500)言いたい放題、徒然に綴ってきて半年を迎えようとして、この半年の間に私自信も変わりました。ちょうどいい時期なので、今回は《祈り》ということをちょっと考えてみたいと思います。 いつも綴っているように、この世の中は陰陽のバランスでできていると思うのです。楽しい事/嬉しい事、寂しい事/悲しい事。必ず組み合わせが合って、そのどちらにも共通する事も多いとも思います。人は手をあわせる事が結構多くて、自然に何かの時には手を合わせるものではないでしょうか。どうか、、、しますように。やったー!嬉しい時、切ない思いを感じる時、手を合わせているのでは?手のひらは人の気が一番集まる所。そこを合わせるのだから全神経を集中させて、懇親の意をこめて、、となります。《祈る》という言葉は神仏だけでは決してないとは私の思い。良く使われる言葉に、苦しい時の神頼み、、なんてあるのですが、それはそれでいいとも思います。けれど、私的考えでは神の存在は自分の心。なので、《祈り》は気合いのようなものでしょうか?ではお墓参りに手を合わせるのは?供養と言ってますよね。今自分があるのは御先祖様のおかげ。それも大宇宙の中での一つの縁です。《祈り》は思いを込めるだけでも、お経を上げているだけでも、賛美歌を歌っているだけでも、その役割には完全では無く、大事な事はその縁の下で今いる私が、人が正しく生きている事。それが《祈り》の姿と私は考えます。なので、行いや思考がちょっと脇道にそれた人がその希望だけで《祈り》をしても、その人自信が改めないと、その《祈り》は聞き入れられない、、そんなふうにも思います。健康になれますように、、ではなく、健康でありがとう。合格しますように、、ではなくて、合格する様一生懸命やっている事を見ていて下さい。《祈り》は暗いものではなく、明るいもの。なので暗いイメージではないのです。その人の心の光と私は思いつつ、いつでもどんな時でも手を合わせています。 499)自分の思っている事がことのほか思い通りになって、いつもよりいい回転だなーなんて思いながら、ふと自分の手相を見てみたら、あらら、随分とまた変わった!手相なんてこんなものなのね。。。どちらにしても良い方に変わる事は、けっこう、けっこう、の私です。ではさらなる変化につながるよう心して、精進、精進、いたしましょう。 498)ニューヨークへ見に行けなかった歌舞伎の舞台がBSで完全放送されて、勘九郎の役者魂の凄みに圧倒された私です。テレビと言うブラウン管を通している為、感動や気迫には少しかけたけれど、いい波動が感じられました。なので、生の舞台は相当の迫力があったのではと思うと、うずうずしてしまいます。内容は子供が親を殺害すると言う切ったはったの世界ではあるけれど、この舞台にはどろどろとしたものが無かった。お芝居としての芸術性の富んだものでしたね。勘九郎は解熱剤を飲みながらの必死の舞台であったのにもかかわらず、その持ち前の《気》で乗り切ったのです。帰国後も休む間もなく歌舞伎座の舞台で夏の勘九郎を存分に堪能させたその《気》の強さにさすが!の言葉しか出ない私です。この人は今が油の乗っている時期なのだろうなー。その時期を余す事なく使っている姿勢はいいお手本でもあります。十年前は好きな役者さんでは無かったけれど、勘三郎襲名にふさわしい風格とうなずきました。素晴らしいものを見ると、私もとてもテンションがあがって、気分もよく、また一つ何かを掴みました。 人の持っているエネルギーは人それぞれで、弱い人もいれば強い人も入る。私等はかなり強いので、もっと使わないといけないくらい、逆に弱い人が許容範囲をこえると、身体や生活に無理がかかる様です。自分のエネルギーの強弱は変える事ができます。弱ければ食べる。バランス良く何でも食べる。これしか有りませんね。食はエネルギーの源。そして自然に触れる事。太陽が気持ち良い季節になってきたら、手のひらを太陽に向けて、充電したらいいのです。そして心や身体がリラックスして喜ぶような暖かい環境を作って、いつも上を向いて笑顔を作る事。私の経験からそのように思っています。また、私のように強い人はわざわざ下げなくても、存分に使いこなせば良いだけで,逆に余ってしまうと運気も下がる様です。 497)絶対に最後まで見られない映画がたまにあるものです。何度見ても最初の5分で寝てしまう映画。最初から物凄い音響の映画でも、ものの見事に熟睡して内容がちっともわからなかったり。縁が無い映画なのか。波動が合わない映画なのか。今までに試しに三回ビデオを借りてきた事が有るけれど、やはり深い眠りの中。リベンジでもう一度見てみようかな、、、ちなみにその映画は魔女の映画でした。 496)手紙の整理をしていたら、結婚前に私が主人に送った手紙が私の手紙の間からでてきて、こんな大事なものがどうして私の持ち物の中にとちょっと気分を害した私ですが、そういえば、といろいろ結婚前を思い出しまして、、、 彼の部屋には冷暖房機具はもちろん、冷蔵庫もありませんでした。そのかわり、お風呂はいつも入れるようにみかんがぷかぷか浮いたお風呂が湧いていて、窓もいつも開いていました。知りあった時にはまだ3月で寒かったのですが、寒く無いのかと聞けば、気が回っていれば寒く無いと言い、藍染めの作務衣を一枚着ているだけで、冷蔵庫がなければものが腐らないのかと聞けば、ピラミッドの中に入れておけば腐らないと、テーブルの上に三角のピラミッドをおき、その中に食べ物が置いてあって、うかつに何がピラミッドパワーよ、腐ってるじゃ無いと言えば、延々その話を聞かされて、途中で寝ちゃったこともしばしば、、電車に乗れば私が隣にいるのにいつも本を読んで、なんで本を読むのかと聞くと、電車の中はお化けばかりだと言い、言葉が少ないねと言えば、目で話すとか眉間で話すと言い、こんな男性と結婚を決めた私はやっぱり何かに押されたとしか思えない。。。あるいは同類???子供がいれば話題に事欠かない語りぐさである。今はそんな生活も卒業し何でも受け入れてはいるけれど、、、私とは違った意味で面白い生き方をしてきた人です。変わらぬものは、暖かい笑顔と広くて深い心ですかね。
495)たまに世代を越えていろいろな人と話す機会があると、私なりに思う事も山のように溢れてしまう。見たり聞いたりすることはいい刺激にもなり、自分のもっているものに多大な影響をおよぼしてくれます。まったく違う話題ばかりというのもいいのですね。おかげさまで脳が活発に働いてイマジネーションが広がってきました。目先を変えると、隠れた部分も鮮明に見えるもの。百人いれば百通りの見方が有るのだから、、、、それも生の声/直接目に見える事象は何よりも刺激が多く、今夜も私の頭の中はいろいろ言葉が溢れ出て止まらない。。
494)場所や環境はその人の感性に大きく影響するものだと私は思います。たとえば、絵を描くにしても、窓も無い地下のひんやりした部屋でキャンバスに向った時と、青い空の下でキャンバスに向った時とでは描くものが違ってくるのです。このサイトに書き込む私の想いも家にずーっといる時と、外での想いとではやはり違ってくるもの。同じ環境で同じ状態でずーっと過すと言う事は、感性になんら成長も無く、ある種のことにこだわる事となるようにも思います。ベッドで読む本がいつも同じ類いの本になってしまうように、、、その意識は自分で変えられるのです。そしてその気持ちの変化こそが大きな成長と、プラス指向に転じると私は思います。その中で実の自分がはっきりと実感できる。変化なくして成長なく、同じパターンにもステップアップが時には必要では無いかと、私は思います。
493)巷では川柳がブームとの事。何を隠そう、私も昔からよく浮かびその短いフレーズの感情表現を楽しんできました。そこで、本日浮かんだ川柳を。 (い)米の花 見たい見たいと 早十年 (ろ)青い空 見上げて思う まだ見ぬ地 (は)鈴虫の 鳴き声高く 秋の夜 (に)見る度に 寝ている犬の 愛らしさ (ほ)散歩中 犬に気取られ ころぶママ (へ)親戚が 集まる度に こごと増え (と)パソコンと 喧嘩ばかりの もどかしさ (ち)ふと思い 駆け出す先で 立ちつくす (り)若い子と 話す私は お母さん (おそまつ。) 492)私は自分の気持ちをストレートに相手に伝えます。良い事も悪い事も。 ある有名すき焼き店ですき焼きを食べた時、頭が痛くなるような塩っぱさだった。これでは美味しく食べれるわけも無く、店長さんを呼んで一言。『このすき焼きを食べてみていただけませんか?このお店の味とは思えませんけれど。』店長さんはあわててそのすき焼きを下げて数分後頭をひたすら下げて不手際をわびてきました。またある店ではサラダに虫がくっついたまま運ばれて、老眼の私はなんかついてるな?ぐらいで見ていたけれど、動くのでびっくりして、ここでも店長さんに一言。『虫がつくのは無農薬というふれこみでわかるけれど、ちゃんと洗わないと、これでは大なしでは?』店長さん、デザートを持参して恐縮していました。。。苦言は大きな声ではいいません。他の人に分からない様、少しは配慮していいます。その逆に、とっても美味しかった時は料理長さんの腕をほめ、満足した事を必ず伝えます。美容室等でも、下っ端のシャンプーボーイもたまに上手な子がいると、『あなた、シャンプーうまいわねー、とっても気持ち良かったわよ』とスタッフの耳に届くように言ってあげます。先輩に頭の上がらないシャンプーボーイもほめられれば自信にもなるはず。何気ない一言がお互いの進歩にもつながり親密にも慣れると思います。 はっきり物を言う事を嫌う人もいますが、言い方一つでそれはなくなります。自分の正直な気持ちを伝える事はお互いの成長にもつながるわけです。こんな私ですが、足を運ぶ度にまた親しみを増し、心もお腹も満足になると言うわけ。あつこ節は今もなお健在です。
491)ちょっと小耳に挟んだ話。金メダルを取った選手が翌日にそのメダルをオークションにかけて、その収益を恵まれない人へ寄付をしたという。この選手のことはあまり知らないけれど、世界の頂点にたったという事実でそれに伴うメダルにはこだわらなかった。このメダルの価値は賛否両論だと思うけれど、私はこの選手は素晴らしく素敵な女性に思いました。かと思えば、メダル欲しさに違反をしたり、、各国のこのメダルに対する報奨金と言う負荷がエスカレートしている結果、引き起こす現象ではないかと。。スポーツはお金では替えれないものであるはず。ちょっとこのあおり型闘争心に首をかしげる私です。せっかく素敵な舞台も後が濁っては、、、 490)敗退的な考えを持っている人や、結果だけを期待し望んでいる人は、イマジネーションが乏しいように思います。イマジネーション、想像力の乏しい人は生活も殺風景になって、ということはパワーもなく、一生懸命自分では頑張っているつもりでも、空回りしていて、成長が無いような、、夢見る夢子さんになりきってしまっても困るけれど、イマジネーションはパワーを増強させるように私は思いますが。。 489)久しぶりにニュースを見れば、脱北だ、火山の噴火だ、親子の死だ、、、世間はどうもマイナス的空気が充満していて、あー、、とため息をつく夜でした。 浅間山の噴火のニュースで、近県に住んでいるいとこの顔が脳裏に浮かび、夜中でしたが電話をしたらたいした事ないし、溶岩が流れ出たら、一緒に溶かされるだけだ、との事。やはり同じ血が通っていて、、思わず心和むお伺いとなりました。天変地異を心配して悶々としているより、なるようになる的考えであっけらかんとしている方が精神的にいいのでは? 488)物事を考える上で人一倍心配性な人もいるんです。何を提示しても先の不安ばかり。石橋たたくのは必要な時も有るけれど、あまりたたいていると割れるどころか、自分も怪我をしてしまうのでは?怪我とは心を病む事だとも思います。性分も有るのでしょうが、どうでしょうか、一歩引いて客観的に見てみませんか?物事はなるようにしかならないのです。いくら心配してもです。そしてその結果は全てでは無いし、結果を悔やむ必要もないと私は思います。大事な事はその時々にベストを尽くせる事ではないでしょうか?
