ロゴ☆徒然なるままに☆Cyou

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600)きり番のお題は今一番興味のある、人の脳。今まで、あまり深く考えてはこなかったけれど、脳/頭は人としての秘密兵器とも言える存在なのだと思いました。その働きは各部所にわかれていて全身の連絡中枢でもあるけれど、万全な管理(日常不自由が無い)体制が崩れるのはなんと早い事かともろさにも驚く次第です。たとえはよくありませんが、コンピューターと似てます。急に崩れるのではなく、前兆、シグナルはだされているのであろうけれど、自分の脳のシグナルに気がつく人は稀でも有るのです。たいていは近親者(パソコン所有者)が気がつくのであるけれど。。。無数の神経からなるこの脳への刺激。一本痛んだけで、壊れはじめるのですね。御近所に元気のいいおじさんがいて、75歳の夏まで毎朝仕事に出かけていました。9月に退職されて、、、今はすでに痴呆がでてしまって、その進行の早さにおどろかざるを得ない私です。たった2ヶ月前は背広を着て歩いていた人が、今は寝巻きで歩く姿を見て、言葉もない私でもあります。一生懸命に頑張ってきて、肩の荷をおろし、これからやっと自由な時間を楽しめるはずだったのであろうけれど、、脳は人によってそれぞれだけれど、、、、あーなりたくない、こーなりたくないというネガティブな感情はやはり敵。どう自分の脳と付き合っていくか。まだかろうじて正常に作動している間に考えていかなくてはと思う私です。今思う事は、その時を精一杯に使う事。それにつきる。壊れたら、、それまで。脳への探究心は痴呆だけでは無い。現在の今の脳の仕組み。急所の司令塔。インプット次第でいかようにも変わってしまう。すべては欲を捨て、あるがままをインプット。回路を間違えないようにこれも既存のソフトを上手くアップデートしながら。なおかつ、たまには今まで使った事のないソフトを見つけだし使ってみる事も、、、、そして、すべてをリニューアルする必要も時には必要でしょう。私は知識人ではないので、一般レベルでしか認識はないけれど、すぐに医学書を開かないのが私流。どんどん想像してその時を楽しみたいとも思います。この脳については、いろいろ考えるとおもしろくて、、、これも活性化の一つのアクションでしょうか。

599)台風の影響で激しい雨の音にすべての音がかき消される。この音を一つ一つ聞き分けていたら、なんとも言えぬ不思議な時間になってしまった。何気なくした行動であるけれど、こんなに簡単に音を聞き分けられたのははじめての経験で、おもしろい秋の夜です。犬や猫や動物達はこんな感じなのかな?多くの中から一つの物を見つけだすこつみたいなものが、漠然とわかった瞬間。聖徳太子もこれで多くを聞いたのかも知れない。

何かを学ぶ時、形式にこだわるからなかなか進めない場合もありますね。自分のキャリアとして、資格として、登竜門をたたくのもそれは一つ。それがすべてでは無いと言う事。すべては自分流からのスタートなのだから。私のほとんどは自分流。初級くらいは免状はあるけれど、あとはすべて自分流。それでもそこがいつも原点だから、お免状は自分には出さない。

 

 

 

598)アメリカンドリームがチャイニーズドリームに変わってきているようです。昔、自由と成功を夢見てアメリカに渡った世代と、今スキルアップを求め賃金よりもキャリアを求める世代。中国と日本の物価の差もそうであるけれど、雇う形態も日本人だから好待遇という時代でも無くなったようです。お金よりもキャリア/技術に目が向く若者の動向は変わり行く日本の一面でもあるようでほっとするけれど、それが自国ではできない状況が何とも、、、優れた人はどんどん他国へ流れ、これからは、自国ではお山の大将が増えそうな傾向でしょうか。願わくば、その若者達が自国へ戻った時に、その他国で身に付けた感性を生かしていただきたいものです。

 

 

 

597)父と離れての生活が始まった。まだ一日もたっていないのに電話がかかってきて、『寂しいね』と『明日来る時これ買ってきて』。。。最後に『いろいろありがとうございました』と言っていた父。家から車で30分程の所。明日はいかれないと言ったら、いつくるのかとしきりに尋ねる。生まれてからこの方、父からこのような言葉を聞いた事はない私。同じ屋根の下にいても、母屋と生活は別で普段から離れていて、ずーっと独りだったのに。やっと身にしみた様子。これだけでも、心の進歩と有り難く思うのと、やはり、この決断で良かったと納得の私です。距離がおけてお互いが思い遣り、少しでも心が穏やかになるよういい老後にしたいと心にしっかり刻む私です。

 

 

 

596)月月に月見る月は大かれど、月見る月はこの月の月。。。。おだんごを食べながら主人いわく。何の事か分からなかったけれど、月という文字が8つ。ということで、旧暦の8月15日の事だそうです。新暦に直すと今年は今日。昔の人はロマンティックな覚え方をしていたもので。。。東京地方はかろうじて月を拝めそうです。また一つ。秋の夜長に利口になった私。

満月の頃は自分でも不思議なインスピレーションのようなことが起こります。私の手のひらには金の粉が溢れ出る時が有って、サイババ現象と称しているけれど、今宵もまた、光っている私の手のひらです。どこかの占い師が月を見ると悲劇になると言っていたそうだけれど、、、そのような経験は全くない私です。失恋や恋の痛手で月を見る程ロマンティックではないし、、、月を見上げる時は、だいたい気分が良い時の、変わり者でしょうか。

 

 

 

595)社会保険庁。とんでもない機関。日本の年金受給者の大半はその少ない年金でどのような老後を送ってるか御存じでしょうか?この方達も年金を払ってきた人です。それぞれが老後を考えて払ってきた大事なお金を、湯水のように無駄使いし、この上改革?寝言でもいえません。詐欺としか言い様のないこの機関。まだ、私達は預けなくてはいけないのでしょうか?未納。。。致し方ないのではないでしょうか?これだけ悪行してきたのですから、今までの分はしっかり払うべきだと、家計を預かる主婦として、痛切に思います。

 

 

 

594)人が人へ寄せる思い感情はその人へも多大な影響をおよぼすと考えています。人を傷つけたり憎んだりしている人はどんなに善人であっても、その実を隠す事はできないのです。人として感情が有る以上、そのような事実もあるとは思うけれど、時間と共にそれは無くしていかないと、いつまでも良い作用として働かないのでは?それが、執着/こだわりになって、心が開かないのです。愚痴や文句、憎しみ悲しみ。あって当然。だからこそ、その思いを自分のなかで上手く消化しないといけないと私は思います。

 

 

 

593)仙台が野球で盛り上がっていて、さながら戦場のようになってしまっているようだ。楽天さんは鎧兜をびしっと着こなしさっそうと馬をのりこなし、ライブドアさんは鎧兜等関係なく荒馬を乗りこなす、、、新規参入は一球団しか受け入れないと言う、暗黙の了解のようにも映るけれど、私的見方では、びしっと決めても球界の変革はなく、ここは一つ、荒馬を引き連れて、このかちんこちんの球界に風雲児を送り込みたい、、そんな思いです。

 

 

 

592)愉しみにしていた即席観測所でのお月見&小惑星。今月のお月見は秋雨でなし。。。かな?しからば、十三夜に見られる様、また、愉しみは先送り。この時期になると思い出すのは、、、中国をふらふらしていた頃、お宅にお邪魔するたびにいただいた、巨大な月餅とライチにそっくりな龍眼という甘い果物。所かわればで、ごちそうも変わるもので、私的には栗餡の中に卵の入った月餅とおだんごがいいなー。食欲の秋。好きなものを食べられる事に感謝の気持ちも増すこの頃です。

 

 

 

591)理性=本能や欲望感情を抑え、人間の行うべき道を考えさせ、自分をしめくくらせる先天性的性質、能力、知性。と辞書に書いてあります。この理性が利かなくなった時、人は時間と時間のはざまで別人格になってしまうようです。失った理性を悔やみもするけれど、一度失った理性はそう簡単には戻らないのも事実のようです。では、その理性をどうやったら元に戻せるか。。手を貸してあげても、愛情を加えても、親身になっても、戻りません。外からでは戻せないのです。きっかけにはなるかも知れないですが、本人の心の問題です。傷付き閉ざしてしまった心の扉は最終的には自分でしかあける事ができないと私は思っています。要は傷に立ち戻る/振り返る勇気。常日頃から気持ちを豊かに、ネガティブにならぬよう、、、心優美、それは人の生き様だと思います。

 

 

 

590)日本の裁判は本当に時間がかかる。無罪になったり有罪になったり、、、誰がみても有罪だと思うものが、裁判官の頭一つで最高裁にまでもつれ込み、10年なんてざらのよう。オーム事件もまだ未解決。日本人の役人には真理の判断が難しいようです。時間とお金をかけても被害者はその憎しみ悲しみを判決の日まで引きずるわけですから、、、

 

 

 

