2800)2006年も残す所わずかとなりました。今年は私にとって癒しの一年であったとともに、感謝の一年でもありました。そして、両親を送り出して子供としての責務が終わったことも、人生の節目となった年でした。一年のはじめは、野放しにされたような自由と言う時間の重さに、負けそうになったりもしました。その後46年間を振り返りながらの長い一年で、因(縁)と果(結果)を身しみて感じ、多くの智慧を授かりました。節目の年と言わんばかりの多くの事象は、知らずと振り返りをさせてくれたようです。その結果、多くの感謝ともなりました。父の一周忌も無事に終えて、これからはまさに新しい人生のスタートとなります。そのスタートするにあたっての新しい因(縁)も、この時を待っていましたと言わんばかりに私の目の前に現れています。それも、まっすぐ歩いているからだと思っています。波に乗れるんですよね。ある機会があって、仏法を確認していたら、、、まさに仏様の説法のような人生であった。。46歳という年齢でこれだけの事を人生で学べた私。。。悟りの上には悟りがある、その理解した人生の教訓の上もまだまだあるということで、これから自分の人生を自分の責任で歩くことへの新たな決意もあります。しかし、意念は持ちません。限りなく自分を受け入れて、素直な心で、のんびり生きます。八正道を実践していれば、そのような人生になるとも確信しています。それも結果です。大きな変化は、、この一年、本当に心穏やかに過ごせた事でしょうか。悩み、悲しみ、苦しみ、憎しみ、、、まったく有りませんでした。そんな年も生まれて初めてでした。なので、その快適さがより一層わかるわけです。実のところ、心優美なんです。それを提唱した時はまだ希望が強かったけれど、今は確信に変わっています。私と話す方皆さん口を揃えて言う事があります。心が軽くなりました。。嬉しい事です。笑顔を第一に、夫婦の時間も大切に、日々の生活に押し寄せる欲望を払拭し、、、在るがまま。2007年、スタートです。ありがとうございました。 2799)今自分と関わりのある人や事象をゆっくりと客観的に見てみると、今の自分に必要な事がよくわかります。人とのおつきあいや縁はほんとうにハッピーでもあり、勉強でもあります。だから私はそんな人達や事象に敬意を評し、その共有できる時間を楽しみます。
2797)冬至。一年で一番昼が短く夜が長くなる日。柚子湯にはいったりかぼちゃを食べたり、日本でも情緒ある風習が今も残ります。この時期になるとたくさんの柚子をいただきますが、、私は柚子湯は入れない、、悲しいけれど、香りだけ楽しみます。年末の多忙な時期では有りますが、その時期だからこそ、この風習も意味をなすものと。大掃除等寒さが応える時に、お風呂であったまり、かぼちゃをいただく、、、利にかなったものです。風邪等引かぬよう、年末も笑顔で行きたいです。また、古代中国やインド等ではこの冬至という暦はかなり重要視されていたようでもあります。意味深い一年の節目の冬至。 2796)安倍総理は自分の思い通りに法案が通った今国会を満足そうに会見していましたが、、そう簡単に通すような法案ではなかったようにも思います。この方は総理というよりも縁の下の力持ちタイプなのかな?アメリカでは威勢のいい議院さんが大統領選挙に浮かび上がってきました。日本にはいないようなほんとうに引かれるような議員さんです。彼の演説会にしろ、アメリカの党の演説にはかなりの人が足を運ぶその様子を見ていると、日本とはやはり愛国心が違う。。と感じるのは私だけでしょうか?それでも女性大統領誕生の期待は私にはありますけれど。。。日本ももう少し国民が政治に興味を持つ時代だと思いませんか?本気で政治家を選ばないからろくでもない人が要職に就いちゃうんですよね、、、日本の政治は国民よりも政治家を大事にしているなー。。。国民ももっとしっかりしないと! 2795)縁とは本当に不思議な現象だと。。異国の地で知り合った外国人家族の干支が我が家の家族の干支とぴったり合うとは、我が家の場合は犬も1匹はいりますが。。驚く程その事を知る前に感じた感性とまた合うんですよね、、、こんなこともあるのかな?引き寄せ合うような縁とはこんなことを言うのでしょうか。主人の娘が私と同じ誕生日であった以来のサプライズでした。