487)9月1日は甥子の誕生日。毎年お誕生日にはいろいろ考えてプレゼントを送るのですが、夜に『あっちゃん、洋服ありがとう。めちゃくちゃかっこ良くて、凄く気に入りました。いつもありがとうございます』と思春期を迎えたボーイズは大人びた口調で電話をかけてきました。手紙を書いても返事もくれないのに、電話をかけてきてくれて、毎年の事ではあるけれど、今年はいろいろあったので、おばさんとしては、涙がでるほどうれしい電話となりました。彼がロンドンで産声を上げた今日は思い起こせば父が3度目のガン宣告を受け、母が入院し、我が家の新築ととてつもなく忙しい日々でした。その頃を思い出すと、今はまだ暇なのかも知れない。9月1日は何かと思いで深い日です。
486)独身女性の結婚率/結婚願望が下降線の一途だと言う事実。今の世の中を見れば納得せざるを得ない私です。男性が優しすぎて、優しいと言えば聞こえは良いけれど、弱い。線が細すぎると言うのが私の感じ。昔はそれでも女性が自己主張しなかった分、目立たなかったのかも知れないけれど、最近は女性も確固たる地位を築き、その隠れた部分が顕著に現れてきたのではないでしょうか。社会体制の元から見直さない限り、独身女性は増えて、果ては出生率の低下となる図式。以前にも何度かこの件では述べてきたけれど、欧米の男性の優しさが、別のとらえ方をしてしまった?これはかなり難しい問題です。優しさの裏返しは強さです。いつの世も女性は強いものを望む、、、のでは?所詮女性は女性。守ってくれて、叱ってくれて、引っ張ってくれる強さを求める。経済力は実は二の次の話。これは私の考えです。主人は、、、私の唯一自慢の理想の男性です。 私も妹も実の父への接する態度は厳しくなってしまう。一緒にでかけても父が耳の遠いせいもあって、ほとんど怒鳴ってる状況。けれど、そこへ主人がはいると場が和み掛け橋をしてくれます。なので、私達姉妹には父と言えども主人なくしては対応できない、、感謝感謝の主人です。
485)見ていてとても癒しになる写真を撮る人がいて、素人でもここまでできるのかと、毎回送られてくる写真を見ては感動と驚嘆を覚えた私です。ならば、私もと、チャレンジ精神に火がつきました。とはいっても私の場合、ただの写真好きの度素人。その方にいろいろ御伝授いただき、主人の指導を仰ぎ、ちっちゃな頭を働かせております。私の武器と言えば感性なので、その感性を生かして私なりの表現ができれば一歩進める事が出るのかなと、、取りあえず、年内に一枚作品を作る事を公言してしまった私は、それでもあせることなく日々目を皿のようにしてアンテナを張り巡らせましょうか。 下手の横好きでいろいろ手を出しているけれど、結果として自分で提唱している心優美にすべてつながっているのかな?またひとつ、成長の兆しありと、主人に言われ御満悦の私です。
484)久しぶりのお友達のメール。『この暑いのに、子宮筋腫もかかえているのに、どうしてそんなにパワフルでいられるの??肉ばかり食べてるの?』と、言われて、、どうしてかなー??なんてちょっと振り返ってみたけれど、朝はコーヒーだけの食事と昼は麺類中心。夜はしっかりたっぷり食べる食生活。加えてデザートたっぷり。肉魚は少々。いつも美味しく食べる事と、呼吸法かな?人に指摘されるまでもなく、自分でもこのエネルギーの強さに驚いています。 私の考えでは料理は芸術で食はエネルギーの源。美味しく食べるのが一番身体に心に優しいと思っています。私の料理の基本はまずはおいしいお店。月に2度は夫婦で一流の料理人の味を覚えに行きます。出先でも食べるのは必須。盛り付け、味付け、どうやってこうなるのか?私ならこうする、これはどうやって出すのか?まるで化学の実験のようです。そこから生まれでる独創性に富んだ料理が生まれた時はやはりうれしいものです。最近は海外で覚えた味が大活躍で、ヘルシー、和風にアレンジしやすい、などなど、、結婚してから覚えた料理も今は一つの宝となっています。毎日美味しく食べ物が食べられる、ねー、こんな嬉しい事、幸せな事ないですね。夫婦のこのエネルギーの強さは、食に有りといっても過言ではないと思う私です。
483)オリンピックも無事に終了し、今回も最高の感動とパワーをもらった私です。オリンピックの舞台は経験しない人にはわからない独特の世界なのでしょうが、世界の頂点にたつものの凄い精神力に、毎回いい刺激を受けています。メダルを取れなくともこの舞台に立てた人はやはり凄いです。私は自分のできないことは、見て体感するタイプ。そこからたくさんの事を吸収します。日本ではこれから芸術の秋。見て体感して、またいろいろな感性を磨けたらなー、なんて思います。そして何よりも自分に反映させる事。自分の世界に浸らない事。トップに登ったらまたその先のトップがあるように。決して今の自分がすべてでは無い。私の限り無い発展は一生の幕が降りるまでチャレンジ。満足する事なく、驕る事なく。あくまでも自然体で力まないで生きる。これが私。人は人。自分の吸収したものは自分でしか消化できないものだと思うから。。。
482)心の話をしたところで、さて、ほんとの所心はどこにあるのかな?ハートというぐらいで、心臓のあたりのようだけれど、私的感覚でいうと、そこは通り道で最終的に百会の位置かな?もしくはぐーっと気が降りて落ち着く先、下丹田かな?なんて思いながら、今日も自分を探りつつ楽しんでいます。
481)人の話を耳で聞かず心で受け止める聞き方をすると、これが驚くべき優しく返ってくる。これをしていると目でも話せるようになるから面白い。ただ、目から入るものはいきなり飛び込んでくるので、これは要注意。同じ文字でも手紙(手書き)には心があるんですね。けれど、活字には心がないのです。なので心で受け止めようと思っても、なかなか難しいのです。今自分の実験として、声を出して読むようにしています。自分の発する声を心に向けます。すると、口から出た言葉が彎曲して胸に入るのが見えるんです。心のない活字を心で読むと真理がわかりまどわされなくなります。自分の身体の反応をいろいろ見ると、楽しくも有り、発見も有り、私はそんな自分が好きです。
480)私の主人は結婚する前に、京都のお寺の上人の奥様から『太郎さん、万人を幸せにするのもいいけれど、まずは一人を幸せにしないで何が万人ですか。』といわれ、その直後に運良く?現れたのが私で三ヶ月で結婚しました。おかげさまで主人は、そのお方の言葉通り14年の間、誰にも振り向かず、一身に私に幸せを注いでくれました。その中で私も一人の人間として成長し、今では一人立ちです。来月の結婚記念日を境に、15年目に向けて、どうぞこれからはいろいろな人へ、その愛情と心を注いでね。第2、第3の私をたくさん育ててね。 人は内と外が違うとどこかしっくり行かないもの。どちらか完成したら次のステップへ。向う先は内と外が同じである事。
479)人の行動を変えるのに私が良く使う手は、寝ている耳もとでくり返し囁く事。これは不思議とその人の脳へ直接インプットされるので即成果が見られます。 たとえば、主人に明日ケーキを買ってきてもらいたいなー、なんて思った時に、ダイレクトに言わないで寝た耳もとで《ケーキ、ケーキ、ケーキ、、》と囁くと、100%の確立で何も言わなくてもたまたま通りかかったとか言って、買ってきたりするもの。主人は特別単純なのかな?とも思うけれど、実は犬にもやってみた。最近トイレをはずすので、だっこの度に耳もとで《トイレは容器で、トイレは容器で、、》これには夫婦で驚きましたが、はずさなくなったのです。飼い主が単純ならば犬も単純なのか?よくわからないけれど、脳への指示は意識が無意識になっている時がいいようです。我が家では。そう言えば、寝ながら英会話を学ぶ、、なんて方法もあるし、とにかく、生きているものは面白い。
478)満月の月光の強さって改めて凄いなーなんて今月は思いました。台風の影響で雲の流れが早いけれど、厚い雲の中からしっかり光を放っている。流れる雲の間から垣間見た満月はとても神秘的なものでした。
477)この広い地球で自給自足の生活をしている人は自然と共存してあるがままに暮らし、元気で家族/部族の幸せを感じているようです。一方、文明社会で暮らしている人は、物の有り難さも当たり前になり、くだらない事ばかり気になり、生きる事に一生懸命になれないのかななんて思います。明日の事も分からないような生活している人には、今日がすべてです。毎日がある意味で世紀末なのですから。いろいろな憶測や心配は文明社会の現れなんでしょうね。日々に追われれば、そんな暇はありませんから。 たとえばこの考えを仕事社会に当てはめると、どう考えればいいでしょうか。仕事そのものを人生と例えるのと同じではないでしょうか?目標も見えず内容も不明確なままでは本当の意味でのいい仕事はできないと思います。
476)【昔のことを言えば鬼が笑う】ー過ぎた事をいろいろ言ったところで始まらないということわざ。このサイトでも幾度となく書いてきたけれど、1分前ももう過ぎ去った事。そんなことに執着していないでこれからくる時間を有効に使いたいもの。人間の執着は気がつかない所でいろいろあるものです。その中でも、過去にこだわって、過去にしがみついて生きている人って以外と多いです。見方をかえると、それが今の象徴なのだとも思います。思い出と過去に執着するのは全く別物ではないでしょうかね。今文句を言ってもそれはマイナス因子を肥やすだけ。文句があるならその場ですぱっと吐き出して、その場で終わりにしたいもの。今この時間を境にしてプラスマイナスゼロ。という私の生き方。 鬼が笑うのは過去のことだけではなく、来年の事もいいますね。1年と言う区切りがあるのだから、まずはこの一年を充実して送る事が大切なのではないでしょうか?