589)今年の夏は中国語と英語を日常レベルになるようとりくむはずだった、、、気がつけば、夏も終わり。えー!もう終わっちゃったの。人生、なんて早いんでしょう。今年はいろいろ変化が有ってそれ所では無かったものね。またその時期がくるでしょう。とにもかくにも、この日本の東南アジア並の暑さにも元気で病気知らずで送れた事、まずは感謝でしょうか。やることやって、自分の時間が持てた時が私の時間といたしましょう。 

 

 

 

588)今まで穏やかでそれなりに徳を積んだ人かと思いきや、ある日突然豹変する時が有る。その事実を目の当たりにする時のショックは言い表せないほどのものがあるけれど、私自身がその徳を不振に思っていた部分もあるので、これが実体、と決まったような感もある。今まで築き上げてきたことが、一瞬で崩れ去るのだからその人もおろかである、というよりは、むしろそうせざるを得ない心の働きを気の毒にも思う。それもその人の一部。受け入れ直すのに時間は必要だけれど、、、断ち切る事は簡単だけれど、切れないものもある。ここは心を鎮めて私の方が上手をとるしかないようだ。これも乗り越えるべき大きなハードル。そう考えると、滅入る気持ちも晴れやかになりそうだ。

ある方が御丁寧に私の前世と来世を占ってくれて、、、前世は宗教家で来世は医者だそうです。ということはちゃんと生まれ変わっているのでしょうか?

 

 

 

587)夢は暗示というけれど、はっと飛び起きてしまうような夢を見る事がある。目覚めた後、その見た夢を思い出してメモしていくと、だんだんその暗示となるキーワードが出てくるもの。何度かメモを整理している内に心も冷静になりそのことがよりはっきりわかる。悪い暗示がでたら、警告に反しない様、いい暗示がでたら、それに甘んずる事なく更に精進する様、心掛けています。夢は見ようと思って見るものでは無く、哲学的無意識の世界。口から出る言葉以上に見えない心をすかす。私は大事にしています。

 

 

 

586)大輪の菊の花が見事に開いて、ぼーっと眺めていたら、、、あら?茶色の花びら?老眼鏡をかけて覗き込めば腰が抜ける程のげじげじだか、むかでかが身体をくねらせて、抜けた腰を立て直して中央の茶色の塊を見れば、数えきれない程の卵。大当たりと見るべきか、否か。私の出した解答は、ここで成長されては困ると言う事で、処分しました。。。。また殺生となった。今度は危害は受けていないけれど。。。その分、どこかでつぐないます。

 

 

 

585)何年神仏を信心しても巡り合わせの悪い人もいます。何も信心がなくとも人生の波を乗りこなしている人もいます。何がどこでどう軸がづれているのでしょうか?

信心とは。。。無である事が基本。もっとこうなりたい、とか、もっとしてください、、的祈りは自分の欲望であって祈りでは無いと思うのです。以前も話しましたが、今置かれている状況をどう自分が捕らえ、どうしていきたいか。自問自答です。願望があるのならば、その願望に見合うだけの自分の意志表明をすることが祈りの声となるのではないでしょうか?悪い巡り合わせも、嘆く事なく上を向いて歩きましょう。信心の実は自分ですから。という私の考え方。

迷うような事はしない方がいいと言う事。心に一点の曇りが有るだけでやる気と言うのは失せるもの。決めたら進むだけ。結果は結果。潔さも運の内。

 

 

 

584)家族の要は夫婦であって、この夫婦の関係で家の中の流れも変わり運気まで変えてしまう程、凄いものがあると、今まで会ってきた多くの夫婦を通して痛感しています。表向き、かかあ天下でも、亭主関白でもそんなことはまったく関係なく、実は、夫婦の中の心の中の位置付けなのだと確信しています。口では暴言はいても、夫をたてるべきは立て、妻が自分の立場をわかっている関係とでもいいましょうか。普段、どんな状況に置いても、夫に決済をあおぐ、、とでもいいましょうか。もちろん、信頼関係の上でです。妻は三つ指ついて三歩下がって、、、と我が家の殿の理想とはちょっと違うけれど、肩を並べて歩いても、私ももちろん、主人あっての私です。

 

 

 

583)路上書家のやすださんと巡り会いました。これも妙な話で、たまたま出先の寄り道をして、偶然出会いました。私のことをどこかの社長さんと勘違いした彼女は、最初少し敬遠したかの様でしたが、話し出すにつれ、顔の表情に優しさが溢れ出てきました。彼女は人の目を見て、感じた事を書いてくれると言う。一枚お願いしました。自分でも顔が引きつっているのがわかったほど、これまた、全身鳥肌状態。彼女のからだ全体から何かを感じ取った私です。書いてくれた言葉は、『人の中で動くとその才能は芽を出す。あ付子が大切にするのは芽を出した才能で人の笑顔を作ること』でした。心優美な世界をいろいろな人へどう伝えていこうか、今模索状態の私には、励みになる言葉でした。彼女は書道教室を目指しているという。私は一生懸命自分の道を頑張っている人は、自分よりも応援したくなる。私からあなたに送る言葉は。。。『心ある限りおのずと道は開けます』彼女もまた鳥肌がたっていて、最近は鳥肌続きです。

 

 

 

 

582)自分が一番と思った時に、そこでその人の成長は終わるのだと私は思います。人の目指すもの/道はゴールのない旅です。

 

 

 

581)警察=国民の生命財産を守り、犯罪の捜査、容疑者の逮捕、および社会公共の秩序を保つ事を目的とする行政機関。と辞書には記されていますが、実際の警察はこの通りではないのが現実。では、今の警察は何の為にあるのでしょうか?警察の不祥事にはじまり、不手際、非人道的な行為。これをニュースだけで終わらせるようでは、もう警察はいらない。中には本物の警察官もいるのでしょうが、絶対的信頼感のある警察は全員が本物でなければ、成立しないのでは?

生身の人間、完璧を求めてもそれは無理。その無理な部分を埋めるのは、人としての真理ではないのでしょうか?日本の無駄な税金を削り切れば財政はそうとう潤うはず。

 

 

 

580)国土交通省が、不評の多い道路工事を削減する動きを発表したようだが、、、毎年、毎時期同じ所を穴掘ってその度に交通規制がひどかったが、削減できる程、無駄な穴掘りが多かったと言う、いわゆる税金の無駄使い。今頃。。と思うけれど、気が付いて削減すると言う姿勢は、政府の対応としては私的に評価します。

 

 

 

579)病院の待ち合い室で年輩の人の言動を見ていると、おもしろいことが多くって。。まったく知らない同士が突然、ずーっと以前からのお友達のように話だしたり、何時の予約ですか?から始まって、自分の身の上話しから、はてはお葬式まで。長い待ち時間も私にすると、寄席にでも来ているようだ。若い人はこーはなかなかいかないと思う。身体の具合が悪い事を自慢げに話し出す人、嫁の悪口を言う人、子供の不満を言う人、自分の今を自慢する人、、、そうだわねー、だからみんな付き添ってきても先に帰るのねー。家族はいちいち話を聞いてはくれないものね。知らぬが仏です。

 

 

 

578)賢母を持つ子供の苦悩。母親は頭脳明晰学力優秀、容姿端麗、努力家で忍耐強い。やることすべて完璧で、不可能と言う文字はあまりない。こんな親を持つ子供は、その親とは対照的で、、頭脳は優秀、容姿端麗、ここまではいいが、肝心の努力と忍耐、完璧さが足りない。これが子供の心の大きな壁となり、どうも、トラウマになっているようだ。

甘栗を食べていて、どこまでも自己中の子供は食べづらくとも、時間がかかっても、自分流をしきりに通すが、簡単で早い事を教えると、しばらく悩んだ末にそれを実行し、そこで、はじめて自分の技となるのだが、そこへ母親が同席するとできることをしなくなる。わざと自分にふたをしてしまう。当然母親の小言の対象となるのです。母を越えてはいけない?母にはできない自分しかみせられない、、、余計に喧嘩のもとを作ってしまう。結果、母にいつも押さえ付けられるような子供の姿が映る。ここで父親がもう少し強ければ良いのだが、、、これが弱い。子供は子供なりに将来を考えていて、自己中なので時間はかかるけれど、それがまた母親にとって新たな信用の喪失となる。この母子。離さなくては子供がつぶれる、わかっていても、まだそこは子供で親離れはできていない、、、グレートマザーを持った子供の苦悩。私の甥子です。甥子同様、何かと頭の上がらない私は最近よく言われる事が有ります。『お姉さんって、ケリー(犬)にそっくりだね』犬が私に似てるなら、何となくわかるのだけれど、、、私が犬??彼女の一言は非常に難しい。

 

 

 