2794)クリスマスカード/年賀状のシーズンですが、、昨今の環境問題の観点で、何故、捨ててしまう紙を送るのだ、、という団体もあります。けれど、紙は捨てても再生できます。日本でも年賀状離れが進んでいるとか。ネットの普及にともないメールでのご挨拶がメインになっているようです。しかし、、、ご挨拶といえど、文字を手で書くという行動に私は意義を見いだしています。文字は体を表すという程ですから。日本の伝統行事の様な年賀状も減少し、お参りもネット、お正月風景も様変わりし、、日本のいいものがどうしてこんなにも簡略化してしまうのか、とても残念に思います。メル友のような関係なら仕方ないとしても、住所のわかる人には一年に一度くらい、自分の手で書くのもいいのではないでしょうか?文字を書く事は本を読む事と同じくらい、私は重要なポイントと。
2791)シンプルイズベスト。平凡な毎日の中に、嬉しさも幸せ感も沢山得られる。。今その中に自分がいることへ大きな喜びを感じています。華美に飾り立てたりしなくとも素直になることによって、人は輝くのですよね。もっとこうなりたい、、もっと、、その欲が奥深い所で大きな壁にもなるということでしょうか。平凡に生きる事は難しいといいますが、それも人生修行の一つでしょう。出家してお寺でその境地に身を於く事は、その修行は大変でしょうが、楽です。その中だけなのですから。その事だけなのですから。でも、この世間でその境地を全うするという事の方が、はるかに、、、だと私は思います。今日本中の僧侶の中でどれだけの人が境地に達しているのか、、言うのは簡単。実践している方々はごく少数です。それも人間としての業ですかね。 2790)今自分の復習を兼ねて、自分で学んだ事を振り返っています。その時には夢中で学んで来た事でも振り返れば納得の事で、、、そのような意味からとても満足している訳です。その満足感を次の課題へつなげる為に、またお勉強。学生の頃嫌いだったお勉強も、この年になって俄然、巻き返しを図っています。それはきっと、その原因(縁)と結果(果報)の関係がより体感し、その事への感謝の気持ちが増して来た事も有るのでしょう。今、その学生の頃に戻りたいとは思いませんし、やり直したいとも思いません。私の過去があったから今が有るのですから。紆余曲折試行錯誤の46年間でしたが、振り返ってみれば、結構いい46年間ではありませんか。半世紀。早いなー。。。 2789)どんな職業でもどんな人でも、プロであれば、一線で活躍している者ならば、健康管理も技術の内。と私は思っています。常にベストが出せる状態だから本物ですよね。 2788)ネット参拝は是か非か。。。と問われているようですが、これはその人の観念の問題だと思います。私個人的な見解は、参拝とは参じて拝むという読んで字のごとし、、、行ってこそという思いですか。けれど、この問題が浮上した事で、神の国日本の神話が崩壊しているという事もわかります。何でも簡略すればいいという物でもなく、何でもネットで済ませてしまうのは??神社仏閣へのお参りも人々の安心感と言う偶像崇拝の証?その安心感だからネットでもいいのですよね、そこには神の存在は無いのだから、、、今の時代を象徴しているかのような事象の一つでしょうか?そのような意味合いから、ネットでは参拝という言葉は適切ではないですね。
2785)体のゆがみは心のゆがみ、、結果病気になるんですね。これも私の経験からです。心と身体はおもしろい程連動している事が自分で認識できてから、その調整も私の学びの一つです。誰からも今日もいい感じね、と言われている時はやはり体もばっちりです。自分でも体の中でしっかりと気血が廻っている感じがします。自分を知っていれば、どこをどう調整すればいいか、お医者さんよりも的確につかめます。着物を着ている時でも、ちょっとした下帯の位置や締め方一つで、長い時間のうちに体もちょっと歪むんですね、それでも知っていればこそ、その日の内に解決できる、、、体と心。おもしろい関係です。 2784)教育改革法の反対運動を教員の皆様が張り切って行っています。愛国心の押しつけとかなんだとか、、でも、教員の皆様方は国家公務員ですよね。塾の先生ではないですよね。学校の先生が君が代を拒否したり、なんだかおかしなことになっているなーと思っている私です。国の威厳というか、政府がやっぱりもっとしっかりしないと、下につくものは乱れるのも世の常ですね。そのもっと下に居る子供も乱れるのも、納得の図式。上に習えとは言わないけれど、立場って言う物はあると思うのですが、、、教育改革が必要なのは政府官僚の教育なのではないでしょうか??