475)ひとついい演出が世にでると、しばらくは同じような演出の作品が続く。手掛ける人は全く別なのに。独創性がかけるというか、早く日の目を見たもの勝ちというか。。。真似をしにくいのが歌舞伎と能。それ以外は、、、とりたてて騒ぎ立てるような芝居がない。 同じSF映画でも日本の作品とアメリカの作品ではどうしてこんなに違いが出るのだろう。内容に大差なく、、、日本の作品は暗い。画面が暗い。髪の毛の色?空の色?洋服の色?表情?同じようなシーンでもほんとに暗くて感動なんてでてこない。見ているだけで暗くなる。モノクロ映画とカラー映画ほど違いがあるように私は思います。なぜ?と考えた時、ひょっとして智恵子抄の空の色と都会の空の色との差が日本とアメリカの空の色の差にあるのでしょうか。。。
474)物事の善し悪しはその時にはわからないけれど、結果として後になって分かるものではないかと思います。なので、今善いと思っている事は過程であってそれに満足しない、、、私流。結果がなかなか出なくとも、それに悩む事なく自分を信じてその道を進むのみ。。それに伴う過程を重視しています。自分がわかっていれば、自分が大好きであれば、自分のした事にちゃんと結果がいつか出るはず。その結果にはきっと満足感があります。 ただ、ものごとすべてが結果にこだわる事では無く、結果だけ求める事はしたくない。すべてがついてくることだから、答えが出るまでは精進精進。
473)いろいろな人がいて、自分が一番と思っている人や、威張っている人、、、周りは不快だけれど、一番バカを見るのは本人で。。。小さな所で粋がっても、ねー。宇宙は大きいのです。気の毒な人だなーなんて思います。
472)主人の家系は脳硬塞が心配で、最近、眠い眠いの連発で前兆かしら?と少し気になっている私です。その上すごいいびきをかいていれば、このままいっちゃうのでは?なんて少し不安がよぎり、思いきり肩をゆさぶって、びっくり飛び起きる彼をみて一安心で私は眠りにつき、彼はまた寝そびれてどうも不眠になるらしい。ということは、私が原因という見方も、、、一利あるかも。
471)物欲とは強い執着をもってほしがり手に入れる事だと思います。私は自分では物欲は無いのですが、頭にそれを思い描くといとも簡単に手に入ってしまいます。頭に浮かんだイメージがそのまま実現される事が多いです。なんでそんなに簡単に手に入るのか、、執着がないからだと思います。自分でイメージしてその通りにならないことは、自分でどこかで欲を出している時が有ります。なので、結局は自分でなんでもコントロールしていると言えます。 私の場合、欲をなくすと、回ってくるものです。ちゃんと自然な感じで手に入るのです。お金もそう。使わなければ入らない。みんな回っていると言う事。それも自然に回っていると言う事。意図があったり欲があってはこの図式は成り立ちません。なので、苦労の末手に入れたということは無いです。必要なものは自然に手に入るようになったのです。 自分のもの、だれそれのもの、、、と囲うのも同じ事。自分で手に入れて、自分のお金で買って、自分の身体を故意に傷つけて、自分の物だから何をしてもかまわない、、自分の物なんてほんとは無いのではないかな?親からもらった、、というけれど、私的考えでは天からの授かり物です。だから大事に使わないといけないのです。宇宙の中の小さな星に与えられた命。私の意識の中では宇宙があって、、となります。この自分のもの意識をかえると生き方が変わってきます。かくゆう私もこの気付きは今年なってですが、縁あって親という人に育ててもらった、と思うと感謝とお礼をしなければ、、となって、縁あってこの環境にいさせてもらって、と考えると、家も大事にするし、物も大事にするし、主人も大事にします。自分のものという概念。これはエゴではないかなって。だから自分の思い通りにやってしまうと、そのつけは必ずくるのです。それが自然に運ばないといけないのでは、と私は思います。
470)自分を成長させるなら、自分より上の人とつきあわないとそれを得る事は難しいです。上の人とは年令ではありません。同じ穴のむじなとか、類は友を呼ぶといったように、いつまでも同じ中でいい気分になっていてもそれはそれまで。下の人を面倒を見るのと、自分の友達の領域を区別することも大事です。ちょとばかり自分より物知りだったり、ちょっとばかり世間が広くても上とは限りません。人の心を見て、その人を見る事です。それにはまず自分をはっきろ見る事、客観的に見る事。自画自賛では自分を見る事はできません。客観的に自分を見るにはどうすればいいか。自分を鏡で見て下さい。一挙一動を、ふとした時に鏡を見て下さい。そして書く事。自分についていい事も悪い事も書き出す事。すっかり吐き出した時にすわりましょう。そこには無と言ういいステージが用意されています。そこで自分が見えてきます。 自分の位置付けがはっきりしたら、それ以上の人と交友を深めれば肥やしになります。それ以下の人と交友を深めれば、自分がトップにはなれるけれど、それで終わり。自己満足と言う事です。うまく人とのかかわりを持つ事は、いろいろ感じる事となり、あらゆる面でプラスに働きます。人とのかかわりができない人は、できないとあきらめないで、そうなった理由を見つけ、そこからまたスタートすればいいのです。人は人と相よりそってこそ人です。
469)ある駅で大声をあげて乗ってきた一人の少女。障害者のようです。周りの人は迷惑そうな顔をして、少女の周りからおもむろに離れてしまって、尚も少女は何かを叫び続けていました。私は、『あなた、楽しそうね、いい事あったの?』と声をかけたら、少女は目をキラキラさせてまた大声で私に向って何かを叫びだしました。なので、私は口に指をあてて、車内では静かにしようね、と数度促しました。少女は私と同じ仕種をして、声をひそめて、身体までちいちゃくしていました。 障害を持った人は危険ではありません。声や仕種がコントロールできないだけなのです。言えば分かるのです。避けたりしないで、もっと暖かく見守って欲しいと思います。
468)避暑地で猿騒動。都会の喧噪からはなれて癒しを求めて出た先で、猿を相手にエアガン撃って闘争心を出していれば癒しとは言えなくて、猿注意方なるラジオ放送までもやるしまつ。山にいた猿が降りてきたにはやはり理由があって、近くの山の道路整備が原因のようで、、、猿を責めたくなる気持ちはわかるけれど、猿の気持ちもわからないではない。猿だけならいいけれど、、、自然を守らないと人間と動物の共存は限り無く難しい。 動物といえば、東京ではねずみ。毒もきかぬ、スーパーねずみ。でも、、、映像で見るねずみの被害のお宅。汚い。物があふれて、、、家を可愛がって修繕しましょう。風を通して、角のホコリをとって、しまえるものはしまい、捨てるものは捨てる。
467)先生と呼ばれる人の不祥事や人間性を疑うような発言が多く見受けられるこの頃。若い時に免許を取得してそのまま半永久的にその資格が失われない事への疑問がわきます。運転免許も更新手続きがありますし、国会議員も選挙というものがあります。この日本の安泰型国家資格もそろそろ改定の時期では無いかと?技術/精神面/人間性とこれらは時間とともに変わって行くもの、安心して先生に任せられる仕組み。必要だと思います。
466)今日もまた 区役所行って やな思い いつになったら なおるこの質
465)見なければ良かった、聞かなければ良かった、ということがあります。知らぬが仏ではないけれど、知った事により心が悶々としたり気分が滅入る事も有ります。このような場合は大抵、いい事では無いから。それでも知ってしまったと言う事は、教えてもらったと言う事と同じで、価値観の訂正や評価の訂正にもつながります。なので、悶々とすることなく、決別の時を迎えたと思えばまた新しい道が歩めます。
464)オリンピックも終盤にはいり寂しくなってきたけれど、日本はオリンピック史上最多のメダル獲得となった様です。小さな日本人も世界で通用できる体格と力を備えられるようになってきたのですね。それにしても、やはりチームプレーが弱いような。。チームプレーは全員の気迫と精神力が要求されるから、一人でも不調者がでると、かくしきれない結果となってしまいます。気持ちの持続が短いのか、、国の体質と同じで、一丸になることがちょっと遅れているのかな?野球もバレーもサッカーも見ていてはがゆい、、かっとばせー!って言いたいぐらい、プロもいるのに焦れったい試合でした。