577)お金って人の心まで変えるらしい。子供の頃からお金の貸し借りは親兄弟でもするなと、教育を受けてきた私です。あー、なるほど、、と思うような場面に出くわす時も有ります。お金がどれほど大事なものか、この世で生きていく為には削れない部分であることも分かります。けれど、あまりお金に執着して人間性を壊すよりは、無くても心を優先にしたいと思う私はまだ甘いのかもしれない。が、それでも笑顔で生活できるというのもやっぱり捨てがたく、物よりも何よりも心がいつも優先でいたい私です。

お金は生きている時だけ、食べ物も車も家も服も、何もかも。この世に執着しているからこれらが必要不可欠になってくる。

 

 

 

576)パラリンピックで、日本の選手達が健闘しています。障害をもった身で競技をする姿を見る度に、自分の置かれた境遇に感謝し、よし!と思う私です。一方で、福祉に遅れている日本はこのパラリンピックをあまりとりあげてもいないし、選手への対応も万全では無く大部分がボランティアの手を借りての参加となっています。世間でもまだまだ障害者に対しての見識は浅く、理解のないのが現状です。なんらかの事情で自分の意とは反するハンディをしょても、前向きに生きている姿は誰をも励ます勇姿です。差別なく暖かい支援ができる国に、、、柔らちゃんの金と成田さんの金は同じ価値です。

 

 

 

575)お彼岸に家族が笑顔で集うのは幸せな気分。そーいえば、母の遺影は写真好きだけあってすぐに暢達できたけれど、父のは余り無い事に気が付いて、お守り代わりに遺影用の写真をとってみました。最高の笑顔のいい写真が取れて、、、こんなきつい会話がまかり通る家族ですが、それぞれを思い遣る、私にとっては自慢の家族です。

 

 

 

574)7年前にはじめて中国へ行ってそのスケールの大きさにただただ驚いた経験があります。万里の長城にしろ紫禁城にしろ、、その中でも個人の別宅としてのイーファーエンは、北京の山の中に海があった?と思う程の大きな湖があって、それはため息でした。そのイーファーエンこそ、私の大好きな西太后の別宅。彼女はとかく悪女/女帝のイメージが強いけれど、そのイーファーエンはなんとものどかで、ロマンティックで、女性好みの庭園なのですね。表には見せなかった彼女の地位が故の内面、、そんな感じがしました。女を捨て、母を捨て、正義と権力を人生に捧げた西太后。大きなものを守り通す為の手段は消す事しか無かった、それが女性なのかもしれない。そんな非道を重ねた彼女ではあるけれど、魅力を感じ引き付けられる。強い。イーファーエンの庭園を散策している時、気分は西太后だったけれど、とても優しく穏やかな気持ちでもあり、今もその歩いた道は脳裏にしっかりと刻まれています。もうひとりの大好きなクレオパトラの歴史は未だ歩いていないけれど、縁があって訪れた時、どんな感じを受けるのか、彼女の心を感じたいと思います。

 

 

 

573)真実の姿をわかってもらえるのは、一人入れば十分ではないかと思う私です。

 

 

 

572)毎日同じ事をしていても、その中から新たな感性/イマジネーションは生まれません。感性を育てるにはチャレンジ。何でもいろんな事をいろいろな方法でする、そして、頭も使い新たなイマジネーションもどんどん湧いてくるものです。自分の毎日を振り返ると、改めるべき点は誰にもあるのです。それをいかに認識するかによって、育つものも育たない。。。毎日の同じ行動でも少しの変化がキーポイント。

人も含めて動物も植物も食べ物も、刺激によって変わるものです。良い刺激も悪い刺激も顕著にあらわれるもの。

 

 

 

571)子供の悲劇が報じられ、最悪の結果が起きた時、誰もがなんで何も出来なかったのか?と自問するのです。かわいそうなことをしてしまった、、ということで終わらせない様にしなくてはいけない、と私は思います。

虐待の保護の問題は日本は本当にお気楽に構えていて、遅れているのが実情。欧米等では保護する人の判断で保護をし、警察からすべて連携となっています。子供が少なくて嘆いている国にしては子供を大事にできなくて、もう少し、シグナルを察して対処できる体制は今後重要だと思いますが。警察って、児童相談所って、役に立つ機関なのか疑問です。こーいった方々こそ、海外視察で肌で体験できるシステムだといいのに。。

加えて、命の重みを大人も子供も深く考えてほしいと思うのです。生きたくても生きれない人がこの地球上にはたくさんいるのです。かーっとなってとか、切れてとか、ストレスとか、、、先進国ならではの問題でもあるのですが、すぐに殺害と言うことにつながるのは、それ事態が異常で、社会でもっと重く対応しないと悲劇が止まらない。まずは受け入れられるはずの大人から態度を改めなくては直らない。自滅をあおるような本/テレビ/ネット。。。もっといいものを沢山見て、良いものを見につけてほしい。

 

 

 

570)【天動説】なんてことが、今頃浮上してきていますが、この問題。子供だけでに留まらないのが現実。地球が中心と思っている、、、うーん。受験勉強も大事かも知れないけれど、自分の住んでいる宇宙の位置付けぐらいは、認識しましょうよ。地球は中心ではないのです。大宇宙の中をそれぞれの星が位置しその周りを地球が回っているのです。もうすぐ、お月見。この機会にぼけーっとおだんご食べてないで、この神秘な世界の事、考えてもいいのではないでしょうか?

 

 

 

569)物事が上手く行かない時、自分の意とは異なる展開になる時、人は自分を悲劇の主人公のように仕立て上げ、その原因を自分以外の人へ向けたがるけれど、それはやはり間違いであるとの私の見解。いかなる事が自分に起きたとしても、それは自分が意のままに行動してきた結果なのだから、その鉾先をその時だけ他方へ向ける事はお門違いだと思うのです。悲劇の主人公になる前に、自分のとった道を反省し、自分を戒める事が次へのステップアップ。他方が自分を動かしているのでは無いのだから。神様が動かしているのでもないのだから。すべては自分です。誰の導きでも無い。自分自身の結果です。くしくも思い通りに運ばなかったからといって他方に責任転換する事なく、逆に他方を納得させれるように自分が精進すればいいことです。私はこれが自己責任だと思うのですが。

吉を味方にする時に、自分に自身がない/心配/誰かをたよりたい。。それによって神仏にすがる行動は私的に見ても偶像崇拝であって、その実は自分の心への問いかけだと思います。けれど、人は太古の昔からそれをすることにより、自分を奮い立たせてきているのですね。自分を確立させる手段/方法としてそれは私も一つの道であると思っています。私自身もそうであるように、心のどこかに他力本願になっているのかもしれません。誰かと共に、、、実は自分なんですが。人はやはり一人ではなかなかできないものなのですね。そして、それにより感謝の気持ちが生まれ、自分だけでは無く、思い遣る気持ちが育つのだと。。

 

 

 

568)100歳以上の人が2万人もいるそうです。その中でも、スキーをしていたり、ランナーがいたり、、元気でいる方の共通点は生涯学習の実践と向上心のようです。脳の働きによって明暗がわかれる高齢者。意識と無意識の中です。私自身いくつまで生かされるか分からないけれど、生かされている間は上を向いて、脳を使って、元気でいたいものです。心優美におおらかに、、、自分の与えられた人生を自分というキャンパスに描き続けましょう。

超高齢者でいられるこつは、脳の活性化だと言う事です。思考と知恵。年だから休んでいて、ということが逆に脳の萎縮をうながし、、、若い者が高齢者を気づかう意識の改革も必要なのでは?とも思います。高齢者ではあるけれど、社会の一員。人間は休む事なく動く事が元気の条件のように設定されているのかも?

 

 

 

567)ライオンは群れをなさないと何も出来ない動物。水さえも水場で飲むのは日も落ちた夕暮れ、朝は草に付いた露でのどをうるおすそうです。同じ動物の人間は群れをなさなくともある程度生きていけるのに、最近はグループでないと何も出来ない人が多くなって、ライオン並みの生活をしているようです。

 

 

 

566)伝え残したい言葉で【いただきます】という言葉がトップだと言う事に、何考えてるのか、、と思う私です。【いただきます】なんて普通はご飯を食べる時の言葉。その言葉が使われないのは食卓を子供と囲むことがないか、あるいは、躾を省略しているか、、ご飯を食べるよりももっと大切な言葉が有るはず。私なら【ありがとう/ごめんなさい】これだけしっかり身に付けば、世間は渡れます。とにもかくにも今の大人が【いただきます】なんて言葉を選んだ事はレベルが低すぎて情けない私です。どちらにちても、【いただきます】、【ありがとう/ごめんなさい】は普通に生活していれば出る言葉。この普通の生活ができるよう大人ももう一度勉強する必要があるのでは?

