先が、演奏者には聞き手が、画家には鑑賞者が、役者には観客が、、、、
682)生きている内にはいろいろ内外的に影響を受けて、自分の考えも変わってくるものですが、私には24年間変わらないものが一つだけ有ります。座右の銘である【想うこと叶うなり】。何故ゆえに24年間このことを漠然と掲げてきたか、、、変わらないと言う事は不変であって、その意味が深いと言う事ではないのでしょうか?そうなってきて今が有る事への巡り合わせと言うか、縁というか、これからも大事にしたいです。 インディアン/アボリジニ/少数民族。。。彼等の守り通し、今もなお実践していることはやはり見習う事が多く、人が生きる上で重要なものだと思っています。災害に対しての対処、環境の変化などなど、、習慣事態に(祈祷であり占いであり未知のパワーであり、、)こだわらず、それに行動が伴っているのです。衣食住、この基本ができているのです。私は何かあると今地球がどうしたこうしたという考えはきっぱり捨てました。見直すべきは生きる基本です。結果はついてくるのです。常日頃から住んでいる土地に感謝し、地球に感謝し、宇宙に感謝し、すべてを愛する心をもって、動じない心。備え有れば患為し。そこから自然に出る家族の絆、愛、その自覚が多くの人に持てれば、、と想います。
681)【感謝】自分に感謝でないのですね。自分の力だけではないのです。私という物に力や勇気を与えてくれた、、すべてのものが相乗効果でできるんですね。感謝って、今までよく使ってきたけれど、漠然?と一定の物への?感謝でした。今、私の感謝はすべてに感謝です。うまく表現できないけれど、目に見えぬ応援団の力は大きいと言う事で、私と言う人間を使ってくれてありがとう!曼荼羅的宇宙感がより身近に感じました。来月のお茶のお稽古もまた違った意味で、曼荼羅が感じられる。。そんな想いです。
680)自分の直感と視覚とどちらが正しいか。。今日はまさに自分の直感が素晴らしいと感じた一日でした。100%方向音痴の私がこの所道に迷わなくなって、すいすい、、と勝手に歩き出しているのですが、今日も何の思いもなく足のむくまま歩いていたら、目に写った光景があれ?っと思うような所で、そこで一途だった私の足がじたばたしだして、、なんだか重苦しい身体をひきずって逆方向に。そこでみた光景はこれこそ全くあれ??と思う所で、結局最初の方向へ行って、、、正しい道である事に気が付いた私です。目に写る景色は方向と光によってダイブ変わるのですね。それに比べたら、直感は左右されないと言う事で。。。いい運動になりました。
679)物に頼り切ってしまうと直感がにぶり、自分が生きてきません。頼るのではなくって、助けてもらえばいいのですよね。前にも書きましたが、神仏に頼む事、石等に思いを込める事、縁起をかついだり、、、結局は自分に言い聞かせているのだと私は思っています。安心感とかでしょうか。その行為を否定はしません。自分に強い信念が湧いてくると、それらは思いを込める事から、応援団になるから。今まで頼んでいた神様が実は自分であることに気が付いた時。。。物は使い用です。ちなみに私は朝晩仏壇へはお経をあげ、神棚には塩/水をあげ、石をかわいがっています。どれも私のお友達です。
678)世間一般常識とか、、、このサイトの最初の頃書いたけれど、最近では常識/非常識は論外、人としてということがかなり目立っていると思います。世の中が豊かになって、自分の欲が大きくなって、自分のことだけでそれが世間でどうなるか、世の中でどう受け止められるのか、、、判断が狂ってきてしまったのでしょうか?59歳にもなる教諭が肝試しに被爆写真を使ったという、配慮が欠けていたという次元での処理に疑問が残ります。このような態度が核に対する意識の違いを産んでしまうのではないでしょうか?やっていいことと悪い事の区別。難しい事なのでしょうか?
677)仏事を経験する程お寺通になって、、、今までは浅草のこじんまりしたお寺が際立っていましたが、今日の新宿のお寺も唸ってしまった。住職さんの考え一つで、檀家さんの扱いも変わるのね。今日のお寺さん。お経を読むたびに説明をしてくれて、一緒の読経。49日までのいろいろをおつむ弱い私でも理解できる程、うまい説明でした。白木のお位牌の意味やら何やらすべて、、ここで眠る皆様や叔父や叔母は間違いなくいい世界で暮らせるでしょう。と思えるくらいの凄さです。もっと話を聞きたかった、、、こんなことお寺に来て初めてでした。我が家と同じ宗派。けれど、天と地程の差が有る。供養を先にするこじんまり系と、商売になっている大きな有名なお寺と。。。私はお墓という形態にはそろそろ限界を感じていますが、仏事は継承してほしいので、今日のようなご住職さんが今後増える事を切に願います。
676)愛は強い。ほんとに強力。夫婦でも親子でも恋人でも、、この愛を感じさえすれば、何も恐れる事無いです。一方通行は半減ですが、、愛で満たされると精神面が充実し、やがて事象への充実へとつながるのではないでしょうか?
675)自らの自然の力を活かすには考える必要等ないと言う事。何何しなければ、、やってみようと思う、、そうしたいと思う、、それらの気持ちを忘れて行動する。要は何をしたいか。今したいか。自分自信が動かない事には道は開かないのです。願っているだけでも、思っているだけでも開かれるものではなくて、その自らの動きによって導きが得られると、私の考えです。それこそが生きている上での無だと実感している私です。
674)人/人体とは使えば使う程面白い物体です。下手なパソコンよりもたくさんのソフトを満載しているのに、そのソフトを使い切れない事が多いのです。あらかじめついているお徳なソフト。活用しなくては勿体無い。 普通機械ものには、取扱い説明書なるものがついてくるけれど、人には説明書がないのです。携帯やパソコンの説明書を読まなくても、あれこれいじって失敗しながら、だんだんに使えるのが機械。それこそ、説明書を読めばどんどん活用もできるもの。人は最初から説明書がないのだから、自分であちこちいじって失敗しながら、学んでいかねばならないのです。先人が開拓してきたいろいろな知恵を学び実践してみると、試行錯誤でそのソフトが使用でき、新たな引き出しもできるわけ。この世でいくつの引き出しを持てるか、、、毎日が勉強で修行です。かくゆう私もその一人。
673)まるで心を見すかされているような時がある。私の気にしている事がその人のチョイスの中で選ばれて私の元にくる時、とても不思議なものを感じます。
672)八十歳を超えると会話の端々に、子供に迷惑をかけずにぽっくり逝きたい、、と願う親の気持ちが小さな身体から溢れ出る。けれど、その逝き方は神様が決める事だから、自分ではどうしようもないと、ただただ、大病しないよう頑張ると。。。私の叔母である。私が彼女に言える事は、その子供への気遣いと、自分の身体への思いが有れば大丈夫。願いは届くよ、って。だからそんなに後の事ばかり心配しないで、一日一日楽しく送ってね。一見、か弱そうに見える叔母も足腰体力はおとったものの、口は減らない。まだまだ後10年は2時間の会話が楽しめそうです。私の周りには元気な八十代が、、、沢山います。共通点は、精神が強く、やはり苦を種にしてきてるということ、そして今もなお修行中。 寿命はもともとみんな同じに与えられているのだと思う。短くするも、長くするも、自分次第でもあると思う私です。けれど、今年は自然の猛威でかなりの方が先に逝かれて、、、不本意であったろうけれど、その苦しみと悲しみが少しでもとれる様、この小さなサイトから御冥福をお祈りします。そしてそれらで犠牲になられた方の思いが無にならぬ様、災害を免れて今こうしている私含めてすべての人が感謝できるように。