463)出生率1.29%を受けて各市町村や企業がいろいろな対策を打ち出し実行しているようですが、うーん、これでなんとかなる人は問題ない人なのでは無いかな?なんて素朴な疑問です。育児支援しても、在宅パソコンをしても、出生率の向上には??とも思うのです。産んだ人にもう一人と言うよりも、産まない人、産めない人への対策の方がはるかに価値があるとも思います。子供を持ち育てると言う自然な事が拒否されている時代ですから。そして、婦人科の寛容さ。欲しくても持てなくて、養子縁組や体外受精や、、、今の現実を変えるのも大事かも知れないけれど、目先の事だけでは解決にはならず、出生率→子供を産む→妊娠する→結婚する→経済的問題→仕事の削減→ストレス。この図式はどこが先頭だか分からないくらい複雑です。 何で今の時代に多くの育児ノイローゼがあるのか?昔と何が違うのか?核家族と親への認識、果てはその人の生まれた環境まで影響は出てくると思います。子は宝、授かり物、何がなんでも元気に育てる。。。。この意識が違う方に働いているような、私のように子供のいないものに提言はできませんが、客感的に見ると。。子供のあれやこれやはなんら変わっていないはず。変わったのは親と世間なのです。
462)女心と秋の空なんて言うけれど、女心は季節問わず変化が多い様です。私は年中変わりませんが。。 人を踏み台にしてとか、人を蹴落としてとか、人を利用(悪意で)してとか、人に対しての競争/闘争心はいかようにしても、、うまれない私です。もし、そのような場面に出くわした時には、しばらくはもんもんとしても、その人とのかかわりを絶ち、離れます。嫌な気分は時間が解決してくれるけれど、それに費やすエネルギーは多大で取り戻すのに相当な時間がかかるから。。。マイナス因子ははじきます。
461)職業主婦の私のキャリアは15年目にそろそろ突入。それ以前は家庭科の時間以外で包丁やら針を持った記憶すらありません。もちろん家庭科の宿題は母の担当でした。加えて、自慢ではありませんが掃除洗濯もまったく経験ゼロでした。結婚を機に主婦となった私がこれまでになったのは、ひとえに主人の忍耐です。感謝。そんな私も包丁だけは未だに苦手。切れる包丁が使いこなせなくて、ずーっと切れない包丁で力で切ってきたのですが、先だって、良く切れる包丁を何を思ったか買い替えて、、、、生傷が耐えない私です。右で包丁を持ってどうして右の肉をそぎ落とすのか?手に聞いて!ってな具合です。今宵も人さし指の爪を半分そいで、また、指サックの私。痛みをこらえつつ、肉片と爪を探しています。力で切っていた私にとって、力を使わないで切るのはかなり、、、テクニックがいります。永年しみついた癖はなかなか戻らないものです。
460)普通に生きていてもそれなりの苦労や悩みは大かれ少なかれあるものですが、誰に変われるものでも無く、誰の言う通りになるものでは無いのです。相談しても決定は自分。自分の周りに起こりうるすべての現象に自分で対応しなければいけないのです。避けて通っても、必ずつけとなって追っかけてくるもの、その場はひとつ踏ん張って、乗り切りましょう。それこそまさに自分に課せられた可能性です。
459)お友達から質問のメールがきて、『人気占い師が月を見たらいけないと言ってたけれど、見たら悪い事が起きるの??』笑っちゃいました。人間は太陽と月に支えれて生きてるじゃありませんか。無くてはならないものでしょう。たとえ魔物が住んでいようとも魔物様様。お月見はしませんか?考え方一つです。綺麗と思ったものに悪いものはないという私の考え。それが違ったものなら必ず身体に感じます。意識とは違った部分で反応がおきます。もっと自分の感性を信じましょう。 瞑想や座禅を組む時は太陽に向って、あるいは月に背を向けて行うのがいいです。パワーストーンと言われる石等の浄化に塩や香の他に太陽/月光に一晩あてるという方法もあります。陰陽のバランスです。
458)親の愛情の子供の受け方。といってもいろいろな親子がいるわけで一概には言えない部分もあります。ただ、親が子を思うというのは当たり前のように思っていますがそれは当たり前ではないのです。親が子を思うのは程度はいろいろありますが、それぞれの場合も比較の対象ではありません。大なり小なり気持ちは同じと言う事。そしてそれは幸せな事と言う事を認識したいものです。親が子供を思い心配してくれたりするのも親が元気の証。子供が親を心配し立場が逆転する時程切ない時はありませんから。 オリンピックでもいろいろな親子の名場面が見られましたが、レスリングの浜口選手の父上は強烈でした。普通に考えると、年頃の娘があのような過激な愛情表現をする父に対して、決して好意的には受け取れないと私は思いますが、娘さんはそんな父上に絶大なる信用と守りを感じているようで。。そんな姿を目の当たりにすると、あー、この親子とってもいい関係で大事に育てられたんだなー、と、つくづくある意味でうらやましくも思った私です。親子で同じ道を志すと言う二人三脚も見ていて素晴らしいものだけれど、同じ二人三脚でも受験となると、ちょっと違う様ですね。
457)今の日本人って近代的な生活になってトレンドな生活をしているけれど、頭と身体が同時進行していない、、のかな?だから不安が大きくて精神的に弱くなっているような。本来のDNAが邪魔してるんですかね。なので、最もらしい事を言うものにひかれ、新興宗教に走るのかな?誰だって未来の事等わからないのだから、それらを今気にするのはちょっと??遠い未来を心配をするよりも、今が大事で、今をしっかり地に足をつけて生きていれば、未来なんて、どうってことない。。と私は思いますが。。それなりに自分を確立させて考えを持っていれば、衣食住、何が起こっても問題ないはずです。そのような生活から危機管理もしっかり生まれてきます。予言者は予言者にあらず。最後は自分です。そしてその実は、もっと広い高い位置に心を置くこと。次元をあげましょう。
456)なかなか人は変われるものではないのですが、素直な気持ちと純粋さをもって、いつでもなんでも受け入れられる体制になっている心。これって必要です。斜に構えて話さない、人の裏を見ない/読まない、疑わない、憎まない、、、正面を真直ぐ歩いている人はいかようにも自分の心のハンドルをきれると言う事。まっすぐ歩いていて、なんでも受け入れて、仮に悪いもの受け入れちゃっても純粋な心がきっぱりシャッターを締めてくれます。そして身体で感じます。 ピュアーな心でいると自然に馴染みます。そして悪酔いしない。お酒と同じ。大吟醸やブランデーなどは純粋な混じりけのないお酒なので悪酔いしないのですね。心も同じ。余計な事を省いて、もっと足下固めましょう。
455)チベットにいるチャイニーズの友人から、鳥肌が立つような写真が送られてきました。例のごとく私の変化に必ずコンタクトがくる不思議なお友達。それらの写真に写し出された山の中の大曼荼羅、僧侶の姿、別世界です。スペインの教会もそうだけれど、すごい大きな力があるのを感じます。日本と何が違うのだろうか?そう。欲/エゴ。これがネック。
454)たった2日、文明と都会の雑踏を感じなかっただけで変わるんですねー。もっと別の観点から物を見られる目が養われた様です。2日間真っ白の脳がそのままその生活をしたら、さて、何色になるのかな?なんて考えてみました。すぐに浮かんだ色は金色と空色でした。普段ストレスを感じないように生活をし、鍛えているつもりでいましたが、気がつかない部分でやはりストレスはあったんです。それだけリラックス/リフレッシュできたということはなんと安上がりないい方法でしょうか。たぶん、愛するものすべてが側にいたというのが一番なのでしょう。環境が大事ですね。このいろいろ問題の有る場所に戻ってその整備された脳がどう生かされるか。。。ま、生かされなかったら、また脳整備しに行きましょう。と楽天的主婦。
453)久しぶりにテレビとパソコン雑誌や本のない高原の生活をしてきたら、私の脳は真っ白になってしまいました。情報がないとう、時間が止まると言うか世間を気にしない。。。綺麗な花々、森林浴、白樺の林、冷たい空気。。日々いろいろに追われていると、あーだこーだ、ぶつぶついってしまいますが、なんにも、頭にはない2日間でした。頭にあったのは基本的人間の動作と行動のみ。そして頭が動いたのは、目に写るそれらへの感動と、素朴な優しさ。1ヶ月、ここにいたらさらなる自分の誕生を予感致しました。ということでリセットされた脳をまた始動すべく現実モードに入れ替える手段。それは主婦でした。