 

 

 

565)ベビーの握力ってことのほか凄い。紅葉のようなというけれど、最近のベビーは熊手のようだ。私でさえこんなに強く指を握る事はできない。。。

 

 

 

564)昨日から私とワンちゃんを悩ませていた、真っ黒な《蚊》。飛んでいるのは見つかるのに、捕らえられないでいた24時間。老眼鏡をかけて待っていたかいがあり、私の腕に吸い付いた瞬間、その《蚊》を思いきりピシャリ!私とワンちゃんの血を吸い捲ったその《蚊》は真っ赤に染まって最後となった。この退治した時のなんとも言えぬ、胸のつかえがおりたような、晴れ晴れとした気持ち。にやりと笑ってしまう私はやはり、クレオパトラや西太后が好きなだけあって、、、とも思う程。また、殺生をしてしまったけれど、こうせねば、また不愉快な夜を過す事となる。これも性よ。人の物を勝手に取るから、仕方ないわね。

 

 

 

563)人が人へ伝える事はその人の生涯で必ず有る事だと経験から思うのです。私は親ではいろいろ自分なりに苦労?してきましたが、その事は今の自分にとって大変な成長の証しとなっています。その事はその時には受け入れられなくとも、その苦痛の試練はその人をのちのちいい方向へ導いてくれます。それが親や子供ならなおさら、自分にとっての生涯学習です。その苦痛からなんらかの形で免れる時、死であったり、別れであったり、お互いに卒業を迎えるような、、、そんな思いをしています。縁あって近親者となった人からの伝授は他人から受けるよりもはるかに重みがあります。これは私の今に至っています。なので、私の仏への供養はそんな感謝の気持ちです。義務でも、責任でも、おつきあいでも無く、ただただ感謝の気持ちです。

 

 

 

562)アメリカの人気番組で、観覧者に記念として300万の車を全員に270人以上にプレゼントしたという、なんとも太っ腹な話。大陸的というか、私利私欲の島国日本ではここまではできないだろう。ブルネイもそうだけれど、みんなで分かち合う気持ちが国を企業を伸ばせるのだと思います。お金は天下の周りもの。使わなければ入りませんよね。使わなければ行けない時、出し惜しみしていると、福はこないと言う事でしょうか。人の為にした事は自分に必ずかえってくるのです。打算は無用。一言の言葉でもそれは感謝なのです。と思います。

 

 

 

561)いつものお散歩コースで必ず立ち寄るお店があるのですが、それはコースになっていて、どうということのないお店でした。が、今日はなぜかお店の中まで入り込み、そこで売っているいろいろな石をいつもは気にもしないのに、しばしじーっと見入っていたら、見なれない店員さんが挨拶をしに近寄ってきました。とたんに、全身がびびーっと感じ、髪の毛まで立ってるんでは無いかと言うくらい、強い気を感じました。振り返って彼女を見た時、あー!っと納得。この眼力の強さと気の強さ、そして優しさ。彼女に引かれてここまで入ったのだと。7年ぶりでしょうか。このような人に出会うのは。素晴らしい感性の人です。台湾出身と言っていましたが、、、こんなことはあまりないけれど、こうなると言葉は必要無く、多くを語らずとも分かりあえるのです。今後目に見えない、いいおつきあいができそうです。彼女もまた、私に何かを感じたようで、出合いと言うのは引き合うもので、その引き合いも見定めるのが大事な事。これから、いいものをお互いに感じあいそうです。またいつかふらっと会う事となるのでしょう。チベットのチャイニーズの友人や、主人のように感性でおつきあいできる人が、また見つかりました。

 

 

 

560)五体満足な身体を持ち、好きな事ができて、この上何が望みでしょうか。下を見たらきりがなく、上を見てもきりが無い。隣の芝生は良く見える、というけれど、実を知らないとこのような言葉の通りとなると思います。一点豪華主義とか、こだわりのひと品という価値観が蔓延している今、その事の意味は?自己満足でしかないはずです。そして、その自己満足も更に上を求め果てしないこだわりへと上り詰めるのではないかと、私は思います。物に頼っているのは寂しいことだなーと、これも私的価値観。

 

 

 

559)浅間山の噴火で1都3県に灰が飛んだと言うニュースは知っていたけれど、、、まさかほんとに。ここの所、ちょっと慌ただしくて、窓のサッシや出窓の所はふき掃除をぱすしていて、おまけに窓は開けていた。。ふと寝転がって出窓に目をやれば、あら?かなり、、ほこり?が積まってて、雑巾で拭いてみればホコリでは無く、まさに、灰。群馬からはるばる風に乗ってきたこの灰。うーん。風って凄いのね。人間的感覚では遠くに有ると思っても自然界ではなんてこと無い距離ということなのでしょうか。

 

 

 

558)あるお宅へお邪魔すると、いつも感極まって涙が止まらなくなる。どんな話をしていても、楽しい話をしていても、必ず涙が出る。半端じゃない涙で、号泣に近くなる。その家を出た途端、何ごともなかったようになる自分に、今のはなんだったの??とたびたび疑問に思う私です。

 

 

 

557)人間は動物である。どんなに頭が良くても、どんなに知識があっても、どんなに勉強しても、どんなに本を読んでも、どんなにいろいろを見ても、結局は本能で感じる事が一番わかるということ。

話してもわからない人にいくら解いてもわからぬように、行動で、態度で示し、感じ取ってもらう事が一番の理解となるということである、と思います。と同時に、私自身が伝えなくては行けない人への話し方、接し方も今後の私の課題です。何分、私はすぐに感じ取る方なので、言葉が追い付かないのが実情、、反省。ひとえに反省。それにしても、感じる事が多すぎる、、、今の所、話さずとも理解してくれるのは主人と数人の人だけです。あまりに忙しいので、アンテナを2ー3本引っ込めましょうか。。。

 

 

556)今新球団設立で若手起業家が独自の経営論を唱えています。昔の人は早過ぎるとか、採算を考えていないとか、間に合わないとか、、、否定的な御意見が多い中、ライブドアの社長は、思い立った時が船出の時期、やってみないとわからないことで、失敗も勉強とさらっと語っていました。私も彼の考えに全く同感。思い立った時が吉日で、そのことが良いか悪いかは結果論。また、そのことで負債がでたり失敗した事は後のいい勉強になるので、何にもか得難いものともなるのです。また、ある社長は完璧を求めるあまり、出遅れたりチャンスを逃したり、結果、成功しても大きくは成功できないでいます。何か大きなことをやる時はリスクを取らざるをえないのでは?失敗を恐れていては、何も進まないと言う事だと思います。

 

 

 

555)流れてくる音楽に立ち止まる事が年々少なくなっている私ですが、今日は久しぶりに鳥肌が立つくらい振り返るくらいの音を耳にしました。ジャズピアニスト/上原ひろみ。躍動感溢れる激しくもハートの有るこの旋律に彼女のエネルギッシュな感性を感じました。楽器だけでこれだけのものが出せる彼女のその感性に大変ひかれ、洗練された旋律と彼女の魂の調和。まさに芸術。いっぺんでとりこになりました。ボストンを拠点にしているということですが、彼女の生の演奏を一度堪能したいです。揺れ、つき動かされるようなジャズです。ほんとに、久しぶりにディスクを買いたいと思った若きアーティストです。

同じく名ピアニストのフジ子ヘミング。エネルギッシュという面では彼女もまた異才をはなっている。彼女の奏でる音は彼女の人生そのもの。年輪と経験がその感性にプラスされて、時に聞いてるだけで涙ぐむほど。元気のよすぎる私にはこちらの方がいいのかも知れないけれど、いやいや、元気すぎて困る事は無い。

 

 

 

554)行きたくても行けなくて、この時期をはずしたら一年のお預けのもの。ひとつは巾着田の曼珠沙華。今年は妙にこのお花が気になって見たかったけれど、諸事情により行けなかった。ひとつは、春から楽しみにしていた大好きな西太后のお芝居のチケット、我が家のいろいろな変化を自嘲して先日取っていたチケットを人にゆずったのですが、、今朝、写真好きの知り合いから素晴らしい巾着田の写真がどーんと届き、また別口からもっといい席のチケットが手に入った。なんとも有り難い事で、、、、なるようになるとは、このようなことでもあるのでしょうね。心置きなくお芝居を楽しめます。そういうことですね。

 

 

 

553)世の中は、捨てる神あれば拾う神あり。決別と出発。灯台下暗し。

 

 

 

552)アメリカ南部に上陸したハリケーン。発生源の近くだけ有って日本へくるのとは桁外れな勢力。危機管理の徹底しているアメリカは民族大移動を成し遂げました。それでも被害は大きかったようです。日本では予測はしても、行動が、、、。誰もが傍観者体質。でーんと腰を据えて頭で考えているだけ。これが本当の腰が重たいと言うのではないでしょうか。日本人はよく走るのに、どこへいっても走るのに、指示を飛ばす肝心な人達は肝心な時に走らない。アメリカに限らず、外国の人は普段は走らないけれど、いざと言う時の反応は逆に早いのです。備え有れば患無し、、を肝に命じて、人を当てにせず、自分の事は自分で守りましょう。そして近隣の人と助け合いましょう。今の日本ではこれしかないでしょう。

 

 

 

551)異常気象だなんだかんだ言われた日本の夏も少しずつ秋の気配。季節感のなくなった花屋さんや八百屋さんではあるけれど、やはりその時期の物は格別です。我が家の庭先のきんかんも終わりを告げて、大きなみかんが緑色から少しずつ色を重ね、紅葉が紅色の葉をつけ出すその光景はささやかな癒しです。地球のあちらこちらでいろいろな出来事がある中で、こんなささやかな癒し持てることを感謝。毎日の何気ない光景が当たり前のようになっている中で、それは当たり前では無くて最高の幸せであるのだと思います。

今の生活に不満なんてあるわけもなく、夫婦が流れに乗ってそれなりの生活をさせてもらっていることへの感謝。主婦として妻として女性としてしっかりその実を実践できているのかな?