671)何か悪い事が起こると意気消沈し、罰が当った。。と思うもの。確かに。事象にはそれなりの意味があるとも思います。その何かは今までのことかもしれないし、これから起こる事へのメッセージかも知れない。ただ単に、落ち込むよりも、その事に対して、教えてもらったことに感謝して、それらに対処すればいいと思う私です。意味付けにこだわらなくとも、心がピュアーになれば自然に答えは得られる、、と。 何かを想定したときに順調に進み、笑顔が増えていればそのチョイスは正しいのでしょう。仮にいろいろ問題が持ち上がってきたら、もう一度良く見直してみるとか、持ち上がったものをクリアにしていけばいいのです。また、そのチョイスが正しいと導くにはそのように意を持って進めばいいのです。人の意見ではなく、チョイスの道を決めるのは自分です。一旦決めた道は迷わず進め!です。迷いは挫折へとつながる私は思うのです。私の信念は、迷うなら止める、時期を待つ。
670)自分がこの人!と思う人のアドバイスはすんなり、なんの迷いもなく受け入れる私。でも、だっては、そのような時にはないのです。けれど。。主人の言う事を今一つ受け入れてこなかった私。そう。同じ事をアドバイスされても。主人が凄い人で私の指導者であると認めていても、どこかで反発していたのであろうか?私の前で特になにもしていない彼のアドバイスが雲をつかむようであったのかも知れない。けれど、ここ数日,その私の気持ちもきっぱりと白黒ついて、さっすがー!やっぱり私の夫だ!と改めて尊敬している私です。いままで素直になれなくてごめんね、ダーリン。あなたはやっぱり私の光です。ありがとう! いろいろ変化の有る中で、これが知りたいと思う事を口にすると、私の前にポンと10冊以上の本がすぐに置かれる。私にとっての主人は魔男です。しかし、彼の差し出す本はどれも頭が痛くなりそうで、、却下。なので、話を延々と聞く事となる。。。
669)若いとか老けているとか、見かけで判断される事と、気持ちや行動で判断される事が一般的でしょうか。7年くらい前に急に白髪が増えて、とても気にしてカラーリングなどをこまめにしていた私。けれど、今は自然体。白髪が出てくる理由はいろいろ有るけれど、これも私。一つ一つ成長してきた証と白髪にもありがとうです。白髪が増えても変わらないと言う事が理解できた時。気は心と言うもの。白髪ができた、やだーっと思う気持ちが白髪=老けるだったのです。なので、白髪もいいもの味なもの、、なんて思うようになったら老けているという意識が飛んだのです。自分は44歳、まだまだひっよこ!なんて気持ちでいると、肌もいきいきして少し若く見える様です。
668)自然。人を癒し暖かく包んでくれる天からの贈り物。その自然がひとたび暴れ出すと物凄く強く、何ものも容赦はない。静かな海等を見ているとほんとに気持ちもリラックスするものだけれど、荒れた高波、うねり、、、見ているだけで竦んでしまう。やはり、、優しさの裏返しは強さなのですね。その自然とうまく共存するには、昨今の動物同様、何かの掲示ではないでしょうか?人として大事なものをしっかりと見つめ直す、今はそんな時期なのでしょうか。 災害に対しての対策も、、問題の様です。危機感のない国民ですが、今年にはいっても度重なる災害。独り独りが危機感をもっと強く持つ必要性を感じました。災害マニュアルも日本は古いものばかり。こんなに近代的になっても、参考にしているのははるか昔の事例。
667)どうして?なんで?ということにこだわらなくなると、なんの疑問もでなくなって、絶対的な直感と言うものになり、筋道がたち、その想いが現実のものとなる私です。第三者の人はそんな私を、どこからそういう風になるのかと、疑問に想う様ですが、その疑問も私にはわからなく、そうであるから、そうなのだというより、ほかないのです。変わり者と言われても、仕方なく、それもそうだから仕方ない、、けれど、それでも主人とつながっている夫婦。変わり者なのでしょう。
666)宇宙には宇宙そのものがあるだけで、宗派や家柄や国籍,資格等、なんら関係の無いのものですね。
665)連日熊が人間を襲ったと言うニュースに加えて、今日は子熊までも捕獲されている映像を見て、熊は悪くない、、、と思う私です。近ごろは猿や熊やウサギやたぬきが道路までも平気で横断している。それは彼等の縄張りまでも道路にしたという見方も有るわけで。。熊だって猿だって襲いたくって襲ってるのではない。生きて行く為の手段。逆の事だってこれからは十分にありうる。。人間にとっても動物にとっても不幸な接触がなるべく起こらない様願う私です。共存するには距離が必要で、テリトリーも重要で、そのテリトリーを先に犯した人間の罪。
664)本を読んでわかる事と、体験してわかる事では天と地程の差が有ると言う事。このサイトで知識人はかちんこちんと常に言い続けている私です。キャッチするアンテナが違うのだから、理解の程も違うと言う事です。本よ読む事は知りたい事が目の前にあって合理的であるけれど、その分、自分の実がわからない。錯覚。自分が知らない事を知っただけということです。体験は知るべき事を知るのです。その違いは大きいと言う事です。本を読む事は悪い事ではないのです。ただそれで全てが自分でわかったと言う事にはならないという事。自分に当てはまっても納得しても所詮は人のものです。百聞は一見にしかず。 求めるものは必要なものは必ずその必要な人に来ます。そして、その過程もしっかりと道となってあります。その時期その時期を大切にすごし、経験は何にも勝るもの、苦しみも悲しみも、楽しく幸せになる為の種だと私は想うのです。楽して良い事は得られず、楽で簡単な事って実は奥が深いのです。
663)自分を鍛えるということは、精神を鍛える事であると想う私です。肉体を鍛え上げても精神が伴っていなければ、強さは出せません。精神を鍛えるには座るのが一番。自分を切り離し、どれだけ自分を見られるか。それにつきると今日はっきりと確信しました。雑念/欲が多い時にはじっと座っていられないもの。腹の座った、、なんていうように、上虚下実で座る事。それによって、自己免疫力も高まって、健康にもなるのです。ただし、スパイスが必要。人に無償の愛を注ぎ、感謝の気持ちを心から持つ事。このスパイスがないと、完全にはなれないのです。 今から10年ぐらい前に、始めて瞑想をした時、涙が止まらなかったことが思い出されます。ピュアーな心になると、ちょっとしたふれあいでも涙が出る、、そんな時期もありました。同時に不健康でもあった私です。以来、欠かさずに瞑想を続け、涙はでなくなり、健康になり、インスピレーションが高まりました。インスピレーションが高まると、見る目が出てくるのです。瞑想/座禅は私そのものです。 自分はこうでなければいけない、これをしなくてはいけない、今日はこれを覚えるのだ、これをするのだ、、このような自我/テーマはなくなり、自分の道が見えてくるとそのように道が用意されてくるもの。だから私はその道を歩くだけです。何の負荷も気負いもなく。。
662)現在/過去/未来/。。といろいろな次元があるわけですが、自分が実感としてわかるのは現在と過去となります。タイムスパンを見ていく時にやはりいっしょくたにしてはいけないという事。過去は過去。この文字を書いているその数秒前も過去。そして現在は今。私の考えは今を充実して過ごせない人は過去も未来も充実はないという考えです。過去にこだわって生きている人には、充実した今はないはずです。今を充実していくと言う事は、しっかりと過去を引き離し、客観的に見られるようになります。なので、その過去を土台にもできるのです。同様に、夢見る夢子さんで未来像ばかり描いていても、今を充実して送れなければ、それは絵に書いた餅となるのです。夢見る夢子さんと、目標を持つと言うのはまた別物。目標は今があっての自分への課題であると私は想うからです。なので、今を大事に充実して生きると言う事は、とても大事という私の考え方。時は金なり。時間とは自分にとっての貴重な財産です。そして、その一瞬は後にも先にもその時だけなのですから。。。