452)私はペーパードライバー。なので、少々のルールはわかるので車に乗っていると、運転する人の行動が良く見えてくる。これは隠れた自分でとても人間観察にはいい材料です。主人は冒険型。道はつながっているという、ある意味気の長いタイプ。ひっくり返すと、止まっているのが嫌いなので、遠回りでもとにかく走ります。たまに、ウインカーを出しても入れてくれない根性の悪いドライバーに遭遇すると、なんて肝っ玉の小さな人なんだろうとじろっと見たりもします。たった車一台も入れないんだから、根性が悪いとしか言い様がないのです。実はたまたまそーいうドライバーに巡りあって、内心、きっとあのおじさん、いいことない、、なんて思ってたら、次の瞬間、違う車と喧嘩しそうになっていました。世の中こんなもんです。 何年か前に多摩川に花火を見に行ったときのこと。夕立ちの後で土手はどろどろ状態の足場の悪い状態の年でした。主人と二人で空を見上げて花火を見ていたら、いきなり私の身体をおしのけて、前に進む親子。声を一言かけて、通して下さいとか、肩をたたくとか、、、私はあやうく転びそうになりまして、まったく、なんて人だ、人を押し退けてきっところぶから、、とおもった瞬間、その親子は土手にすべり、どろどろ。笑いそうになったくらい、、罰って当たるもんです。
451)親と言うものは子供にかける意気込みは大変強く、希望的観測も欲となって子供に負荷をかけている様です。いつの時代もそうだけれど、子供は親の持ち物ではないし、束縛する事もできないと思います。小さな子供とて人格を持った人間です。子供の個性、性格をも縛り付けるのは親の最大のエゴではないでしょうか。自分がなれなかった夢を子供に託すのは問題ないけれど、作ってしまうのはどうかなと、、作られた子供は本来の自分を押さえているのだから、精神状態がいいわけがないです。親の期待を子供にどうかけるかでその人の人としての真価まで問える。子供の本質を見極めた上で期待を寄せてほしい。エゴにならない期待を。
450)台風の被害で一瞬にして生活の糧を失ってしまう。被害に合わない人には実感のないものだけれど、何年か前もりんごの被害があって、落ちたりんごは廃棄処分。廃棄しきれないものが市場に出回ったけれど、味に変わりなし。捨てては収入どころか廃棄費用がかかってしまう、ならば落ちたものでも食べれるものは是非市場にまわして欲しいもの。少々の傷でも一生懸命に育てた食物。大事にしたいと思いますが。 被害と言えば、イラク戦争の影響で石油が高騰している。オイルショックという時代も合ったけれど、また覚悟しないといけないのでしょうか?この無意味な戦争の代償ははかりしれない。生命、石油、、、間違った事に気がついているのに修正できない。訂正は早い方が受け入れられるのに。
449)夫唱婦随は夫婦の鏡のように言われているけれど、婦唱夫随でも仲良くいけます。また船は船頭にまかせろ、という言葉もあるように、余計な口出ししないで専門家(家事と仕事)にまかせておけと。そして究極は、船は帆で持つ帆は船で持つ。何につけても協力があり助け合う事がいい。夫は夫として、妻は妻として。
448)部屋の空気の流れってとても身体に影響するもので、どんなに暑くとも、どんなに寒くとも一日4時間以上は窓を開けたいものですね。閉め切った部屋では目に見えないホコリやら何やらが沢山舞って、そこにいるものの気が渋滞しています。また、湿気があっても風が通っていれば問題ないけれど、湿気だけでは、いるだけで病気になっちゃういます。現代のびっしりとした住宅環境で窓をあけるのを拒む人もいるけれど、ならば、部屋を綺麗にすればいいだけのこと。仕舞えるものはしまって、捨てるものは捨てる。角はいつも綺麗に。ほこりや湿気では死なないけれど、病気の要因にはなります。
447)慣れってその人の能力を閉じ込めてしまうもの。 主人は写真の修正の仕事をしてきて、自分の作業に自信を持っているけれど、あまりに細かい作業がたて続くと小さなミスがしばしば、、作品に今日100%の満足が出せたら明日は150%を私は求めます。なので、仕事における100%という満足度は大変なものです。99%はあっても。。。機械ではない人間の手がやる事ですから100%でなくてもその他のプラスアルファーで補って行かないと。仕事をして行く上で慣れは厳禁で、新しい仕事の時はいつもフレッシュな気持ちで、いつもやっていることでも気持ちは初心で。つねに前進、創意工夫、前進、、の繰り返しでお願いしたいものです。
446)私は、自分のからに閉じこもるのと、自分の世界にひたるのでは少々意味が違うと思います。すべてを受け入れての自分の世界であり何も知らない自分のから。世界は広い。なので、いろいろ発見する事は何でもどんな小さな事でも自分の宝となる。発見するには視野を広める事が一番。子供がそうですね。好奇心旺盛で何でも手をつけますが、その中で一つ気に入ったものを探します。そして、それに満足する事なくさらにあちらこちら手を出して、さらに自分に合うものを探し当てます。だから子供は光っているんですね。子供の世界って馬鹿にできないもので、子供の世界を一緒に歩くのも気がつかない事への気付きとなるものです。年令を重ねるとその行為が馬鹿らしく思うらしく、知ったかぶりをして講釈を述べます、だから、子供と対等に話せないのです。なぜなら、実を知らないから。興味を持つ事は大事です。いくつになっても、好奇心は必要だと私は思います。聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥。好きでも嫌いでも、興味があってもなくても、その環境を大事にしたいとも思います。
445)補助金削減案で義務教育への負担金が削られると言う、結論は国会へと持ち越されたようだが、これによって過疎の進んでいる小さな学校等の統廃合や教職員の問題等もでてくる。合理化ということで浮上しているようだけれど、ただでさえ勉強のできない公立学校へこの件は拍車をかけそうでならない。割当金をどう使うと言うよりも、6/3//3制の義務教育事態が危機であると思います。土曜日が休みになったり、教科書の改定等、いずれ私立に超されると思っていたけれど、もはや時間の問題。この現実を見て、このような提案をして賛成を唱えている知事の顔が悪魔か蛇にも見えてしまうのは私だけであろうか?これでは受験がまた燃える。地方の子にはさらに過酷な時代になってしまう。
444)近日公開のアメリカ映画の2本。第二次世界大戦のアメリカの内側を捕らえた映像と、今のブッシュ政権の映像。アメリカの過去と今がわかり、この国の戦闘意識が良く分かる映画だと思います。ライオン総理もこのような事実を見た上で、イラク戦争をもう一度見直していただきたい。あるコメンテーターが、日常で一人殺すと殺人犯になるが非日常の戦争では独り殺せば英雄になると言いました。この言葉が人の心の在り方を考える重要な言葉と受け止めました。
443)新しい老眼鏡を作って、視力測定などしながらお店の女の子とちょっと世間話等。私が何かを話すと必ず彼女の母親と比べられる。で、あなたはおいくつ?と尋ねてみたら、23歳で母親は46歳ときた。あー。。。いわゆる同年代なのね。何でも母親は更年期らしく父親をゴミのように扱って自分の身体も汗ばかりで毎日大変なそうな、それで、私のことを若くていいですねー、というのであるが、あなたのお母さまは老眼鏡ですか?と尋ねたら、いいえ、近眼です。。。。なので、私の話しとしては、あと20年もするとこうなるのよ、いろいろ出てくるから、女ってここからが一つの山だからねー、、なんてしんみり話したら、女の子はやっだー!といってけらけら笑っていました。笑っていられるのは今の内ですよ。 そう。誰でも20代の楽しい花々しい時期に中年の自分を想像する人はいないのです。身体もめりはりがあって、肌に張りがあって、白髪もなく目が霞む事もなく、、、いずれみんなこう言う時代を迎えるのです。でも、私の意識は中年にはおきたくないなー。心で老けてしまうと見かけも老けるもの。無理して若振るようなことはしたくないけれど、どっぷり年相応に納まるのも??
442)食べ物は各国お国柄でそれぞれ違うけれど、アジアの地域の国は特に動物に関しては何でも食べる。韓国の夏ばて防止はあざらしのお肉だそうで、、日本ではうなぎ。中国もペットかな?なんて思えば食卓に並んでるし、ヨーロッパではウサギは通例。日本人の私からみれば下手物類いであるけれど、これが食べれば美味しいから困ってしまう。よその国から見れば日本の食卓に並ぶものも下手物なんだろうなー。 食べず嫌いという言葉があるけれど、食べてみるとにやりとする方がほとんど。食用もペットも今では変わりのない現実にちょっと引いてしまうけれど、生きる為には仕方ないのかも。見た目グロテスクなものほど、美味しかったりもする。いつか、虫が主食になる時代がくるなんて誰かが言っていたけれど、うーん。虫ね。イナゴは目をつぶって食べたけれど、、生きてるのはちょっと、、、栄養有るらしい。それでもそれしかないといったら、やっぱり食べるのであろうか???