 

 

 

550)大好きなお馬さん、《ハルウララ》が競馬場からいなくなってしまった。馬主さんとしては、この負けっぱなしのお馬さんの休養目的と言い、競馬場はドル箱スターがいなくなったのだから、寂しい気持ちがいろいろで心中穏やかではなさそうで、当のお馬さんはきっと栃木の環境のいいところで何も考えず馬としての生活を満喫しているはず。春に引退を控えてのこの突然の休養劇も、何やら人間のいろいろな感情がからみ合っているようで、競走馬と見た場合と、愛馬では大分変わってくるのだろうと、ただただあっちこっち言うがままに動かされる口のきけないお馬さんが気の毒にも見えるし、口がきけないお馬さんが幸いにも見える私です。まー、スターと名の付く性でしょうね。またピンクのキャップをかぶっての走りを見られるといいですねー。

 

 

 

549)いつか病気になったら、、いつか。。。になったら、、いつかいつかと心配してびくびく暮らすよりも、今を精一杯生きましょう。人生なるようににしかならないし、なるようになるものです。どーんと構えて動じない気構え。たとえ悪く傾こうとも、それはそれ。また立て直せばいいことです。あれこれ心配しても始まらないでしょう。そんな人生のほんの一こま。それさえも楽しめれば最高なんだと私は思いますが。

 

 

 

548)家から仏壇がなくなるので、、、なんとなく落ち着かないので、自分用のものを作りました。先祖の戒名を筆で書き、一人一人念をこめて写経をして、7時間の作業でした。自分が納得する為の形です。写経をしていると、すらすら書ける文字とつまづく文字があることを発見。三文字。この文字の意味が私の今後の修行の課題のようです。一つ一つの文字をかみしてまた精進精進。

また、新しい気付きがありました。仏壇がなくなることによって、自分のした行動で自分でわかったのです。占いより的中率は高いですね。気付きは人に言われてわかるものではなく、いつか自分の身に起きてはじめて判るものです。言われて判るのはきっかけのようなもので、その先が結構かかるような気がします。

 

 

 

547)仲間割れとか、意見の食い違いとか、一生懸命になればなるほど、人知れず欲も出てきて波長が乱れるのですかね。同じものを志していても永遠に考えが同じであるはずも無く、それはあうんの呼吸、陰陽バランスしか無いのだと思います。一人でやっているのならわがままも通る事でも、仲間が入るのならばわがままを通せば別れとなる。。。けれど、一端は同じスタートラインに立ったのならば、やはり一度縁の会った人をどうのこうの世間に暴露すると言う行為事態、???ここは大きな懐を構えて、沈黙は金であるということ。暴露など、人のことをどうのこうの中傷する人に正当なはずもなく、それほどまでに何か訴えるものがあるならば、行動で示すべきだと私は思います。内情をあばいたり、予測したり、このような行動は私に言わせれば。。。。黙ってしっかり自分の道を進めば、必ず、正義に光は当たります。忍耐。そして笑顔です。それも人生修行の大事な行ではないでしょうか?正義感も強過ぎるとマイナスになりうる、、、言う方も言われる方も口は災いの元、ということですかね。

 

 

 

546)球界に新規参入の話が出たり、レコード会社をアーティストが設立とか、いいじゃない!新規の物がどんどん参入しないと、変えようと思っても変わらないのが現実。これを機にどんどんいい気を各方面にまいてほしい。自分達の世界に固執している旧体制をかっとばせー!

 

 

 

545)彼女が11歳、私が35歳の時に親友の契りを交わした少女がいました。久し振りにあったら、彼女は20歳。なんと結婚すると言う。月日の経つのは早いもの、、、昔からしっかりした子だったけれど、なんだか急に大人びて、見上げる私に向って『あっちゃん、いつみてもちいさいね!』笑うしか無い。子供と違ってもう背は伸びないのよ。。。ともあれ、祝儀の席が十年ぶりに持てることに笑顔の私です。

 

 

 

544)何かの作業をする時にほとんどは音のない環境が多いけれど、日常のいろいろで頭の中がごちゃごちゃになっている時、東儀秀樹の雅楽とグラッペリーのバイオリンジャズをよく聞きます。雅楽とジャズでは共通点がないように思われるかも知れないけれど、このお二方の演奏はとても穏やかで柔らかいのです。知らず知らずの内に彼等の音に私のイマジネーションが反応してきます。反応してきたら音はもう聞こえなくなって、没頭状態。歌は好きでよく歌うけれど、時としてその言葉に引きずられるのも邪魔になって、、、細い音色が優しく包むこの感覚が大好きです。

音が人に与える影響は結構大きくて、誰でも経験の有る所で、、、若い頃好きな歌手の歌を聞いてその気になったり、悲しい時にみゆき姉さんの歌を聞いて、どーっと底まで落っこちたり。私自身、念の入りやすいタイプなので意識的にいい音を選んで聞くように心掛けています。バックグラウンドミュージックの歌詞入りは私にはNG。また、お香やアロマの調合等をする時も音の影響は顕著にでてきます。些細なことだけれど、結構日常生活もおもしろいのです。耳から入るものはダイレクトに脳に入るから、画像より無意識に入り込みます。そんなことでいろいろ考えると、良い環境作りできますよ。

 

 

 

543)かわいい顔をした幼子の痛ましい事件に、大人の責任について、保護に付いて、深く憤りを覚えます。頻繁にあった虐待に対応しなかった父親、通報を受けても、規則に縛られ人道的措置がとれなかった児童相談所、ひどい事態と想定できていたにもかかわらず、被告を問いつめ自供を遅らせ、通報にも対処の遅れた警察。この幼子は何の為にこの世に生を受けたのか。こんな結末の為に?この親がしっかり今後この幼子を背負って生きていけるのだろうか?かわいいさかりのこの幼子の様子を思うだけで胸が痛みます。子供を授かって育てるという大役を担えない現代。やたらに子供を増やす、、なんて酷なことなのではないのか?辛かったろうに、幼子達がこの世を去って次の世に辿り着き、少しでも楽しい生活ができるよう念を送るだけです。

数年前に起きた小学校での殺人犯に異例のスピードで死刑が執行された。死刑の賛否についてどうのこうのはないけれど、犯した罪に対しての裁き。人権という立場で反対派も最近は多い様ですが、、ただ、犯人がいなくなったからといって、遺族の気持ちが落ち着くものでも無く、この死刑囚は死ということへ逃げた、、後味の悪い結果に報道を見ていました。

 

 

 

542)道を極めるのは競争では無いのです。人の価値観/感性/思想。。千差万別のように、それはいろいろです。人生ー生きる道を極めるのは十代で極める人もいれば八十代で極める人、中身の問題だけです。早くても遅くてもいいも悪いもないのですね。その後が大事という事。芸事等を極めるには一生かかるのですから、、、これで完成という事はないということ。と思います。そこに辿り着くまでは紆余曲折あるのです。大事な事は気付く事だと思います。多くの気付きの中で生活も環境も変わり、家族に笑顔があふれ、病気という言葉とも縁遠くなるのです。家の気がよくなるのでしょうね。

病気は自ら引き起こしたり、周りから影響を受けたり、、本人とは関係のない所からもやってきます。病は気からです。まずは環境整備から。大事な事です。そして、自分の一番弱い部位にでやすいので、その養生も大事となります。養生においては、西洋医学よりも中医学。または日本の古い医学書の中によく表わされています。病んでしまったら立ち止まって振り返る時期と思い、いい機会と捕らえるのも一つのプラス思考です。身体が元気に気が溢れてくると、もっともっとその道の実に踏み込む力が出てくるものです。

 

 

 