661)この世の中をうまく心地よく生きるには独りでは限界があるのです。【人】という文字は一本の線が2つ、寄り添って人なんです。地球もそうです。生きているものには、男女、雄雌、おしべめしべ、、があるようにすべて対。陰陽です。結婚がベストとは言い切れないけれど、必ず男女があってその上に幸せはついてくるもの。伸びている企業の社長さんは夫婦、恋人必ずいますよね。一人では所詮片足立ちなのです。いつまでもつでしょうか。。生きる基本は男女であって、寄り添い、支えあい、そして家族となって。。。その根本が崩れたりひびが入れば、そこそこまでたどりついても、極限の境地には到れないと、私は痛切に想い感じます。
660)類は友を呼ぶと言うことは良い方向にも悪い方向にも行くという事。自分と言うものを錯覚して捉えていると、間違った方向へどんどん進み自滅する場合が多いです。助け助けられ相互関係が成り立ち友の輪が広がるような、いいおつきあいができることにこれから重点をおきたいなー。。なんて。足の向くまま気の向くままも無鉄砲よりも有る程度的を絞った方が充実感はあるというもの。
659)自我を捨てる、エゴを捨てる、今までそうしてきていたつもりでも、生活していてそう簡単でない事に気がついた私。それほど自我/エゴのコントロールは難しく、これが本当に24時間なくなるにはまだまだ修練が必要なのだろう。ましてや、この世の中でそれを敢行するには並み大抵ではないし、またそれは生きていて、社会にいる以上あり得ない事でも有ると気がついた私。その中でどううまくコント−ルをして、自己レベルをキープするか、、 以前、山中で三週間ぐらい業をしたことがあって、その時はほんとうに無でした。その無と言う事を実感できたのはラスト2日。その無を現実社会でつなげられない、けれど、それも業。意識しながら無意識にできるよう、それが私の目標。
658)愛は最大の薬。
657)自分に変化が有る時はすべての見方も変わってくるもので、今、たまたまカメラに凝っていてそのレンズに写し出すアングルの中の世界を覗いていると、新しいものが見えたりもして、ものの考え方や見方も変わってきました。要はそれを自分で受け入れて消化していく事。へー、そーなんだ、、で、終わらせてはそこで幕引きとなってしまいます。あー、こーいうのも有りね、と取り入れた瞬間から人って変わるものです。心をオープンに頭を柔軟にしているとこの作業も楽にこなせるもの。かちんこちんの頭はどこまでいってもかちんこちん。
656)今日、ある体験をしてから私の置かれている位置関係がはっきりとかわって、何と言うか、、大宇宙と地球の地下を私が串刺しになっているような、今までの宇宙の一体感はふわふわと浮いていた私であったけれど、はっきりとつながったという心地よい感じです。加えて主人と違った意味でまた一体感を味わえて、こんなにうれしくも幸せな時を迎えられた事に感謝感謝の私です。 人の巡り合わせは縁と言うけれど、その中でも縁の幅は広いもの。袖ふりあうも他生の縁というけれど、磁石のように引き付けられる事も有る。機は熟したというのはこのようなことなのだろうか。その縁を迎える為の今までのさまざまな事象に説明がつくのもまた不思議です。物事にはやはり、プロセスがあるのですね。
655)教員の適正診断を踏まえた免許更新制度が見直されると言う。やっと腰を上げたと言う感じでしょうか?教員のみならず、医者/看護士/弁護士/裁判官/などなど人を教え指導する立場の人は皆さんそうあるべきだと思う私です。車の免許更新と同じ原理。免許必要なものはすべて更新制度にするべき。
654)自分の思いが一つ一つ現実になっていくということは、自分のそれに伴う行動が間違っていなかったとの証ではないのかなと思います。やぶだらけの路でも自然に歩く所が見えてくる、そんな感じ。今の私はまさにその路をしっかり歩き出し、一歩一歩確実に登っているという手ごたえを感じます。44歳にしてはじめて、両親に産んでくれてありがとうと思えた時。この気持ちは何よりも重たいです。今時の若い子はすぐに産んでくれてありがとうというけれど、そんなに簡単に出る言葉ではなかった私。今、やっと諸々が見えてきて、心から感謝の気持ちで一杯です。そして35歳から始めた自分探し。やっと形になってわかってきた。秋の抜けるような青空の元、晴れ晴れと心身共に浄化の私です。 見せ掛けだけの幸せをつかんでもいつかもろく壊れるもの。上手くいっている、と思っても諸々障害が出てくる時はまだまだと言う事。人生の修行はそう甘いものではないですね。これからも一山二山と越えていくにあたって、うぬぼれは身を滅ぼすと言う事。みんなで登る山ではないのだから、、、
653)なんで私の人生ってこうなんだろう、、仕方ないこれも私の宿命。。なんてマイナス思考になっている人はいませんか?今の生活や自分を諦める前にうまく人生をエンジョイしている人をお手本にすればいいだけです。それは、今までの生き方を否定することとなりますが、それがその結果だとしたら、変えなくては変化はあり得ないのです。持って生まれたものでも、自分の頭一つでいかようにも変えられます。生活も健康も全てです。自分の価値観は自分だけのもの。その小さな枠を飛び出す勇気があれば、それは叶うのだと私の経験から思います。実の笑顔は心の鏡、心は広く豊かであるように。
652)感情の表現は様々で、嬉しい時に万歳をしたり、抱き着いたり、飛び跳ねたり。日本にいる時に手をあわせる事は仏事の時と、仏壇/お墓参りぐらいだろうか。所変わってひとたび海外に行くと、頻繁に手を合わせている自分に気がつきました。とってもうれしくて感謝している時に自然と手が合わさる。。。言葉も習慣も違う所での心のふれあいって神仏並の貴さなのかな?【ありがとう】の表現方法もいろいろ有る私です。 20代の女の子にたまたま着物で接した時に、私の挨拶を彼女は非常に感心し綺麗だと絶賛していました。彼女はそのような挨拶を見た事もした事もないとの事で、、自分ではその姿を見る事はできないけれど、そんなに驚く程のいい挨拶ができた私は、少し成長してきたと言う事でしょうか?ではその姿勢を崩さない様、これからも清く正しく美しく。。
651)先月だったか、台風りんごをスーパーで格安で買って食べて、ほんの少しの傷でも破棄処分になるというが、甘くて美味しくて、どうして??なんて思っていたら、今日、また台風りんごを売っていたので早速購入。通常販売のりんごより大振りで半値以下である。見かけは全く問題なく、これが台風りんご??と首をかしげる様。味もとっても美味しくてこれを破棄したら、それこそ罰が当りそうだと思いました。キャベツもそうだったけれど、ちょっとのことでせっかく作った地の贈り物を破棄するなんて、食べられないのならともかく、物を粗末にするのと全く同じ事。人間も食べ物も外見ではない、中身です。 あるホテルのバイキングでの光景。派手な格好をした親子がフルーツを山盛りとって、どれもこれもまん中の甘い所だけ食べて、あとはおしまい。親子揃っての良いとこ取り。こんな親に育てられた子供は気の毒。物の有り難さ、大事さが分かればこんな食べ方は出来ないはず。食べ物の食べ方でその人が見えますね。世界には食べられない子供達が大勢いる事、認識してみて下さい。この世に食料危機がきたら、このような食べ方をする人が増えている証とも思える私です。人が育てて作ったもの、自然からの恵み、それらに感謝しないと。それで生きているのですから、、お金が有るから大丈夫、そうですかね???