441)電車に乗る度にその車両に乗り合わせているのが人間だか、動物だか、妖怪だか、、判別が難しい。よくテレビのニュースで見るけれど、着ぐるみ着て物凄いお化粧して、それでもまだ車内でお化粧をしている。彼女達が動くと、臭かった。何もこの暑いのに遊園地のアトラクションではないのだから、、なんて思いながらじーっと見てしまうけれど、恐いもの見たさのような感じ。 椅子があれば誰でも座りたいのは分かるけれど、どう見ても一人分しか空いていないところに、関取クラスのおばさんは2人でお尻をねじり混んできました。私のもう片方の隣にも横綱クラス。間に挟まっている私は不快きわまりないのは当然で、少しは考えてほしいなー。もしも事情が合って座りたいのなら、一言声をかければ済む事なのに。私は迷う事なく、席をたちその前に立ちました。大関/横綱クラスにもなりますと、神経も太いようで。。。何年か後に私の身体がもしそうなっても、秩序だけはわきまえたい。
440)曼荼羅を体感するべく茶道をはじめて4ヶ月。まだまだ手探りだけれど、この わび/さび/極みを肌で感じられるその日を楽しみにお稽古に勤しみましょうか。芸事は形ができてはじめてスタートライン。ここで満足しててはお話にならない。まして茶道の世界は奥義が深く、たかがお茶、されどお茶。人のを見るのも勉強で、これからはいろいろな茶会にも顔を出し盗める技は盗んで自分のお点前を確立していきましょう。 人のを見るのはほんとにいい勉強。いい所悪い所が冷静に見分けられる。問題はそれらを自分に生かす事。4ヶ月のひよっこにとってこれは分かれ道。ひよっこでも、一人でお点前をしていると、不思議に無になってしまう。先生の言葉も聞こえなくなってしまう。気持ちいい。が、ひよっこの辛い所で、先生の激で現実にひき戻る。
439)アメリカの軍事力再編で日本はアメリカの軍事拠点になりそうな、、私の家の上を厚木基地の飛行機がたまに行き交うけれど、これって普通の光景であってはいけないのだと私は思います。終戦といってもまだ終わっていない戦争。日本の法律がどれほどの威力かあるのか分からないけれど、一般市民がいつも犠牲になる時代は終わりにしていただきたい。
438)今や常識的なカード社会において、情報の流通というものがネックになっている。カードだけではないこの流通。個人情報の管理は会社の絶対的責任にあると思う私です。疑う事をしない日本でももう少し厳しい目で対応していただきたい。 我が家の自宅電話番号も電話帳に載せていないのに、よく勧誘の電話等がかかってきます。これも一種、情報が流通されているのでしょう。どこで家の電話番号を調べましたかと聞くのですが、決まって無言でいきなり切られます。目には目をで、最近はピンポン、、結構です!と同様に、奥様ですか?の声に間に合ってます。一言で終了。
437)28年ぶり、親子で金メダル。昨日のアテネ/体操の競技は素晴らしかった。団体と言うプレッシャーの多い競技でこれは快挙と言える。鉄棒の演技等は流れるような演技で見ていてとても心地よく、素晴らしいものだった。スポーツと言うよりもまさに芸術的演技、強さと優しさのベストマッチ、強靱な集中力。いい刺激とパワーをいただきました。柔らちゃんについで2度めの涙でした。 オリンピック放送の裏番組でのプロ野球中継。同じスポーツとは思えなかった。。
436)最近はいろいろな所から情報が得られるので、素人の方がプロより詳しいこともあって、それでも、しっかりそれなりの資格を持っているのならどんな質問も交わせるくらいの本物になっていただきたい。というか、プロ意識の低下とでも言った方が妥当かも知れない。 プロフェッショナルというのは職業。職業というのはそれによって生計を立てている事。すなわち金銭授受があるわけで、たとえ百円でもお金をいただけばプロで有ると言うのが私の考えであり意識です。とりわけ専門的職にあれば不可能なんて言う言葉は出るはずもなく、もし出たのならばプロとしての日夜の精進ができていないのです。日々情報は増えるのだから、今の自分のレベルに甘んじていないで積み重ねて行かないといけない、物事何でも頂点を目指すけれど、それは常に更新されると言う事。今日はたまたまアロマ精油を買いに出かけ、そこのセラピストが余りに素人なので看板が泣きますよと一言、オーナーに提言してきた所です。明日から私がセラピストになった方がいいくらいのレベル。オーナーは恐縮しっぱなしでしたが、、やれやれの人が多くって、これでも看板しょっちゃうとこが、恐いなーなんて。先日の温泉偽造と似たりよたっりではないか。
435)負の遺産。終戦と植民地解放。
434)オリンピックの選手。オリンピックにでることでさえも凄いなー、なんて思うのに、彼等は金でないと納得しない。2番手の銀でも凄いのに、金、一番でなくては意味がない。勝負の世界とは厳しいもの。言われてみると、金を取る選手の目は驚異的な眼力で同じ目をしているのに気がつきました。希望に燃える光輝く目ではない。狙いを定めた燃え盛るような目。目は口程に物を言う。。。寡黙なスポーツの世界で訴えるのは気迫なのですね。個人戦が伸びるのはこの点からなのでは?複数人が同じテンションになる事は、極めて難しく、それでも一人が物凄い力をだして取り込めればいいのですが、なかなか、、、困難なようです。 普通の人も目は大事。眼力のない人はやっぱり何もかもが弱い。眼光が鋭いのと、眼力はちょっと違うかな。それにしても、アテネの空はなんて綺麗なんだろう。すり多発の国とは思えないような素晴らしい環境。私は過去三度程行くチャンスに恵まれながら、一度もいける事がなかった縁のない国。こんな素晴らしい空を見ていると、ふらふら。。。と行けるかな?行けるかな?と言えば、弾丸ツアーなるオリンピック観戦ツアー。なんと0泊4日の旅に百人の参加者がいたそうな。飛行機を乗り継ぎ、バスに半日揺られてサッカーの応援の為だけに。でも負けてしまったサッカー。昨今では日帰りでもどこへでも行ける時代だけれど、、、まさかアテネまでとは恐れいりました。
433)時には我を忘れて遊ぶ事、時には我を忘れて笑う事、時には我を忘れて楽しむ事。時には自身の年令を忘れる事。中途半端でなくて思いきりが大事。頭も心も身体もすっきり。日々常に前向きに。 たまたま電車の中で隣に座った中年の御夫人達。話を聞きたくなくても耳に入ってくるほどの度迫力の声。プラス的会話ならまだしも、人の心配ばかり。自分でできない事を心配しても、、と私等は無駄なエネルギー使わない主義なので思ってしまうけれど。膝を突き合わせてあれこれ言ってても始まらないのになー。。。なんて、聞くに耐え切れず席を立った私でした。
432)女性の幸せは男性次第と話が盛り上がって。。。我が夫はまさにぴったりこん。精神的にも立派な人で私のこの世での師匠でも有る。幸せとは?夫が思う事でなく妻が感じ、妻が思う事でなく夫が感じ。我が家は幸せと幸せがはち合わせなのです。人間的に惚れ込む人はあっても、夫以外に師匠と仰げるのはこの世でまだお目にかかっていない。人も羨む夫婦だそうです。。。感謝。
431)自分の身体は大宇宙の天地の恵み。両親という入れ物を借りて出来上がったもの。だからそこへ辿り着く間はみな同じなのです。母親に宿された時こそがはじめての御縁で、、、そのことの大事さがわかれば自分の身体の声が聞こえ大事にもできます。自分の身体の声を聞かない人は病院/薬物から離れられないのです。身体が元気と言う事は、生活にも張りが出て多少の事でもめげずに豊かに過ごせます。豊かに過せば心も開け身体も開け家族が和やかに過ごせます。和やかになると不思議と執着の念が消えます。ということは謙虚にもなりエゴが無くなります。基本は身体で有ると言う事。動くのも話すのも考えるのも寝るのも食べるのも、、身体です。と私は思っています。 私もそうでしたが、身体が弱いとか病院と友達、、なんて時にはそれなりの性/事象がありました。それらに気がついて正して行くということが要。その事象は内因的(心)外因的(邪気/環境)要素が関わるので見直さないといけないですね。生まれ持って病弱で、、というのもすべてそうです。何かが道から外れてしまっているんです。 父を見ていて思う事。可哀想な人だな。ある時何かが外れて自分の道を踏み外してそのまま軌道修正できずに老齢になって、老齢特有の頑固一徹が孤独が呼び、さらには自分の身体も苦しめる。実家や親戚の墓参りやおつきあいを大事にしてきた人が、先祖を第一に思っていた人がなぜ?とよくよく考えてみれば、家の外に向っての供養はしても、家の中での供養を怠っている。自分の亡き妻の仏壇に手を合わせても、お経を読んでも、その人のいやがる事ばかりを重ねていれば、供養になんてなってなく、気持ちと態度が裏腹。私の母はそれこそ神憑かり的な人だったから、こっちの方が強い。生きている時の行動は旅立つ時に反映されます。父がもがき苦しまなくて済むように、なんとか環境整備をしたいものです。そして大宇宙の空間に気持ちよく住めるように、、、人は縁でこの世に生を受け、縁でまた戻って行く。なので最後に戻る時はいい状態でないと、再生された時にまた悪くなってしまう。と思う私です。
430)異常/不正な状況の中で生活を送っている人にはその状況がその反応が正常となっている。ということはすべてが。。。なのである。打破するには人の事を観察し自分との違いを比較研究し、悩んで悩んで座って座って目覚めるしかない。あたりまえになっている事がひっくり返ることになるのだから、その道は険しく困難だけれど、気がついた分、ラッキー。 温泉の事件では人間のエゴが有る種浮き彫りになりました。町の繁栄や訪れる人の喜びよりも、自分達だけという囲いからせざるを得なくなっている面もあります。半分は本物だからと悪びれないその根性は商売人として失格と私はレッテルを貼らせていただきます。
429)物事の定義はまず己から。
428)《安眠は健康の元である》と昔昔のお医者さんは申しております。安らかな眠り、となればちんまりと行儀よく寝てる姿を思い浮かべるけれど、寝ている間の身体は一生懸命に昼間の身体の歪みを治しております。なので、寝た時から起きるまで同じ格好の人は身体が歪みっぱなしというわけで、、私は自分の寝姿はみたことないので分かりませんが、数々の証言から昼間とは正反対だ、、と言われております??主人は、、どこに僕が身を置いて良いのやらと、一瞬悩むそうな、、、というわけで、私は安眠していると言う事なのでしょう。