541)今とてもいい状態にいられます。日々起こる神秘的霊的な体験も体感も受け入れ、一つ、生まれ変わったような新鮮な気分です。

永年トラウマ化していた親への思いが吹っ切れた事がひとつ。結婚以来14年間、私の思い通りに縛り囲い続けた夫を自分の意から解き放つ事ができた事がひとつ。親への思いは自分の気をも低下させ、身体も随分痛めてきたけれど、それが一つの決断と共に何ごとも無く消えたのです。24年目の春です。主人に対しては、彼を意のままにしてきたことで、彼の本来の資質にふたをしてきた私。人として最大のエゴでした。それでも14年の間ここまで支えられてきたのは、彼の底知れぬパワーのおかげだと、今改めて思うわけです。15年目に突入し、私も自分の最大なるエゴに気がつきそのあさはかな思いから私も卒業です。私が大きく変わったのは、この事に目覚めた時からでしょうか。この日!と決めて綺麗になりました。この日を迎えるのがわかっていたかのような、いろいろな事象の重なりよう。苦は楽の種。自分でしか結局は変われないのです。今までも恐いもの知らずの私でしたが、これからは、あらゆる意味で、、恐いものなし。それだけさらに強くなりました。この私をここまでにしてくれた、両親に、主人に、身を投じて試練を与えてくれたことに心から感謝します。

 

 

 

540)くり返される少年犯罪。犯罪と言う言葉ではくくれないほどの安易な殺意。法は民を守ると有るけれど、どうも平等ではないようです。大人並みの残虐な行為にはやはり家庭裁判所では納得行くはずも無く、、、日本は改定しなければならないことが山積みでどれもが中途半端。郵政などに時間をかけている暇があったら、再発しているこれらの法の見直しを最優先にしていただきたいものです。いろいろ政治家の討論番組はあるけれど、討論するのは結構ですが前に進んでいただきたい。それぐらいの討論は誰でもできます。子供であろうと大人であろうと罪に囲いをつける方がおかしいとも思います。悪い事は悪いのですから。やはり、鬼になる時も必要で、情けは人の為ならず、、、ではないでしょうか?

 

 

 

539)天災はとかく煩わしいものと決めつけがちではあるけれど、天災によって天の恵みとなった所もあるようで、温泉の色が地震の地殻変動によりあこがれの乳白色になったり、台風の影響で真鯛が池州逃げ出し普段取れない所で大漁になったり、、、天災に無く人笑う人、自然は気紛れと言う事でしょうか。

 

 

538)《少年よ大志をいだけ》という有名な言葉がありますが、大志をいだくのは何も少年ばかりではありません。この世で生きている間常に前向きに大志をいだくという気持ちは、人をそれだけで向上させるのだと思います。その為にもどの位置にチャンネルを合わせるかで、道は別れてきます。同じレベルや低いレベルにチャンネルを合わせても向上はありません。一つ上くらいがちょうど良いのです。

 

 

537)東京地方は夜はすっかり秋の風情では有るけれど、日中はまだまだ暑いです。毎年思う事であるけれど、この嫌と言うほどの暑さも、真冬になれば恋しくもなる。ということで、あとしばらく、この夏を楽しんだ方がいいなーなんて。。。着実と季節は変わっていくのだから、あせらず自然の変化を満喫いたしましょう!

 

 

 

536)私的楽天的生き方。

知って嫌な思いをすることもある、知らなければ何も無い。どうせ一度の人生、できれば楽しく難無く送りたい。無理に知らなくとも必要ならば知る事となる。その時までは触れない。無理に知ろうとするとさらなる底が待っている。自然に受け入れる事で、スムーズにもなるものです。私は流れのある水が好きです。きままにゆったり流れる水、激しく流れる水、どっぷりたまった水。人生、水の流れと同じ。宇宙と言う中の時空を泳ぐ、、、そんな生き方。

今、ここに生きているのは意味が有る事で、とっても大事なことです。不慮の事故で亡くなったり、事件に見回れたり、いつ何時それはこに身に降り掛かるかも知れない事。だから、その大事な今を前向きに、いい波動にのって、その意味の実になれるように。。。

 

 

 

535)幸せの定義ってどこにあるのだろうか?お金?物質?地位?名誉?私の幸せの定義は家族。夫であり妻であり子供であり、親である。そこには必ず笑顔があって、多少の困難もその笑顔で救われるのです。幸せは運でもあると思うし、巡り合わせだとも思う。いい運に会うのも、いい巡り合わせにあうのも、心がけ一つ。

星の数程男女がいてその中で御縁があって夫婦になって。明日から15年目の歩みが始まる。手前味噌ではあるけれど、こんなベストカップルはあまりない。男女であるけれど、男女で無く、夫婦であるけれどもっと違う所でつながっている。。。年間の3分の2は24時間一緒にいるにもかかわらず、毎朝が新鮮で、お互いの考えも良く理解できお互いがお互いの人生の指導者で、、、占い師によると相性は悪いそうであるけれど、私達には相性以前の宿命的つながりを日々実感しています。14年間ありがとう!そしてまたこれからもよろしく!

 

 

 

534)道路公団といい、イラク自衛隊派遣といい、郵政民営化といい、ライオン総理は自分の思いのみでなかば独裁体制できているけれど、、、郵政事業に関しては、党内割れをも引き起こしても自分はその意を通そうとしている姿を見ていると、このお方。何か悪いものに取り付かれているか、相当な危険人物にしか思えない私です。どこまでも国民の築いてきた財を減らしたいのですね。この企画案。度素人が見てみても、不安材料だらけで知識人特有の頭だけの数字だけの素案です。いままでは何かと安全ぱいの自民党もそろそろ国民は背を向けるのでは?民営化にするならば、民間では出来ない事は最低国がやっていただきたいと思いますが。

 

 

 

533)こだわりを持つ事も時には必要になるけれど、どうこだわるかでその本質は良くも悪くもなってしまう。自分の世界もあってしかるべきで、誰でも持っている大切な時空。その時空も良くも悪くもなるのはこだわり方一つ。今日秋の夜風に吹かれて歩きながら自分をいろいろ整理し、そこへたどりつきました。そして私自身が私自身に出した答えは、以前とかわらず、ものにこだわらず、自分の囲いを設けない。これでなければだめというその言葉事態の排除。何をするにも無限大。無から有。

 

 

 

522)温故知新ー古きを調べて(たずねて)新しい考えを得ることをいいますが、この言葉。現代人の皆様、よく肝に命じてほしいなと思います。昔の事は大事です、いいことも今につながる事も沢山有ります。社会生活/日常生活/家族/。。。けれど、それをそのまま今に置くからギャップで出来ない事もあるのでは?古き良きものをいかに今の時代にマッチさせるか、古いものへのこだわりを捨てて、その感性で今にぶつければ世代を越えていいものがまたできると、私は思います。

 

 

 

521)昨日も黄金の国ブルネイの話をしたけれど、なぜ、この国が豊かなのか?資源だけでは無く、ロイヤルファミリーの人間的姿勢からのようです。なんと、教育費も医療費もただだという。国の利益をちゃんと国民にも分けているのですね。この御時世、独占欲が強くて戦争なんてかなり事例の有る事だけれど、こーいう懐の寛大さが国を豊かにして、国民がのびのび暮らせると言ういい見本の国なんですね。ブルネイに移住しようかな??

 

 

 

520)自然に生息するもののその神秘性にはほんとに驚かされるけれど、中でも《曼珠沙華》別名彼岸花ほど神秘的霊的な花はないと思う私です。今年は異常気象で御盆にもひょっこり咲いたりしたけれど、ここへきてまたぽつりぽつり咲き出して、来週のお彼岸の頃には満開となるのでしょう。巾着田といところろは一面がこの花でうまるそうな。。なんとも言えない世界が広がっている事でしょう。

お彼岸と言えば。。。ここの所また不祝儀が重なって、親戚が多いというのもそのおつきあいが結構大変で、毎度お馴染みの顔が連なるわけだから、、じっくりゆっくり数えてみたら、あと15回は出席が予定されていて、、それにまつわる行事はその三倍以上となる。両親共に7人兄弟の末っ子の性。これに主人の親戚、妹の親戚が加わるのだから、、、祝儀はとんと御無沙汰の我が家です。とはいえ、仲の良い証拠。一族親族の御縁がいつまでもつながっていられるというこの事実をありがたく思いましょう。

 

 

 

519)ブルネイの皇太子の結婚式で、何と皇太子后は17歳だという。30歳の皇太子に高校生の花嫁。まったく、黄金の国は何を考えてるんだと、独り非常識を訴えていたら、主人が申し訳無さそうにくすっと笑って、、、そうでした。我が家も13歳離れているのでした。57歳と44歳ではあまり違和感ないけれど、、、同じ事ね。そういえば、、結婚式の時に強制わいせつ罪だなんていわれたような????