650)拉致のニュースを見るたびに胸がつまる思いをするのは私だけではないであろう。どれほどの人が数十年自国を離れた生活をしているのか。。脱北者や先に帰国した人達は重要なことを多く知っていると思う。それを踏まえての家族の返還要求があるとも思える。そうなると、なおさら政府の対応は歯がゆくいら立ちの多い事と察するばかり。国民一人救えずどうして他国を支援するのか?矛盾している。イラク等への支援には一般の人も大分協力的に政治に関れるのに、北朝鮮にかぎっては、芸能人/政治家と招待されてお楽しみの割には成果がないようです。拉致の家族にとっては友好関係なんて夢の又夢。敵国となっているのだから。
649)感謝の気持ちがない人には不思議と涙がでない。。どうしてでしょうか?涙は悲しいだけではなくて、心を浄化してくれるもの。だから、涙を流した後は以外と晴れ晴れした気持ちになります。自分の身体は自分で浄化できるシステムになっていて、下痢/発熱/涙。すぐに薬を飲むのではなくて、ある程度出し切るといいのです。明らかな原因が有る場合は別ですが。。。人間という動物の構造システムを一つ一つ見ていくと、いかに原始的スタイルか分かります。世の中機械化が進む中、人間も混同してしまうとシステムが余計に狂っても来ます。
648)BSE問題で牛肉の検査が問題になって数カ月。この平行線上に見える国民性の意識の違い、もともと日本はネガティブ思考で、何でも NO出し。けれどアメリカはポジティブ思考で言い所をピックアップして伸ばす式。ゆえに、人も育たない結果となっているような。。。
647)専門学校とういのは大学等と違って、手に職をつけるという意味で、一つの事を重点的に学ぶ所。将来的に明るい学校と言うイメージがあったけれど、昨今の就職事情により、ここでも学生が身に付けた技術を持て余している社会。自分で会社を起こしたところでそこでどのくらいの人が花開けるか。なかなか厳しい。いいものをもっているのにその活躍の場が与えられない日本。企業の社長さんの考え方一つのようにも思います。経営学は知識だけではなりたたず、感性と信頼がものをいうのでは?どうしたら広く受け入れられるのか。。。起業家の育成に力をいれるべきでは?経営そのものは、学問も知識としては必要だけれど、実践がものをいうので、それをどのくらいサポートできる体制にもっていくかが要だと私は思います。
646)世の中いつの間にか合併の嵐。市町村から企業から野球、、、それらの決断はすべて上層部の判断。利益追求だけの合併、目先の事だけの合併。それによる人々の葛藤等無視。人々があっての市町村であり企業であり野球、、であるはず。小手先のことでいいのかな?なんて思いますが、、経営する上で利益は必要不可欠であるけれど、削減と言う事をなぜしないのか?無駄が多いから利益も上がらない、人のお金という言い方は妥当かどうか分からないけれど、領収書で計上する部分があまりにも多いのが日本の体質なのではないでしょうか?若い世代の人がどんどん価値観を変えて取り組んでみたところで、体質一掃するにはあと50年以上はかかる。一度築きあげたマニュアルの変更は難しい。 この点に疑問を持つ元気な人は企業と言う枠から飛び出し、己の信念に基づいた会社作りを始めている。大企業と言うブランドからの離脱です。これからはブランドだけでは経営は難しい時代、人の立場をいかに分かり実践できるか。中小企業の極め細やかさが結局は強いのだと思う。社長と言う肩書きをどう自分が受け止めるか。リーダーであるだけではなく、同士であるということがキーポイントだと私は思います。
645)何でもかんでも占いに頼る人って、、、占いで人生決めちゃうのでしょうか?占いは統計学であって目安に見る程度ならいいとは思いますけれど、その通りに動いても、、気は持ちようです。良いとこ取りぐらいに見た方が生きていて楽しいとは私の考え。信じる事はいいことですが、度を超すとかえって害となる事もあるのではないでしょうか。
644)仲間割れをしつつも自分の信念の改革を押し進めるライオン総理。一匹狼的で、すてきー!なんて言う人もいる様ですが、やってる事は。。。。ちっとも素敵ではありません。自衛隊派遣の頃から何かに取り付かれたようなこのお方、危険人物的要素が大きすぎる。ライオン総理はもはやアメリカのぽちではなくて、分身のようにすら見えます。それでもおとなしめの日本人はこのまま議論を交わしながら、このお方の意のままに動いてしまうのであろう。庶民にできる事は、自分の身は自分で守るべし。これしかない。悲しい事ですが、今の日本の中枢は私的にはテロ同然。これが欧米社会なら庶民が一丸となって、政府に対抗もするところですが、日本人は私も含めて、誰か先に立って、、式。他国から見ればまとまり有るこじんまりとした国では有るけれど、家族の絆同様、核家族の集団では一丸にはなれないのですね。
643)笑顔が顔いっぱい広がるのはいいことです。その笑顔を見るだけで、こちらもわくわくしてきます。人間だもの、嫌な事のひとつやふたつはみんな有りますよ。それをいかに自分で素早く消化できるか。自分の事は自分が一番わかっているはず。気は心の持ちかた一つでも有ります。笑顔だと言葉も元気になるものです。今までの自分/考えをすぱーっといさぎよく捨てれる人は、人生をも上手く開拓できる人だと私は思います。新しく生まれかわる自分を作れるのも自分です。捨てたものは形としてはなくなるけれど、自分にとっての飛躍の土台となるはず。
642)大型台風が去った後も、尚も続く秋の長雨。台風一過とうのは当たり前と思っていただけに、当たり前が当たり前ではないと言う事実がわかった時期でもありました。梅雨が短かったので、雨量とすると、ここでこれだけふって良いと言うわけでしょうか?自然は一年というスパンの中でプラスマイナスを作動してくれる優れものなのですね。主婦にとっては、秋のこの時期は気持ち良く、からっと衣替えをしたい所ですが。。。けれど、秋の長雨は作物を不作にするものと、豊作にするものにわかれ、野菜は高騰、松茸はでまわるで、うれしいやら悲しいやら、、
641)何でもそうだと思いますが、一日一生懸命に頑張ったからって、それで成果が出るわけでもなく(長い目で見た場合)、たとえば修行僧がたく鉢に歩くのは雨がふろうが雪がふろうが、同じ場所で毎日毎日その行をするわけで。。一日だけの事は誰でもできるのですね。けれど、その精神力を長い時間うまく自分でやりくりしながら連行するところに一つの達成感もあるのだと私は思っています。そして、1ヶ月の行の中で苦痛から無になる時を体感する、それが修行だとも思っているのです。来週から新たな行のはじまりを迎える私としては、その1ヶ月の中での苦痛から無への境地の為に今まさに心を落ち着けて、静かにその時を待っているわけです。 ただ、インド等で今も行われている、自分の身体を酷使してまでもの行には少し疑問もあります。ぬるま湯につかっていてはいけないけれど、酷使する必要もないし、適度な刺激とむちがいいのだと私は考えます。なので、気持ちが弛んでくると、自分を戒める為に、自らかかげた行をこなしていくのです。しっかり準備もして、準備期間の間はいつもより自然にふれ、気をよく回しておきます。
640)人を変えようと思ったら、まずは接する自分が変わるのが一番。話しても分からないのが人間の性。その人の事を思うならば自分が変わって態度で示すべきではないでしょうか?何でも原因があるのです。その原因は接する側と言うのが結構あるものです。しらずしらずの積み重ね、なれ合いから至っていることもあるのですから。
639)毎月12日は母の月命日で、この日は何があってもお寺に足を運ぶと意を固めて2年。このことがいいとか悪いとかではなくて、私自身の負いでもあります。残された家族が幸せに暮らす事が何よりの孝行と思っていますが、どうしても身体と時間を使わないと気がすまない私です。お寺へ行くにはもう一つ愉しみがあって、御住職夫妻と少しの世間話をしてくる事。ここの御住職は仏教を説くわけでもなく、年輩者的発言をするわけでもなく、ほんとに普通のお話をして下さって、それがいつも心を癒してくれて、知らず知らず説法になっているのですね。徳の有る人は皆さんそうなんですよね、普通なんです。その中で一つでも感じ取れたら私の成長に役に立つのです。こちらの奥様のようにいつも物腰柔らかい会話は私の理想です。まだまだ先走りの私。あと20年後。落ち着けるといいなーと思います。