2782)無知無欲。。。知らないから好奇心も湧かない。。。知らない事は恥ずかしい事ではないのだから、聞けばいい。。聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥。。。知らない事が当たり前になっている世界の視野の狭さ。それは結果として意欲をも無くしていないでしょうか?今の自分で満足ですか?好きな事も興味の湧く事もないなんて、、、毎日が24時間がもったいないな。。主婦にとって平凡な毎日でも私はその生活にマンネリと飽和状態を感じた事は一度も無い。。。掃除/洗濯/料理/買い物/家族との会話。。すべてがイマジネーションであるから。。。たとえ毎日同じ事をしていたとしても、同じではないのが、、私。窓から見える景色に全く同じ景色がないのと生活も私には同じ事です。 2781)慈悲という言葉、、、あわれみや、同情のような安っぽい感覚でいると、おかしなことになる。。。この慈悲という事は、同じ立場になってという事。同じ事をし、同じ行いをする。人が泣けば共に泣くということです。今人々は慈悲の心を持っているのかな?何々を祈ります、、これもよく使う言葉。でも、、その祈りは真実の祈りになっているのか定かではないですね。自己中心的な祈りは結果として因縁の元ともなるのではないでしょうか?純真無垢な気持ちで手を合わせる。慈悲も祈りも自分が全面に出ては出来ない事と私は思います。 2780)毎年清水寺で発表される今年の漢字に『命』が選ばれました。いい意味でも、悪い意味でも今年多くの人が一度は考えた言葉では無いでしょうか。 大阪の姉妹殺人事件の犯人に、死刑判決がでました。彼は16歳の時に母親を殺害し、少年院をたった2年ででてきており、その後のこのような犯行を見れば、、この判決は妥当と私は思っています。もっと突っ込んでみれば、この少年法の処置の甘さと日本の法律の欠如、司法の目の不正確さ、情を的確に使えない、、情けは人の為ならず、、ではないでしょうか?もしも彼が今だ刑に服していたらこのような悲劇は起きていないはず、、と考える人は普通であると。人が人の命を絶つという行為は心が壊れているのですから、その心の壊れたのが更生するには、、そんなに容易く更生できればこの世から犯罪はなくなるでしょう。優しさは強くないと出せないもの。被害者をつくるのがその中途半端な優しさでは?昨今、刑務所のあり方等いろいろ取り上げられているけれど、、、どうも。。。職業を覚えさせて生きるすべは見つかりますか?いっそお寺に預けて僧侶の修行でも積ませた方がはるかに更生できるのでは?犯人が死刑になったとて、被害者の家族にしてみれば気持ちが晴れるわけではないけれど、怨念を持つ気持ちを少しでも軽減していただければ、、と思います。命は重いものです。きれいごとでは済まされない部分もあると。死刑廃止も命を守る観点から見ればわかりますが、今の法律/刑法からみたら、私は一概には賛成できません。死刑廃止を大声で唱えるのは結構ではあるけれど、それに変わる物がやはりあってこそではないでしょうか?