 

 

 

518)父の健康診断書を作成してもらう為病院へ行き、必要な検査をピックアップしてもらい、まるで流れ作業のように検査を終えて、さて会計。父は老齢保健だし窓口で支払う金額は数千円。いつもなら気にもとめない領収書ですが、かばんにしまっても何か気になって2度3度とその領収書を眺めていたら、あれ?診察料が¥5000にもなっている。普段は¥70。おまけに今日は診察なんて受けていない。おかしいと思って会計に引き返し説明を求めた所しどろもどろで解釈不可能な返答。挙げ句は血液検査の指導料だと言い切った。ならば、書類をもらう時はただなのね?私達は流れ作業の検査で、何の検査かも知らされていないし、指導なんてひとつも受けていないのだから、なおさら疑問は膨らんで。。私は間違っている事に関しては自分でも信じられない程の饒舌な語りと毅然とした態度、おまけに、丹田呼吸で鍛えているのでお腹の底から出る通る声。たちまち、待ち合い室の注目の的となり、そこにいらした方は皆様自分の領収書に目を走らせて。。医事課の女性はさらに困って奥にひっこんだきり戻ってこない。私は、支払う金額を言っているのでは無いのです。納得の行く診察料¥5000の内訳を知りたいのです。指導料ならば、¥5000分。しっかり聞こうじゃありませんか。あーだこーだ押し問答40分。結局。看護士との連絡が上手く取れていず、継続的な検査では無いので次回は¥290でその時に、今回のを精算し返却すると言う。これって、、水増し請求なのでは??今回はじめて気がついたけれど、支払う金額が安くて気も止めていなかった保健請求。こんなのは日常茶飯事なのだろう。次回にきっちり納得が行かない場合は、川崎市、神奈川県庁、日本医師会、厚生省に報告させていただく旨よろしく!

 

 

 

517)版画家の名嘉睦稔さんの芸術論なるものをたまたま見ていて、にわか芸術家の私の姿勢と同じ気構えに、喜びと希望と励ましを受けました。

彼の絵に対する思い、、、絵は写真で言うシャッターを切る瞬間のようなもので、その一瞬を捕らえると言う。そしてたとえば、魚を描く時には魚の気持ちに自然となっていると。絵は構図より描くものの気持ちである。

私の姿勢と同じなんです。ひとりよがりでは無い!私の作るものは早い。まさに直感で描き、その気持ちの有る時に一気に仕上げるのです。感性だけで描いてきた私の芸術作品も気構えはプロと同じだという新たな刺激に、なんだか、わくわくして今もどんどんイメージが浮かび上がってきている。また、版画は少しの馴染みしかなかったけれど、彼の作品から優しさと暖かさを感じ取り、また一つ、私のいい勉強になりました。私には自分の感性をぶつける所が沢山有る。器用か不器用か、向いているのか不向きなのか、上手いのか下手なのか。。それでもできる事に幸せと有り難さが込み上げてきます。涼しくなったら、絵/押し絵/篆刻/和紙作り/書道/和裁/編み物。。。これからもどんどん自分の心が出るものを。。

 

 

 

516)【付いた癖は焼いても退かぬ】ということわざがあって、一度悪い癖がついてしまうとそれはいかようにしても修正は難しいと言う事。けれど簡単に修正もできるんですよね。自分が素直に受け入れればいいんですよ。人の生き方も同じだと思います。良い事はすぐに受け入れられても、とかく違う事はわかっていても受け入れられない、、、でもそこで、自分がより良くなりたいとエンジンをかけ直せば、時間はかかっても必ず方向転換はできます。人生は忍耐と苦労と喜びの繰り返しです。登る山には下るしか無いけれど、人生はある意味頂上を設ける地点は自分で決める定め。くり返し作業を何回乗り越えるかで、自分にまとう知恵が英知が幾重にも巻き付いてくると私は思います。

 

 

 

515)皆様のNHKが自分達のNHKだった!唯一受信料をとっている国家的企業とも言えるNHK。またも浮き彫りになるトップのおろかな経営指針。世の中の古い体質の企業はまさに鏡で映しているようであろう。このこそこそとした陰湿な隠ぺい体質。まー、顔を見ればわかりますが、、、政治家つながりの皆様全滅の危機を迎えているようで、これも日本の象徴。この時代錯誤の世代を交代させて、ライフドアの社長さん並の多くの若手の先進の経営で日本を変えていただきたいなー、、、なんて思います。ガンバレー!30台!40台!

 

 

 

514)言葉の引用や知識はだけでは、ただの言葉で終わってしまいます。それに、自分の感性が加わってこそはじめてその意味をなすものであると思います。

たとえや知識が自分の中で消化されて(体験/経験)自分のものになった時に、人に伝えられるものとなるのです。ただ、言葉を引用して述べていても一般受けはするけれど、その奥へは踏み込めるものでは無く、それを受けた人もただの興味/知識として終わってしまうのだと私は思います。

 

 

513)私の父が介護付きのシニアハウスに入居する事が決まりました。同居の間いろいろ問題をかかえ、どうやったらお互いが残りの人生をお互いに思い遣り良い関係を築けるかに焦点を絞った結果です。意外にも父の方から乗り気な姿勢を見せた時、一瞬、戸惑いはあったものの、わだかまりなく、いい旅立ちとなっています。私達が出ていくのは簡単であるけれど、病人一人を残しては、、、そこまで鬼にはなれない。最近では健常者の人の入居が多く、インキで独特のある雰囲気のイメージはまったくなく、高級ホテルの様です。大半の人は自分の財産を処分して入る為、【無欲】となることが改めて認識できました。普段、無欲のつもりで生活していても、車だ家具だ食事だ、、そのようなものを捨て切れず過すのが当然であるけれど、一切を処分することで、断ち切ると言うか、この時点でステップアップしているのだとも思います。部屋は一軒家にくらべれば手狭なひと間。必要最低限のものをもって、新しい生活に入るのです。その目に見える光景を悲観する人もいるし、その感情も正しいとも思います。けれど、今一つ奥に入ると真理と言うものが見えてくるのです。よく、こーいった所に入ると、長生きをすると聞きます。そのことが単にいたりつくせりの生活では無くて、そこで暮らす人の心理であるとも確信しました。父も話が決まってからは、別人のように前向きで。余命2年。元気な内のこの決断は少しでも長生きできるきっかけとなるようにさえ思えます。私自身も別居ということで、ここ数日は父のことでいろいろ気を使うようになり、自分でも本来の娘という姿を取り戻せているように感じています。同居でそうなれば一番なのでしょうが、どうも肉親とは縁が薄いようで、このような形の方がベストなのだと。。ふって湧いたような話に身内もびっくりの事態では有るけれど、本人はまさに幸せの絶頂にいるという、内と外では考えが違うと言う事です。幸せは世間体では無く本人の意識ですね。私達夫婦も来年にはこの家を離れるでしょう。広いこの家で家に執着する事をまず捨てて、そろそろ私達も身辺整理。この機会に父同様ステップアップします。

 

 

 

512)私は目に見えることよりも、心理的、心のあり方持ち方を優先します。目に見えるものには限界がありますが、心理は無限大で不可能はないのです。自分自身がわかっているからできることでもあります。いつも自分の心と対話しその声に耳を傾けるとき、新たな発見があります。そして、上辺にまどわされない見抜く目ができると自身をとおして確証しています。この人並みはずれた洞察力は、近年になって私の師匠の主人も認めてくれており、仕事や人間関係に於いて大いに役立つ事となっています。私がいいと思った事は誰が否定しても、、いいのです。逆に、良い反応をしなかったり、無視したり反感を覚えた事に関しては、いいと人は思っても、必ず、だめなのです。念じる事も無く、直感で反応します。でも私は霊能者でも占い師でもありません。生まれ持ったものも有るのかと思いますが、どれだけピュアーでいられるか、それがネックのような気がします。

 

 

 

511)生身の人間だから完璧なんてあり得ないけれど、完璧でなければならないものも沢山あって、生身の人間+機械という組み合わせになるのであるが、それでも生身の人間が関わるものにはミスが多い。年金問題がいろいろ取りざたされているなかで、年金の支給ミスと言うのは誰が聞いても顔が歪む話。おーい!しっかりしてちょうだいよー!こんなことでは誰も払わなくなっちゃうぞー!!