638)人から受けた親切が身にしみるように、自分も人に対してはそうでありたい。 電車やバスに乗っていてたまに思う事が一つだけあります。シルバーシートというのがあって、年輩の方や身体の不自由な方や妊婦さんなどに席を譲ると言うシステム。確かに、健康な人は立っていればいいわけで、その方が健康でも有るけれど、今の時代年代では区別が難しい時もあって、大荷物でくたくたで乗り込んで、たまたま開いているシルバーシート。やったーっと思い座ると、そこへ足取り軽くリュックを背負った元気な年輩の方が来たら、、譲るかな?寝たふりするかな?と考える時もある私です。また逆に犬をだっこバックに抱えてコートを着ていた時に、妊婦さんに間違われて席を譲ってくれる方もいて、犬なんです、、というか(無賃乗車)、大丈夫ですと断るか。。一瞬考える私です。親切とは時に問題となるものです。
637)イラクの外交官の人達が日本を視察し勉強をしにきているそうで、この人達の『人生は厳しいですね』という言葉が印象的でした。けれど、日本に召集された彼等はいわゆるエリート。日本が途上国の中でお手本の国ならば、私的には闘っている人達にこの日本を見ていただきたいと思いました。自衛隊にお金を注ぎ込むよりも、戦争に闘志を燃やしている若者達に、子供が学校で学ぶ姿、戦争のない平和の国を是非、その目で見て、感じてもらえればと強く思います。新しい政権を作る人が見ても、なかなか伝わらないものでしょう。それだけイラクは拾集がつかなくなっているのだから。
636)手先の器用な人は頭もいいのだろうか、とちいちゃな頭をひねりながら今マジックに見入っていました。先日も折り紙の芸術を見て唸った私ですが、、1m以上もの紙を折ってたたんで裏返して、、、それを細かく図面まで起こして、その図面を見ながら折る人もいるという、人って凄い生き物です。マジックも自分で仕込んで披露するのだからどんな回路になっているのか不思議でならない私です。超能力もマジックも何がなんだかわからない世界になってきました。マジック=魔法。まさにきつねにつままれたようなトリック。
635)運命。持って生まれたものだけに自分ではどうする事も出来ない場面も多々有ります。自分自身多くの苦難に直面しながら今にいたり、数奇な運命を背負う人から比べたら、どんなにも幸せな状況にいるか、そう思うと私の経験してきた事は一応乗り越えて来れたのだから、やはり感謝の運命でしょうか。同時に、先にこの世を去った母親や叔母や祖母の言葉以外のメッセージが痛切に胸に響きます。自分を犠牲にしてこの世に生を授ける人もいます。それも宇宙の縁。それぞれが今生活できる環境と、自分というものの価値は大きいと思う私です。いろいろなメッセージを受けて、この世で生きる。なので、その与えられた命を自ら絶つと言う事は、やはり、考えなくてはならない事だと思う私です。
634)子供の運動力が低下しているとニュースになるよりも、子供が運動しなくなった理由は明白なのだから、それを改善せねばただの世間話しで終わってしまうのでは?除菌ブームで泥遊びを否定し、塾通いで放課後の遊びを否定し、テレビゲームでダメにして、、今学校では部活事態が無くなってきているという、教師のサラリーマン化。放課後(残業)まで付き合う先生がいないそうな。。結局、子供の問題ではなくて、変わってしまった大人の問題、と私は捉えます。授業短縮で学力も落ちて、そのうえ体力まで落ちて、体力が落ちると言う事は正しい食生活も送れないと言う事で、エネルギーも湧かないので生活も張りがない。結構重要な問題だと思います。古い事を塗り替えるよりも、それプラスで広げていく方が意味があること。温故知新。今の親の世代が年輩になったとして、その言葉には重みは感じられないのでは?私はこんな時代だからこそ、昔話が神話がおとぎ話が役に立つと思います。というより、すでに私の生活には役に立っています。
633)生き甲斐。。ほとんどの人には何かしらあると思う生き甲斐。仕事、芸事、子供、趣味、、そもそも生きる張り合いなのだからプラスエネルギーが働くはずのものだと思うのですが、時とし、恨み、憎しみ、小言、けんか、不満、とマイナスエネルギーに傾いている人もいるわけで、本人は自分の意のままにしていることなので意識はないのでしょうね。第三者からみると、その行為は自分の首を締めているようで、良いものを持っていてもそれさえもかくしてしまう。性格になってしまうと、中々直らないものだけれど、違う方へ興味を持っていける様、自身を顧みたり第三者の言葉に耳を傾けるのもひとつ。 小言や恨み不満を持っている人は、小出しにしないで1時間でも一日でも話し続けるか、ノートに書けばいいのです。心にためないで吐き出す事。もうでない、、というまで吐き出す事。何日かかっても、吐き出す事。それしかないです。これができる人はきっとプラスエネルギーに変えられると思っている私ですが、かたくなに出来ない人は、、、自分で気付くまで。たぶん、優しさがキーポイントになるのではと思う私です。第三者の優しさがその人の心に変化をもたらすと。
632)イラク自衛隊は撤退どころか人員を増やす方向。各国が撤退をしている中、イラクへとどまって何をするのか疑問を持つのは私だけであろうか。困っている人に手を差し出すのは良い事では有るけれど、順番があって、、、自国が低迷の中人助けもないものだと思うのです。ここはケリ−氏に逆転勝利を期待するしかないようです。拉致問題でも、永遠に穏便な態度を貫き通すそのやり方に、誰も何も出来ないのも歯がゆく、国民をも救えない国になっている。国民に優しくない政策、、郵政民営化に力を入れるよりも、自民党の破壊に力を入れるよりも、年金とか拉致とか直接的なものを優先していただきたい。
631)今年は日本にも台風やら何やらの天災が相次いでいます。世界でも様々な事象が起こっていて、世紀末だとか、なんだとか、、いろいろおもしろおかしく興味をそそる材料にされています。年回りと言うのでしょうか。長い歴史を振り返ると、同じ年回りには同じような事が起こっているのも事実。このような時期は天からの課題です。生き方/価値観/危機感、全てを見直す、そんな時期ではないでしょうか。今後の発展はこの時期をどう過しどう乗り切るかで決まるような、逆に人として大事な時期であると私は思っています。仮に世紀末としたら、元は人なのですから。
630)民主主義国家アメリカの大統領選挙目前で、テレビ討論は激しい火花を散らせています。国民参加型のこの選挙。テレビ討論会を見ていると大変面白しろく、興味の有るものです。同じ民主主義国家?の日本もこのような形であればもう少し一体感が出てくるのでは?国民が選んだ代表が選ぶのでは、ちょっと物足りない今の政局です。だいたい、、、代表も本当の代表ではないのだから、ここから不信が始まっているのだとも思います。けれど、日本は、、ライオン総理の後を引き継ぐ人材がいないのも、また事実。そのシステムを作り上げたのは役人でありその役人の荒廃ぶりが目に余ります。いっそのこと、アメリカのように政権が交代すれば役人も交代するシステムになればこれほどひどくはならないはず。欧米のいろいろを取り入れ真似をしながら発展してきた日本も肝心な所は真似できないでいる。