427)アフリカのマサイ族とか中国の山岳民族とかいろいろ地球の至る所で時給自足的生活をこの21世紀にしているんですよね。生きる為食べる為、生活の知恵ははかり知れなく、ものすごい生命力。共通項は先祖からのいろいろをきっちり守っているという事と信仰心。近代文明を受け入れる人もいますがほとんどは拒絶。地球がどうにかなって、生き残るのは彼等をおいてほかにはないと思っている私です。
426)108年ぶりの古代オリンピック聖地アテネ。ギリシャ神話を思い起こすような幻想的神秘的なオープニングを見ていると、何だかとても懐かしく思えたのは何でだろう??たまたま煩悩と言われる108という数字の年に降り出しに戻ったオリンピック。オープニングセレモニーでも振り返る事が表現されていた。世界の人がそれぞれも振り出しに戻ってほしいというメッセージ的オリンピックの開幕と感じました。 出だし好調の日本選手の皆様。4年間の思いをこのはれ舞台で飾って下さい。選手の敵って最終的には自分自身。自分に打ち勝っていい笑顔を見せてもらいたいです。 今回のオリンピックで柔らちゃんにだけは絶対絶対金をとってもらいたかった。やった!逆境に勝った!何ヶ月か前に人気占い師にかなりきつい事を電波で言われて、それをたまたま見ていた私には、彼女の占いは??結婚もしていない人に女性とは、夫婦とはなんて何が占えるのでしょうか?夫婦は理想ではありません。結婚も女の子の夢で一大イベントです。この時から彼女には何としても頑張って、夫婦の力を見せてほしかった。怪我や精神的困難を乗り越えての金。私も涙してしまったほど。誰になんと言われようと自分がしっかりしていれば占いなんて意味のない事。これからもご夫婦での活躍を祈ります。
426)一生分使い切れない程の財産資産があっても、家族が一つになれなくて年を重ねるのって見ていてとても寂しい。そのような状況を見た時に、父の事や妹の事主人の事で、年柄年中なんらかの形で心配する事によって関わりあっている私、よほど幸せ者に見える。血のつながりが煩わしくもなるけれど、、、どっちがいいかって、、、文句言っても泣いて笑ってみんなでワイワイがいいんですね。
425)昨今のお墓の事情も様々で。地上に土地がないとなるとビルトインの駐車場タイプから、ビルの屋上にセラミックのお墓。はては、諸事情でお墓参りにいかれない人への、代行業なるものまで登場した。ここまでくると、お墓参りではない。どんなに忙しくても少しの時間しかなくても、自分で行くという行為が供養で、人に頼むくらいなら行かない方がいいのではないでしょうか?人に頼む程気になっていれば、幾らでも時間はとれるはず。盆だ彼岸だ関係ありません。供養の意味がわかってるのか分からないのか。お墓参りはいついつ行かなくてはいけないなんて決まりはないのですよ。気持ちです。その人が亡くなった方への気持ちです。どうしても行かれないからといって、不義理には決してなりません。心で手をあわせれば気持ちは伝わるのです。要は思う心です。 お墓参りもしてくれる人がいてお墓参り。誰もこないお墓は寂しいものです。我が家は誰も参る事のないお墓に入るよりも、夫婦で海にでもまいてもらうか、一つの大きな合同墓で十分。核家族で家の構造が変わってきているこの時代に、お墓にこだわるのはなぜでしょう。非課税だから?考えてみると、生まれてから死んでまでもすべてビジネスなんですね。それに踊らされる人、踊らされない人ってとこでしょうか?そもそも、、供養は人に指示されてしたりするものではないし、いろいろな形があっていいと思う私です。
424)非人間的行為をしていると、必ず自分の首を締める事になる。おごりたかぶりは良くないと言う事。それなりの立場にいる人はなおさらの事。言葉は大事です。心です。歯に衣を着せぬ言葉って、暴言ではありませんから。
423)この夏の世界的異常気象で、地球が危ないとか、地球が悲鳴を上げているとか、、、今頃何をおっしゃいますか。すべてこの手で人間がしてきたつけです。それなのに、誰も根本を見直さない。戦争なんてしている場合ではないのになー。地球と言う優しい星がここまで荒れているのに。その国の一番大事なものは何なのか?その昔昔を思い返さないと。そこが原点だと思いますが、、、
422)思いきり前頭葉を家具の角で打ち付けて、目から星が出た私。ほんとに出るこの星は金平糖のようにいつも思います。その瞬間を鏡でみたことないけれど、きっと目が大きくなったり小さくなったり、、しているような、、何度か経験有るけれど、このような時って不思議と声がでないもの。身体が固まるってこのような事を言うのでしょうか。大きなコブとなったその傷は血が走ってます。女性は案外強いなーって、私だけかな?きっと周りに誰かいたら大騒ぎをしていたのかも知れないけれど、側にいたのはワンちゃんと文鳥では、、、笑うしかない。
421)心に休暇をもたらしてキャンプを張った途端に、救いの手が差し出せれて、不思議なものですね。まだ始まったばかりで、先はわからないけれど、きっと思い描いているようになると、閃きました。私のすることは心を平穏に保ってその時期を待つ事。きっと導かれる。そんなひとすじの光が今日は見えました。テントに穴が開かないようにしっかりと張っておこう。やっぱり誰が間違っているかおかしいか、それによるいろいろな現象を世間の人はまたいろいろ言うけれど、ちゃんと上の方で見ているんだなーっと、ちょうど御盆のこの時期にありがたく感謝です。
420)夏は草の生えるのも早いし、枝がのびるのも早い。ガーデニング等が好きな人にとっては綺麗に作るということで、庭作業などは気にもならないのだろうけれど、私はどちらかと言うと鑑賞タイプ。父親の植木に体する熱がことのほか強かった我が家は庭も家の敷地と同じくらい有る。父が好きでやっていた庭仕事。私等が庭に足を踏み入れただけで怒られて、何の為の芝生なんだろう、、とずーっと思ってきたけれど、今年にはいってその庭仕事すらしなくなってしまった父。妹や主人はほっておけばいいと言うけれど、草ぼーぼーのジャングルの中に住んでいるのは気分も悪く、暇を見つけては刈り込みをするようになった私。嫌だ嫌だと思うと必ず自分でやらなくてはならなくなる。私の刈り込みは綺麗が目的ではない。すっきりとこざっぱりにが目的。だから、切り落としは見事である。文句はいろいろ有るようだが、口を出します手は出さないでは困りますからね。私の耳はトンネルです。ここに住んでいる以上は土地に感謝して、こざっぱり刈り込みますよ。 近所のおばさん達は朝からタオルを首にまいて汗を流す私の姿を皆様ほめて下さいます。偉いねー、暑いから気をつけてね。綺麗にして大変だわねー、無理しないでやりなさいよ。一人でいつも良く頑張るねー。他人様は神様です。父等は逆立ちしてもそんなこと言ってくれません。言ってほしくもないけれど、気持ちがね、、辛い時には近所の世間話にも感謝です。
419)日本の温泉神話の崩壊。入浴剤を入れるは水道水だって今までこの温泉に足を運んだ人は騙されたわけですね。それにしても誰も疑いを持つ事なく、その偽者の温泉を癒しとしていた人達。人の認識とは恐いもの。まさか温泉街の温泉が偽者だなんて思う人もいなかったんであろうけれど、これは許される問題ではない。街を上げての詐欺なのだから。そもそも何年か前から消毒の意味の塩素を入れ出してからは温泉の意味を疑っていたけれど、、信じるものがどんどんなくなっていくけれど、、、騙してきたつけは大きい。そして、知っているようで知らなかった温泉ということになるのでしょうね。癒しの温泉はお湯だけでなくて、宿やお料理すべてひっくるめて温泉、なんてコメントしている方。それでも一番はお風呂ではないでしょうか?
418)アテネではオリンピック史上最下位の観光客。テロを懸念してのことだとか。厳戒体制の下での競技は選手も観客も一層の緊張なんでしょうね。平和の祭典、発祥地でのオリンピック。何ごともなくいい笑顔を沢山みたいものです。そんな楽しい事とは裏腹に、未だに行くへが判明しない拉致問題、青少年の性犯罪/薬物、事故。100%何もないことは望まないけれど、平等に生きている人に平等の幸せが与えられる事を、手に入れられる事を願います。
417)宗教団体の勧誘の手荒な事。姓名判断だ占いだって、、、霊感商法。こんなにいろいろな事件がメディアを通じて伝えられても、被害者はあとをたたないのですね。被害届なんて出すくらいなら毅然とした態度で断るべき。もっと自分を信じましょうよ。不信な人の言葉で左右されてそんなのがいいなんて誰が思いますか?占いは占い。グッズで運命が変わる?笑っちゃいます。それは自己暗示です。にんじん持ってもダイコン持っても信じれば同じ事。 20代の頃渋谷の交差点である人に声をかけられて、手相を見るだ風水だっていろいろ話し掛けてきて、これさえ有ればあなたの未来は明るくなるから、云々。一通り話を聞いたあと、私の出番。。質問して質問して、どうして?それで?なんで?このような人に御意見申し上げたら日本一の私。自分でもあっぱれな饒舌ぶりで最後にはその人に、どこの宗教家ですか?って聞かれた程。若いから暇もあって相手をしたけれど、今はおばさんパワーで一括で終わり。このたぐいの共通項は突っ込みに弱い様です。
416)私は体力気力とも充実していてみかけも年令よりは若く見られるけれど、悪い所が2つ。老眼が進んでいる。パソコンにかぶりついている時間が長くなって拍車がかかったようです。今までも針穴に糸を通すのに一曲歌えるぐらいだったけれど、2曲歌えそうです。若い頃は遠視なんていってたけれど、、、、お腹のなかでも子宮筋腫は着々と成長を続け、先生はすぐにでも切りたそうだけれど、気力と言うか、丹田呼吸のせいか、痛み出血がないのである。痛いのなら仕方がないけれど、誰もが驚きの私のお腹。でも、目にしても子宮筋腫にしても私には体した問題ではなく、こんなことに気を使っている暇はない。他に気を使う所が有ると言う事は、病をも遠ざけると言う事を、病は気からと言う事を実証している私です。