 

 

 

510)プロ野球問題が裁判にまでなる国民的な問題となってしまって。ひと時代昔なら球団の言いなりになっていたろうが、今の時代、誰もが自己主張をするほどある意味自分を確立し自信を持ってきている。話し合いで解決すべき問題で、スト決行などなればなんとも人間的に情けない様である。しかし、今回の場合は聞く耳持たずしてなるようになったということであるように、この段階では選手の応援に回ろう。選手あっての球団、社員あっての企業、人と人との立場をお互いに思い遣らない企業団体はこの世紀は乗り切れないでしょう。世の中、めまくるしく変わる中で、人もどんどん成長している。成長できないのは、石頭ばかり。

 

 

 

509)郵政民営化が現実味を帯びてきた今、私の知らなかった郵便局へのお金の預金の深い意味や、郵便局の歴史がどんどんあらわになってきて、少し困惑ぎみです。

特殊法人がしでかしてくれる事業の数々のつけは、またも国民につけがまわるという。。この上郵政民営化になったら???そーいえば、昔昔は畳をあげて、床下にカメを置いて預金したそうな、昨今では、床下からでるのは白骨のみ。なんだか、、天と地程の差が有る。

 

 

 

508)どうしてそんなにきっちりした人生を送りたがるの?どうしてそんなに自分を正当化しようとするの?どうしていつも下ばかり向いて、どうして先のことばかり考えて不安を増すの?人生は数学ではないのできっちり割り切れないのですよね。こうである!ということがあっても、そのことがTPOでいろいろ変わるのは仕方ないのですよ。その変わる様をいちいち不安がってては何もできませんよね。今が良ければ的発想が安易に見えるのは、それは自分の問題でも有るのではないのかな?後になって後悔しない為。。。その為の今ではないのでしょうか。結果として良いか悪いか、それはその人の気持ちの持ち方一つで何とでも変わるのです。自分の人生だっていつ終止符が打たれるかだってわからない。それが長くなるも短くなるも、気持ちって大事ですよ。私は自分の人生において、悪く考えた事はないです。悩んだとしても試練と思いを変えて、これを乗り切ればと思いながら生きてきました。そして、人を疑った事や、人を裏から見る事もしたことありません。素直に何でも受け入れてきました。それでも騙されたりしたことはないですよ。仮に騙されても、気持ち良く騙されたのなら、気にもとめないかも知れません。この世での一度きりの人生だからしっかり考える、、、でも限度ってあるし、前向きの考えのほうが身体にも優しい。肩の力をぬいて、どうあがいても運命はなるようにしかならないし、気持ち良く進んでいる事は良い事だと思いましょうよ。悩んでいると言う事事態、運気が止まるのだから、その時間が長いというのは良いとは思えない。。と私は思います。

 

 

 

507)今家にある大型の仏壇を小さなものに変えようと仏具店にいって目の玉が踊ってしまいました。もともと家にあったもので、買った事等無かった私。小さなものでも材質にもよりますが60万というお値段。仏壇ってこんなに高いのですか?という私の質問に、お店の人は、亡くなった方の家ですので、、というお返事。家ね。。。ということは家に有るのは相当なものということなのか??今回は必要な人に買い求めるのであるけれど、私なら、、これは必要ないと判断をいたしました。もちろん、先祖から受け継いだ仏壇をどうのこうのいうことはありません。それはちゃんと守っていけばいい。私が新規に買う事は無いと言う事。意味無いでしょう。主人とも、お互いの気持ちの供養が、思いにまさることは無いと確認しあいました。よく、仏壇のことで罰が当たるとか言われる事も有るけれど、これにも大いに疑問が湧きます。罰が当たるなんて思い付く人は、それなりの思い当たる節があるのでしょう。もし、主人が逝ったあとを守るなら、念を込めた写仏と写経の前に彼の骨を一生側におきたいですね。

亡くなった人を一ケ所に集める式はなんだか区別しているようなそんな錯覚をも覚えます。次の世界へステップアップしたのかも知れないけれど、私的にはおなじ釜のご飯を食べた中、仏壇と言う家の中だけのおつきあいは???いつでも母と何かの時は相談し話しかけたりもするし、仏壇やお墓の前だけが連絡場所ではないのではないでしょうか?

 

 

 

506)価値観と言うものはたとえ親子であっても違う程、一個の人間として特色として現れていると思います。価値観は日常から哲学、経済、自然等等、、その幅も広く、何気なく生活しているようで有るけれど、それらがいつも交差しているので、余計に価値観の相違というものが浮き上がってくるものだと私は思います。相違している物を合致させるには、結果であるかも知れないし、提示する人の姿勢でもあるのです。いずれにしても人間の本質の問題なので価値観を変えると言う事は難しいのです。いかに価値観の違う人間と共存するかで人との交わりもまた変わってくるのです。似た者同士、、といえど価値観は微妙に違うのです。

私達夫婦が価値観の違う場面に遭遇した時、どちらか近い方の者が中をとります。そうすることによって無駄な対立も防げると言う、夫婦陰陽バランスのなせる必殺技でもあります。。。。ということでもわかるように、単独行動が全くない、、、いつもどんな些細な事でもかかわり合っていると言う不思議な存在です。

 

 

 

505)電車の中の人の会話っていうのは、何気なく入ってくるのだけれど、、サラリーマン三人があっち揺られ、こっち揺られ、『最近の女は強くてたまんねーなー。ったく、何様のつもりなんだか。。』こんな話しの時は耳がダンボになって、じっくり聞いて、じっくり観察させていただいて。そうですねー。。。女性が強いと言う表現事態??男性が弱すぎるのでは??きっとその言われている女性達も『もー!なに??最近の男性陣!ぐじぐじしちゃって女の腐ったのみたい!言いたい事あったらはっきりいいなさい。。。』100%の確立でそう思います。

サラリーマンの会話ってほんと、切実で笑っちゃう時が有るけれど、いつだったか、歌舞伎の帰りの地下鉄の中で、泥酔のおじさんの前にすわっちゃって。そのおじさん2人組。お葬式の事を話していて、何でも、50回忌までできることはおめでたい事だから、黒いネクタイじゃ無くて、白いネクタイをするらしい。で、そのおじさんも50回忌をしてもらいたいと、、、どう見ても、、50過ぎ。今この世を去っても、あなたの50回忌をしてくれる人なんかいない。と私は心で言ってたつもりが、声になって出てしまい、おじさんが、一言、確かに。といって笑った事があった。。。

 

 

 

504)誰もがダイアモンドの原石なんですよ。少しづつ《自分》という存在を自覚するたびに研摩され、光を放っていくものだと思います。グレードの高い光を求めるのならなおのこと、無になる必要があります。日常の生活をしている中で、この無になる事はある意味簡単でも有り、難しいものでも有りますが、《自分》という囲いを取り除き、自分を一歩引いてみた時、そこに、本来の《自分》が浮き出てくるものです。誰もがダイヤモンドになれるのですから、その光り輝く姿を見つけてほしいものです。《自分》を見つけるということは、受け入れる事でもあると思います。

笑う事。人目を気にせず、大声でお腹を抱えて笑う事。そこには欲や見栄は無いはずです。笑っていない人が多すぎます。笑うと言う事はかなりエネルギーも使うので、内臓もグーグーと活発に動きだします。腹筋にもなります。笑う角には福来る。。。そして余っている時間は外で過すのがいいですね。森林浴ってよく言うように、この大きな空間で何かをする事は、それだけで大地の大きなエネルギーを受けられるのです。そして、10分もいれば、必ず無になれます。心地よく、身体が軽く、頭すっきり。これからは良い季節。私もこの時期はテラスで作業をしたり、昼下がりに木陰に行ったりして、気を高めます。面白い程、何でもよくできます。是非お試しください。

 

 

 

503)大惨事のテロ事件に各国も日本もテロに屈しないという姿勢を表明しているけれど、屈しないと言うのは、アメリカのように武力闘争の事でしょうか?目には目を的発想程おろかな事はなく、嫌なものばかり見ているから、心までもおかしくなって、、武力も手段の一つにせよ、それでは堂々回りで政治的大きな視野で中を探る必要のほうが、最優先のように思う私です。トップは被害は無いのです。被害を被るのは一般の人なのです。同等の立場で解決してほしい、、、そんな思いでいます。

 

 

 

502)今いる環境がいいか悪いかは自分で決まると思いませんか?物事前向きにプラス思考で生活している人は、その生活に躍動感があるのでとてもいい刺激を受けます。自分にプラスになるものを積極的に受け入れてそれを肥やしにしてまた自分が動き出す。私の周りにも沢山います。共通点は皆さん飛び抜けて明るい。その明るさが躍動感になって行くのでしょうね。色で言うならばオレンジ。寒色系に染まるよりも暖色系が人を向上させるのかな?カラーコーディネートなんていうのもあって、色は気持ちを変えますね。色は物質だけでは無く、心にも有るものと確信している私です。悩みや迷いの有る人の話を聞いていると、どーっと落ち込むように、それを跳ね返すにはそれ以上のものが必要でもあるけれど、そんな時にも色は強い見方となると思います。

 

 

 

501)後世に伝えて行かなければいけない事や、間違っている事を正しく認識させて伝える事は重要な事だと思います。核の問題がクローズアップされている現代、この問題が浮上する事すら本来ならあってはならぬ事。日本は唯一の被爆国でその悲惨な体験から多くの人がボランティアの手を借りて世界を訴えて歩いてもなんら変わらないのが現実。つたえ方の方法にあるのかなとふと思いました。悲惨な体験談/フィルム/書物/写真これらのいわゆるマイナス部分を訴えても人はその時の感情に留まって、そのマイナスの感じを維持できないのだと思います。ならばそれをプラスにと単純には思うけれど、そんなに単純に切り替れないダメージの強さではないのかなと。とくに世代の特徴で臭いものにふたをしろ的考えが多い世の中。うまく事を伝えるにはこの世代をどう動かすかによるものだとも。辛い事は一時は直視しないといけないけれど、それを人の心へ訴えかけ、心を、身体を動かすにはもっと違う方法が必要なんだな、とつくづく思いつつも、その方法はまだわからない私です。

 

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