629)子供の安全確保の為に、ICチップをはめ込んだカードを子供達に持たせて、家から学校の通学途中を監視できるシステムが各自治体で試されていると言う事。賛否両論有る様ですが、、、子供の自由気侭さを奪うもので反対と言う人。そうでしょうか。自由気侭がゆえにこの時代は有る意味危険ゾーンなのでは?都内では各家庭で警備会社と提携したり、携帯電話で追跡したり、、何かあってから騒ぐよりは、多少の束縛もいたしかたないのではと思う私です。子供は所詮子供で、大人のような判断はできないのですから、親が学校が守らなくてはならないのでは?子供がたとえ寄り道したとしても、どこにいるかぐらい知っていてもそれは親のエゴでも、束縛でもないし、知らない親が多すぎるこの時代。私はこのシステムは賛成です。一度出かけると糸の切れたタコ状態になる主人にも持たせたいぐらいです。
628)国民栄誉賞を辞退したイチロー。できる男は姿勢が違うものですね。まだまだ働き盛り延び盛り、最高の賞は人生のまく引きの時とは、素晴らしい精神修行者ですね。今の地位に甘んずる事無くさらに進む彼の姿勢は私の持論と全く同じ。私もいい気をいただきました。どこかのコメンテーターが早く賞を渡せる日が楽しみだ、、なんて頭の悪い事を。。それでは早く引退しろっていってるようなもの。愉しみは先送りです。
627)57歳の主人と44歳の私と、健康診断無事クリアで何でも好きなものが食べられるこの身体に感謝です。亡き母は全身性エリデトーマス/膠原病でいろいろな関連から食事制限を余儀無くされ、それを目の当たりにしてきた私は、人は食べれるものが食べれなくなったらこれほど辛い事はないのだ、、と思いました。いつも食べていた果物もご飯もすべてカット。病気によっていろいろな制限を受けると言う事は、それなりの生きざまにも意味があるという私の考えです。口でいつも失敗していた人がのどに管を入れられて筆談を余儀無くされたり、お風呂すきな人が眼圧の為にお風呂にはいれなくなったり、、制限は制裁ですね。自分自身を見つめ直してそれを受け入れる事が次の修行の一歩なのでしょう。制裁は罰ではないのです。意味の有る事を考えましょうと言う課題だと私は思います。なので、身体の調子はいろいろな意味でのバロメーターになると考えてます。五臓六腑の意味は深いです。
626)日本人に多い頑固さも、屁理屈屋さんも、思い込みの激しいさんも、もっと肩の力を抜けば良いのになー、、なんて思います。実の心は暗く沈み、口先で明るくふるまっても、はかないものです。外で賑やかな人もその傾向があるのでは?家ではむっつりとか。。家の中で家族に受け入れられると言う事は、外でも受け入れられるという私の考え。どちらか一方ではそれはまだまだということではないでしょうか?外でやっている事も家でやっている事も接する心は同じです。表裏ない心が実を結ぶと私は思います。家がうまくいけば外も必然とくっついてくるものです。 旦那様の悪口と言うのはなかなか止まらないもののようで、聞く方もかなりエネルギーを使います。どうして好きで一緒になった人にここまで憎悪が湧くのか私には理解に苦しむ事のほうが多いのですが、、どう思う?といわれても、ひどい人だね、と相づち打たないと終わらない。。。客観的に見てどっちもどっちなのですがね。 隣の芝生は良く見える。ひとそれぞれ幸せであっても何かしらあるものです。羨む事もないし、卑下することもないと私は思います。
625)私は物質的な豊かさよりも、精神の豊かさを重んじます。 何かあったら座る。これが私の基本スタイル。ここ数カ月の瞑想でどんどん進化している自分が分かる。体感、色、音。眉間がもぞもぞして左側の頭部がもぞもぞして、はっきりと眉間にあらわれるもの。。。心の扉をゆっくりあけると胸から大きな光がぱーっと全身に広がる。きがつくと1時間なんてあっという間。頭の中をからっぽにすると視野も広がる不思議。宙に浮く経験はないけれど、それほど身体が軽くなるのは分かります。座ると言う事は気持ちを落ち着かせて、ストレスを自然に発散させてくれるものだとも思います。そして、精神的な疲れを癒してくれるので疲労感は無くなります。一日5分からでもこれは忙しい人は是非実行するべきです。 過去のわだかまりを精算し、人を恨んだりすることをやめましょう。過去は過去。今は今です。未来は今の上にあるのですから、過去から引き離さないと今は成立しないはずです。ただ切り捨てるのではなく、感謝の気持ちで今を生きたら傍観者的な生き方にはならないのでは?
624)今まで信じて美味しく食べていたものが偽者だったら、、その時点でおいしいものも不味くなると言う人間の心理の敏感さ。騙すのはやはり無しにしてほしい。だまさなくても十分美味しくいただけるのだから、不正表示などしなくても胸をはって売っていただきたい。ただ、買う側がブランドにこだわっているのも問題。人々のブランド意識、これはいつの世もなくならない。今、ブランドにこだわって、食べている物も、実の所は???値段/ブランド、何を判断の基準とするか。私は美味しいものならば安くてもノーブランドでも、それで満足です。高いものにこだわっている人程騙されやすいもの。
623)常日頃何気なくしている事が自分にとって最高の源になっているものです。何でも続ける事に意味が有るものですね。継続は力なりです。ただ、それに天狗になっていると、足下をふいっと救われてしまう。人って、確信をもって強くなると、何もしなくなる。それも事実です。それでもなおかつ続ける努力をすることが大事だと思います。
622)私は36歳まで潔癖性の完全主義者で神経質でもありました。電車のつり革も指の先でさわり、人の使ったものは必ず拭き、温泉等もサンダルをはいて入りたいぐらい、、そんな人でした。綺麗な所華やかな所が大好きで、海外でも欧米中心でリゾート地や有名な所がメイン。ホテルも一流ホテル。そんな私が何を血迷ったか、中国へ。7ー8年前の中国はそれは欧米に比べたら天と地。家の中と外が一緒、、そんな感じでもありました。着ている洋服が一日で黒くなり、手は何もしなくても汚れ、顔にいたっては、、、ほこりだらけ。私を知る誰もが腰を抜かさんばかりの驚きで、本人はもっと驚きで。。何に引かれたのかその後訪れる回数も増え、今では大好きな国になっています。人って、嫌いだ/できない。という偏見が邪魔をしているような所が有るのかも知れないですね。この中国が何と言う事無く生活の場になれたことで、私の神経質も大分、大分やわらぎ、土を触るのも草にすわるのもできるようになりました。そんな30代の変化から、今も変化は進行し、都会を離れたがってきている私。何も無い所に暮らし、人混みを離れたい、、変われば変わるものですね。今華やかな所に出向くのは、大好きな歌舞伎やお芝居を見に月に2ー3度行く程度。後は自然のあるところへ不思議と引き付けられています。昔を知る人は私は都会でしか暮らせないというけれど、今の私、実は山の中でも大丈夫です。
621)秋の長雨のあとの澄み切った青空のした、キンモクセイの香りがあちらこちらでただよって、この香りが秋を感じさせます。のんびりキンモクセイの香りに足を止めている私は、それだけで嬉しくなってしまうけれど。。甘い濃厚な香りはこの時期だから脳に優しく反応してくれるのでしょう。香りの人への影響は多大であるとは私の考え。リラックス/癒し効果、生きる力、病気除け、、、、朝晩香を必ず焚きますが、寝起きの脳がその香りの刺激で目覚め、いい波動も作ってもくれます。良い香りを身体に浴びている時は不思議とイライラしないのもそのせいだと思います。 夫婦で海外へ良く出かけていた頃、寒い国へ行くと、一度はぶつかるんですが、暖かい国へ行くとこれが二人ともゆったり穏やかなんです。暖かい国には自然の香りが沢山あるのです。木々の青臭さ、南国の花や果物、等。逆に寒い国では香ってるのであろうけれど、気温によって感じられなかったりもするのだと思うのですが、、香りは私にとって欠かす事のないアイテムなので、つねに身に付けてもいます。