415)人間と言う動物は限り無くよくできているもので、どんなに賢いお猿さんでも叶うわけがない。お猿さんとくらべるのもなんだけれど、お猿さんレベルで止まっている人も多くて、実に勿体無い話です。いいもの持っているにもかかわらず、お猿さんになってしまっている人は、運気を止めてしまったも同じ事。若い時にしかできないとか、ちょっと言葉と意味が違うのでは? 人はその気になればできない事等一つもないのです。要はその気になるかならないか。すぐに投げ出さずじっくり腰をすえる勇気と根性があれば必ず達成できるもの。早いか遅いかそんな低レベルな意識は捨てましょう。達成できるかできないか。Yes or No 人生に曖昧な言葉はありません。大事な事は自分の人生、人と競争して成り立つものではありません。Going My Way 自分の道は自分のペースで進むものです。人は人。この意識がカギです。
414)石川県の舳倉島の海女さんの映像をたまたま見て、すごくいい影響を受けました。船で沖へ出てアワビを取る時、命綱を持つ夫にすべてを託し海中を潜る。海中で息が苦しくなって命綱で合図をおくると、夫は素早く全力で引き上げる。命をかけたアワビ猟。船で待っている夫も神経を常に命綱に集中させて、絶妙な陰陽の組み合わせ。かなりの年輩の海女さんでしたが素潜りで、、健康でなければできない仕事です。いろいろな夫婦の形はあるけれど、行き着く所は信頼関係なんでしょうね。あうんの呼吸。都会の人から見たら何もない島の暮らしですが、何も必要ないのですね。このような生活をしろといってもなかなかできるものではないけれど、何もなくても暮らせるところがあると言う事。そしてその暮らしが幸せであると言う事。
413)自分らしく生きると言う事は、自由気侭では決してないのです。そこの所を勘違いすると奈落のそこへ転落です。人それぞれ見方価値観が違うのでそれに対しての理解はなかなか難しいのでしょう。それでも自分に信念もって生きていれば人の反感は買わないのです。
412)本来の自分を生きて自分の山を登っている。自分の山にはいろいろな仕掛けや罠があってそうそう順調に登らせてはくれない。試練を乗り越えて8合目まできて、物凄く巧妙な仕掛けが待っていました。答えはわかっているのです。どうすればいいかもわかっているのです。が、そんなにスムーズに行くわけもなく、登山家の私はただいまキャンプをはって、冬眠中。いつまで続くかこの冬眠、決して後戻りもギブアップもしません。ルービックキューブのように、何通りかの方法を模索しているのであります。
411)原発事故の惨事。危機管理のない日本人的気質が招いた悲劇。関係各位の謝罪を聞いていても、こんな考えで今までやっていたのかと、改めてびっくり。この事について語り出すと、言葉が言葉を呼んでどんどん嫌な気分になるので、打ち切ろう。一言。事故ではなくて人的ミス。
410)自由にどこでも歩き回れる点では日本はまだまだ安全です。ロスでは歩くなんて、、車の窓を少し開けていても怒られるくらい、危険と隣り合わせ。日本の安全神話も崩れつつあるけれど、、、歩く事は心を落ち着かせてくれますから。同じリズムで同じ歩調で姿勢を正してもくもく歩けば、隣で木魚たたいてお坊さんがお経上げているのと、、同じ感じです。酸素が身体にいいと、酸素を買って吸うのもいいけれど、天然の森林浴の方が効果倍増です。
409)《閉ざされた民間交流》とか言って元プロレスラーが北朝鮮でイベントをして、ことのほかヒーロー扱いされておりますが、反日教育を受けた人にそれも上層部の人を相手に、、、方や同じ領土の中でそんなイベントとは無関係に餓え、苦しんでいる人。名声のある方はどんなことをしてもヒーロー扱い。このレベルで北朝鮮に何を求め、何をしたいのか?きつねとたぬきの化かし合い的茶番劇。国の代表もこのくらいヒーロー扱いされると交渉も楽なのかしら?闘争をあおる国らしく闘争を武器にしている人がお好きな様です。 反日教育と言えば、、、北朝鮮のみならず、中国でもそうなんだ。これからを担う世代のこの感情がとてつもなく真っ黒に見える。領土問題にしても海よ海。海上警備と言う名の戦争もあり得る事態。そもそも中国に守るという行為は無視して進めに等しい国なんだから、、、国家団結心の強いアメリカ/中国/北朝鮮/韓国、団結心等みじんもない日本。誰だって争うことなんて嫌なんだから、でも墓穴ほったんでは仕方ないのかも。。。外交を怠ったつけ。
408)又言われてしまった。あなた、すごい運持ってるねー。あなたは自分で道を開ける人ですよ。。有り難うございます。そうですね、自制心を養うべく精進しております。
407)介護保健のあり方については、以前も書いたけれど、これって、何の為?誰の為?何をしてくれるの?毎月高い保険料払ってる割に、ヘルパーと言われる人はただの主婦。主婦でも家で主婦のできていない主婦。お小遣い稼ぎの手段。資格をもっているのは時給が上がるから。介護保健ではなくて、家政婦保健。介護を受けたい人は本人も家族もメンタルな部分が一番求められるのです。規則でこれはできないあれはできない、、、規則規則というけれど、それでは何もできませんね。結局は民間の割高の方を利用せざるを得ない状況。福祉って?介護って?誰か納得の行く説明をお願い致します。この分で行けばこの介護保険料も年金と同じ問題が起きます。
406)レトロブームとか銘打って昭和の町並みを再現したブース等が連日にぎわっていると言う。韓国の古めかしいストーリーの爆発的ヒットにしても、レトロブームにしても、この近代都市東京の便利さに慣れ親しんでいても五感のどこかで古き良き日本を発しているのではないか?近代化されてハイテクになった今、人は気がつかない所で少しずつ振り返っているのではないか?ふとそんなふうに思いました。ハイテクもいいけれど古いものもいい。まして伝統という宝。後継者が少なくなっているけれど、これが耐えてしまったらお話にならない。 着物の世界もだんだんハイテクになって、仕立ては今や中国からベトナムへと変わり、染めも織りも機械化されて大量生産になったものの、味がない。見る目のない現代人にはなんて事ないかも知れないけれど、着物を全面に出している私としては一目で分かります。艶、織りの甘さ、しごき。。伝統が重過ぎるからなかなか続かないのも現実。いつかゆっくり自分の時間が取れたら、大好きな機織りで自分だけのオリジナルの反物を織り仕立ててみたいです。作る喜びを知っている者にしかわからない、至福の瞬間です。
405)盆踊りの季節で夜窓を開けていると風に乗って音楽が聞こえてくる。私は子供の頃から母の血か踊りが大好きでよくやぐらの上で母と踊っていた。主人も大好きで結婚してからは毎年ゆかたをきて出向いたけれど、母が亡くなって2年。ことのほかこの盆踊りの曲が悲しくて仕方ない。昨年の夏、会場に足を踏み入れた途端、涙が止まらなかった。今年の夏も主人は行きたそうだけれど、この土地ではいかれそうに有りません。踊る為に生まれてきたような人でした。そんな毋を恨めしくも思った事もあったけれど、血は争えなくて、私も踊りは好きなんですね。。。けれどここ2年は日舞の舞台も見られない。それ程母の舞台は印象的でした。こーいうのも幸せなんだろうなー、、、母の死は年を重ねる度に真実味をおびてきます。それほど思い出が多いと言う事かもしれない。いなくなってもなお懐かしく思い出せる人。。。自分の事はいなくなってから分からないけれど、そんな生き方をしたいと痛切に思います。今の私がある心を浄めてくれた主人に対する思いやり、人に誠実に接する心。肝に命じる事です。
404)思春期の甥子と文通をはじめて一ヶ月。文通と言っても私からの一方通行の片道切符。返事がこなくても毎週同じ曜日につくように必ず手紙をしたためています。たまたま昨日甥子の家に遊びに行って、今週はいろいろあって手紙が書けなかったから顔を見にきたと話た所その顔色は良く、すごく安心した私。手紙は読んでいるのか?との質問に嬉しそうに笑顔を浮かべてうなずき、何で返事をよこさないのか?との質問に、勉強が忙しいとの事。そんな忙しい中でもサッカーの試合は見ているので、そのことをひやかすと、罰の悪そうな顔。けれど、私の手紙を心待ちにしているという気持ちがわかって、一つ進歩した彼の心にうれしく思い、あっちゃん、たまに漢字が間違ってるよ、の言葉に絶句し。。。この小さな恋人が進んで返事を書いてくれるまで、わたしの片道切符は続きます。なにせ、風来坊の八白。自分が納得して事を起こさないとだめだから、、、気長にまちます。今(404),何番あたりでやったー!と書けるのか???
403)何かと学歴やら家柄がとわれるこの日本。まだまだ最大の執着から逃れられないようです。先祖を大事にすることと家柄身分を気にする事は全く別物という私の考え方。田中角栄氏は小学校しかでていません、横浜市長は偏差値30です。要は自分です。今の自分です。そんなことで差別している人間の方が程度が遥かに低く同じ土俵で物を考えるに至らないと言う事。自分以前の問題に捕われて悶々とするよりも、これからの自分に悶々とした方がずっと健康的だと思いませんか?家柄身分が良くても世間で通用しない人よりも何がなくても世間で認められている方がいいのでは?随分前からこのページで時折触れていますが、学歴があっても、生かされない人が多いのですよ。勉強ができても世間ずれではこの世の中渡って行けません。自分は自分。過去は過去。もし、そうならば、そんなこともみじんに思えないような生き方をすればいいのです。まず、自分に自信を持つ事。自分を好きになる事。すると、いい仲間が輪を作ってきます。
402)久しぶりに深夜に都内から戻ってみれば、昼間より賑やかで目が点になってしまった私。若い人だけならともかく子供、そう小学生が多いのには驚いてしまった。私等、結婚する30歳まで帰宅時間はうるさく言われていたものだけれど、これでは事件があっても不思議ではない。その中にいろいろな人間もようが見えかくれして、これも世相なのでしょうか。昼も夜も区別のない生活をしていれば指向回路もショートするはず。 日本X中国。注目のアウェイでの決勝戦。やったー!過酷の中でよくぞ精神を集中して戦っていただけました。この根性。この強い精神力。今の老若男女も傍観者ではなくて自身にもいかしてほしい。
401)立秋というのに夏真っ盛り。カレンダーのこの季語。改定はできないものなのか?少しのずれならなんとなく季節感あっていいけれど、2ヶ月も前倒しでは、、いささか???せめて、旧立秋とか。暑さ寒さも彼岸までなんて目安もどこへやら。それでもぴたりと彼岸の日に咲く彼岸花にはいつも驚異をいだいていたけれど、今年は早くも咲いている。さすがの彼岸花もいっちゃったのかしら?? |
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