620)【曲がるは折れるに勝る】私の好きなことわざの一つです。同じ失敗をするにしても取り返しのつかない失敗をするよりも、やり直しのきく失敗の方がいいという事。失敗を恐れていては何も出来ないし、まして新しいものはうまれないのです。取り返しのつかない失敗をしない為にはその人がどれだけ分をわきまえているか。自分を知っているかによるものだとも思います。今の世の中倒産だ、リストラだ、自己破産だ、、ととかく肩の力が落ちてしまいそうな状況であるけれど、自分がそこにまだいる。この世で生きている限り前向きに切り替えれば、必ず、トンネルから抜け出す事はできます。そんな時にこそ、気持ちを明るく胸を張る。気持ちが沈むと言う事は、それ事態が取り返しのつかない失敗につながるのだと私は思います。いいことがない、、なんて言ってるからいいことがないのと同じです。
619)ベジタリアンですか?って聞かれますが、答えはNO。以前、体質改善の目的で断食をしたり、野菜だけの生活を送った経験はあります。今は、こだわりもたず、自然に身体の要求に応えています。お米も玄米や雑穀を食べ出してから、白米は重たくて食べれなくなった。。。お肉や魚も食べますよ。大事なタンパク源です。お肉魚を沢山食べたらその三倍は野菜。そんな感じですかね。身体が変わると、その時必要なものを要求してきます。お肉を止められない人も食べても良いです。それだけにならなければ、問題はないのですから。身体を強くするには食べる事も修行になります。 好きなものを好きなだけ食べても太らない身体にするには、精神力/呼吸法と自負しています。太るから食べない。。では???身体ができてくると、バカ食いは出来なくなります。年令によりさっぱりしか食べなくなっている傾向の日本人。それでは身体が【虚】です。身体は【実】でなくては強くなりません。理想は常に上虚下実。
618)最近は【言霊】ということをいとも簡単に使っていますが、使っている人に限ってマイナス指向になっているという事実。そんなに簡単にはでてこない言葉です。【言霊】が生きる時は無意識の中の意識。なので、このことにばかりこだわってる人は、実のところ使えていないのと同じだと思っている私です。その人の毎日発する言葉すべてです。それが【言霊】。名言でもなければ、演説でも無い。普段の一言そのものです。なので、日頃の言葉使いは大事で、言葉使いを直すには生活が要で、すべてつながっていると言う事です。そして、言葉は自身に帰ります。切り離しても上手くは行かないものなのです。方言は汚いから、、という人がいます。そんなこと言う人のほうが、???標準語だけが言葉ではないのでは?耳で聞こえるもので判断するとそうなるのです。言葉は心が出るのですから。。。私的思いです。
617)私が中学生の頃の愉しみって、何だったろうか?とニュースを見ていてふと思いました。クラブ活動にせいを出し、休日は父に連れられて美術館やら博物館等を回った記憶が強い。私立に行った為に、帰宅後友人と遊ぶなんて事はまず無かったし、電車に乗っては危険と、わざわざ徒歩圏の学校だったし、、、かといって、そのような親主導権の生活に不満を持つわけでも無く、こーいうものだと、ある意味納得していたのかも知れない。けれど、最近の中学生は遊びと言えばお金を作る事しかないような。全部が全部とは言わないけれど、そのシェア−はかなりのものだと、世間をずらーっと見てるとそう思えてならない私です。プリクラなるシールまでも販売すると言う。友達と映した写真をまた知らない人が買うと言うのも理解に苦しむ。中学生の行動とは思えないような写真も、ネットや、携帯で売買され、知らない人が買う、それもおじさんまで。おじさん!そんなことにエネルギー注いでいないで、もっと前向きに人生歩きなさいよ。そんな陰湿な性格では、、、中学生と言えば私と同世代の親だろうか。。。親の教育が先のような気がします。妊婦さんの母親学級は永久的に必要な場。よその子もそうだから、、的発想事態、理解できない私でもあります。
616)物事は理屈ではないのです。まして、今その時は理屈等よりもインスピレーション。本能にそって行動する事が実が有ると思います。 頭で考えて行動することも、勿論大事です。使い分ける事。こうでなくてはいけないと言ったことは、無いと言うのが、基本。四角四面に構えていると、壁にぶつかって、そのまま跳ね返ってしまうか、壁とにらめっこ。悩むと言う事は、私的には足踏み状態で、ハムスターのリング遊びと同じで、エネルギーばかり使って、同じ所をぐるぐる回る、、
615)茶道を始めて5ヶ月。畳み1帖の曼荼羅を少しずつ堪能している私です。茶道の五行。火=炉/水=水/木=炭/金=釜/土=茶碗。これらが宇宙エネルギーの理念。これからは寺院での大茶会等も多い季節。読経の中でのお点前もまた時空を越えた何かがあるのだろう。私の五行は。。。火=太陽/水=海/木=森林、自然/金=星、月/土=大地、山でしょうか。。。この大宇宙の中で圧力も酸欠も気にせず、思い通りの道を歩ける事は有り難い事です。物事を日本から地球へ地球から宇宙に変えてみる時、私は不安がないのです。ゆったりしたエアーマットにでも揺られているような、、、ねずみ年の私は往々にして小回りがきくくらい動き回るけれど、そのような時でも、ふと空を見上げると宇宙に解けこめる自分がいます。
614)袋物の開け方を見ていると、その人の内面を垣間見る事ができます。必ずはさみやナイフを使って、まっすぐ切り開く人、両手で左右に力任せに開く人、歯で切り口をつけて引き裂く人、手でくしゃくしゃになるほどいじってから、ついには人に依頼する人、等。どんなに見かけを取り繕っても、取り繕えない部分も多くて、それは思いもよらない時にでてしまうものです。いざと言う時に あら?なんてことにならないように、日頃の一挙一動の積み重ねが大事と言う事だと思います。
613)作法を身に付けている人の立ち居振る舞いが綺麗かと言うと、そうでもなくて。。100%正確の作法であっても、気持ちが伴っていなければロボットと同じ事。その立ち居振る舞いの意味がしっかりわかっていての、作法であると言う事。そこには優しさと、凛としたものと、微笑みが身体からにじみ出る。
612)人との出合いはいい人生勉強であると思う私です。自分自信で選んだ人が見込み違いだった、、、しばらくするとそんな思いも有ります。けれどそれも、他人の振り見て我が振り直せ式でありがたい出合いでもあり、結果としては見込み違いではない。そのような事実も必要と、目の前に現れたのだから、また、巡り会ったのだから。それを踏まえて自分をステップアップさせるかさせないか、そこでこの先が別れるというもの。縁と言うのはそのようなこと全般を指すのだと思い、すべての縁に感謝の私です。 人の器は千差万別。良し悪しも千差万別。時に傷付く事も必要で、多くの経験から多くの人脈から光が見出せる。自分をわかっていないで、それらをくり返しても変化は有るようで無いもの。しっかりとそれらが起動すれば一番近くの物から変わってくるものです。間違った自分自信の認識に気付く事。それが肝要。それを教えてくれるのも人の縁。
611)一つの事を信じ、それを守り通しているものは、自分への確固たる自信となり、その時点で、信じている物/事が自分に変わるのだと思います。それらの是非は問うまでもなく、自分に変わった時点で土台と切り離されてもいるのだから。今自分を見つめ直してみれば分かる事でも有ります。土台が外れた時のその瞬間は自分にしかわからないのだから。この毎日毎日いろいろある世の中において、浮き足立たないで、しっかり地に足をつけるには、たまにふと立ち止まり、自分を見つめ直す時間も必要と思う私です。加えて、自分を客観的に捕らえられなければ、良き理解者の発言に耳を傾けるのも一つかと。
610)人に対して何か自分の感情に反するものを持っている人へ、その人が何を言っても通じない事があるものです。同じ事を別の人が言うとすんなり受け入れられたり、新鮮に感じます。人の感情とはそのくらい繊細なもの。私も以前は主人の言う事等聞かなかったものですが、そのことの意味が遠回りながらわかった時から、素直に受け止められるようになりました。言い続けてきた主人はさぞや、ストレスがたまった事と察します。言ってくれるのは有り難い事なんですね。言われている内が花でもあります。私は自分のそのような経験を通して、他者の話は真摯に受け止めます。それが私の座右の銘、想う事叶うなり、、につながっていると確信しています。
609)今までにどのくらい心を変えてきただろうかと、ふと思い立って、いろいろメモを書き出したら、大きく分けて、結婚前の30歳に分岐点、結婚後の44歳で分岐点。生まれてから30歳までの心はいわば、心ここにあらずで、、、自分が前面にでていたような。その後の14年の心の変化によって健康と言うものをまず手に入れ、顔が変わり、手相が変わった。。心と身体は一体。長患いは心の問題というのも明確にわかってきた。いろいろの回り道はあっても笑顔に辿り着いていると言う事は、いい変わり方なのだと思っています。断ち切るべきは断ち切り、一時は友人とのつきあいも全くなかった時期もありました。放浪の旅で各国を回ったり、いろいろ興味の持ったものにはまったり、、それも修行。今夜改めて自分の手を眺めれば、また手相が変わって、俗にいう良い手相。これを全うできる様、また心をいつも陰りなく、光で被える様修行の生活でしょうか。。。なんてちょっと思って見ました。その後の瞑想中は身体の圧力が微塵も感ぜず、光のベールで覆われているようなあたたかなひとときでした。昼間十分に太陽を浴びて、邪気を払えた様ですね。
608)別居している父から電話があって、一瞬心配になったけれど。。。用事だけ言って元気良く電話を切った。用事とは、庭仕事道具を一式運んできてほしいとの事。???父はこの1年。唯一の愉しみの庭仕事を一度もせずに毎日座っていた人なのですから、この言葉に驚いたのは当然。いろいろな人の中にはいって、刺激を受けたのか?動転しているのか?取りあえず、前向きに自分の愉しみを見つけた事は喜ぶべき事で、一式を運ぶのは大分困難だけれど、検討してみましょうか。。しかし、変われば変わるもので、、やはり、介護はプロに任せるのが一番なのかも知れない。家で来ていたヘルパーさんは主婦のアルバイトだけれど、父のいる所はしっかり教育されている人なので、その点からみても、良かった結果です。1年の間、何もしなかった人がする気になったと言う、まさに驚きの一日でした。
607)中日ドラゴンズの優勝/イチローの大リーグ新記録と、野球界のごたごたと裏腹に、ビッグニュースが秋の日にいっぱいに広がっています。世間ではあまり注目はされませんが、このお二方、出世の立て役者は奥様だと確信している私です。イチローも結婚してめきめき頭角をあらわし、落合監督も恐妻と言われているけれど、この婦人の御主人と野球に対する入れ込み方は半端ではありません。妻は所詮影ですが、そのバックアップ無しに夫は仕事が出来ないと言うのも事実。落合監督が優勝の貢献者に、1位に、オーナー、2位に、婦人を上げていた。そして、家族同伴の祝賀会。素晴らしい発言だと朝から感動している私です。才能や技術でそこそこの成功をおさめる人は沢山いますが、ひとの出来ない大仕事をやってのける人には、必ず賢い妻が側にいます。妻はその事に優越感を持つものでもなく、お互いが必要と言うまさに究極の夫婦一体。成功の影に女ありとは、良く言ったものです。イチロー選手の天才的野球人に妻の力、落合監督の人とは違う感性の戦法と妻の力。どちらも今後も期待大。素晴らしい人を見ると人は大きなプラスエネルギーを受けますね。私も縁の下の力持ちで主婦を全うしましょう。
606)自分のパートナーである主人と、人生観や感性を理解できる関係って有り難く、何よりの幸せなのでしょう。嗜好も趣味も全く違うけれど、本随は一緒なのでしょうか?自分の生き方を理解してもらい、適切なアドバイスを送ってくれる主人に、感謝はいつもしているけれど、何か返したいと考えている私の出した答えは、物というプレゼントではなくて、私自身ということ。 パートナーと言えば、シルバー世代のカップルが急増しているそうな、、父がそうなったら、、まー、この世での最後の幸せをやはり夫婦で味わえるのならそれはいいことだと私は思います。反対する子供の方が多いそうですが、私自身も反対されても二人で海外へ行って結婚しちゃった口。でも縁あるからこその大胆行動でもある。。反対してもくっつくものはくっつくのなら、反対する必要もないでしょう。当人が選ぶ当人の人生です。
605)亡叔父の遺作展がはじまる。なにをかくそう、この叔父の絵を見て、私にも描けるんじゃないの?なんてことから絵を描きはじめた私。芸術の価値なんてそんなもので、万人に絶賛されるものは皆無に等しいのだと思う。私の周りには芸術家が多くて、刺激はいろいろ有り難いくらい受けます。首から数珠でも下げなければ見れないような強烈な絵もあるけれど、それでも、その筋の人が見れば絶賛の絵。色や題材は全く関係なく、目に映るもの、耳にはいるものが受ける感性の価値観を決める、それが芸術ではないかな?と気候もよくなった私の手もそろそろ動き出しそうです。 世界に名高い巨匠の絵も、私には受け入れられないものの方がおおい。苦労や忍耐,情念を重ねて描かれたそれらから、受ける念が強くて正視できないのが事実。なので自分の作品には意念を入れないように注意をしています。ごくまれにその意がはいるものは、逆にその時の邪気を吸ってくれているようなので、そのようなものは、焼くようにしています。
604)一つの世界に固執したりしていると、視野が狭くなり、発想も貧困になるものです。そのことを中心でしか考えられない人も同様だと思います。この世には様々な材料が星の数程有るのだから、それらに首を突っ込んでも損は無いと思う私です。自分に合うか合わないか、それは結果であって、してみようと言うきもちをそぐものでも有るのです。会話も同じです。同じ穴のむじなにならぬよう、多くのジャンルの人と会話を楽しむのも幅を広げると思います。深く狭くもいいけれど、人生中盤戦。冒険の意味で広く浅くも経験しようと毎日を送っている私です。いろいろ回り道をしても辿り着く所は同じだから、それなら寄り道も楽しい。
603)いつもどうして笑顔で元気でいられるのか?と言われる事が多い昨今です。おかげさまで風邪ひとつひきません。欠かす事のないのは丹田呼吸と完全呼吸法。加えて簡単な気功/ヨガでしょうか。呼吸法は身体への負担なく内臓を鍛えられます。身体が硬直してお腹と背中がくっつくほど吐きます。吐く事に意識を持っていきます。これを十回もすればくたびれて、ばたんきゅーです。寝る前の瞑想は波動調節に持ってこいで、これをすることにより、寝不足も解消の優れものです。そして、エネルギー補給(気)は太陽の光を全身に浴びて自然に接する事、樹齢のたっている木との対話。人込みに普段入る人程エネルギー補給は重用だと今までの経緯の中で感じている私です。
602)夢で思い描いていたものと全く同じもを手に入れた瞬間。感動の一瞬です。思った事/欲しいものが手にはいる事は今まで通り。けれど、夢で見たものと全く同じものを手に入れたのは、私にとって初めての経験。以前、ロスにいるお友達が同じような事を話してくれたけれど、まさか、本当にそうなると、何とも言えない感じです。それも、、クラスター。なかなか見る夢ではありません。橋渡しをして下さったKさんに感謝です。 スピリチュアな世界は独特の世界と勘違いしている人がいますが、それは違うと思います。以前も書きましたが、この世も精神世界です。感性は自分で育て育むものでもあります。必要な時に必要なものが目の前にくる、楽も苦もです。誰でもがオーラを持っているのに、出せないだけです。どうしたらだせるのか?自分の心に聞く事。それが一番です。
601)三多摩地区を車で走っていて、久しぶりに富士山を見る事ができました。車道には緑があふれ、すすきが風にゆられ、青い空に流れる雲の塊。ここは都会の中のオアシスのようだと、、からだ一杯に爽やかな風を受けて、リフレッシュできた一日でした。富士山を偶然見ると、何だか心がぱーっと明るくなるのです。今日は穏やかな優しい女性のような感じを受けました。。。。単純な我が夫婦の思い付く事は、、、そうだ!箱根に行こう。
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