2779)占い等で自分の人生の選択をする目安にするのも、まー、一つなんでしょうが、そればかりにこだわって、人の話を丸呑みしたからといって、人生うまく稼働する訳は無く、要はその事をしっかり自分の人生に生かす事、そして、その頼みの綱から解放された自分=自分の感性の確信。それが大事と私は思っています。それにより人も成長するのだという思いと、いつまでも特定なことへのこだわりが執着になっている事に気づかない、もったいなさ。。。占いも人も物もすべてにおける隠れた意識の執着。そこから巣立つ時、一つ大きくなった自分に感謝ではないでしょうか?
2778)電話での勧誘/e-mail/ダイレクトメール/広告チラシ/過剰広告、、私にとっては迷惑な物の一つ。それらを自分で受ける時常に思う事、自信があればでーんと構えてまっていればいい、自我丸出しの押しつけ商売は私の心情ではありません。元来織り込みチラシで品物を選ぶという事をしたこともなく、必要であれば自分からその情報を探し出す。それが合わないときは、大抵不必要な物、、物欲とはこんな身の回りのいろいろから焚き付けられる事とも思います。いい物/人にはそれなりの巡り合わせ縁があって、その必要な時期に必ず廻ってくるものです。私はそんな時空の縁がたくさん、たくさんあって、それはいろいろな気づきになり、肥やしになっています。これからもこの世ではそんな感じで生きます。あわてないあわてない。待つ事も楽しいし、それもお勉強。 2777)悪口は共同体を維持するシステム、、、悪口という文化。なる本にある内容。悪口が文化でそれが共同体を維持するシステムだと位置づけする人のなんとおろかなおつむ。まー、、千差万別そのような理論にたどりつくほど、その方も多くの悪口に接していたのではないだろうか。地方では悪口のいいあいなど、様々な伝統的なお祭りもあるということを、改めて知ったわけですが、、、うーん、、、絶句。言霊を逆手に取るようなことは人の心も逆手に取る。。悪口ばかり言っていると、人を欺く事が平気な人になってしまうのではないでしょうか? 2776)感謝の気持ち。どんな時に人はそのような気持ちになるのでしょう。他人に良くしてもらった時、予期せぬ喜びごとが起こった時、、、何かが自分に起因して感謝する事よりも、常にその気持ちを持つ事の大事さ。些細な事への配慮と積み重ね。思いやり。しばらく寒い日が続き、太陽の光が見えなかったけれど、青空が戻りその暖かい日差しを体一杯に浴びた時、あー、太陽ってありがたいと私は思います。なくなってはじめて知る感謝の気持ちもあります。両親もそう。そのことに大きく気づいた時、後悔という念も生まれるのでしょうが。。。その後悔の念をいかにポジティブに持って行くかで、その感謝の気持ちもさらに大きく全開し、自分への起因への感謝から、起きられる感謝、寝る事への感謝、食べれる事への感謝、話せる事への感謝、学べる事への感謝、、、大自然への感謝、生まれた事への感謝、日本への感謝、地球への感謝、宇宙創世への感謝。。。と私はなっています。
2775) 誰でもわかっているような簡単な言葉の意味を、実際、どれだけの人がわかっているのでしょうか?言うのは簡単、使うのも勝手、それでもその奥深い意味を知って言葉を発すると、その威力は計り知れないという事実です。言葉って凄く大事です。どんな言葉にも意味があり、辞書にのっている意味のもっと奥深い意味、、、それこそがその言葉の本質であります。その本質を知る手段は、経験と智慧ではないでしょうか。 2774)自殺。どんなに事情があっても超えてはならない一線だと私は痛感しています。私自身、一度その事を真剣に考え、、今があるからです。誰でも生きているのが嫌になる事は多かれ少なかれあることと。。ただ、その事の大きさは人の判断する所ではないという事でしょうか。価値観の違い、見解の相違、親子であれ、兄弟であれ、夫婦であれ、それは違うのですから。自殺は生きるよりも精神力がいります。その大きな力をそこで止めてしまうのは、、、私がその事についてまっしぐらだった時、自分が悲劇のヒロインで、自分の事で頭が一杯であったと今は思います。夫や妹がどんなに手を差し出しても自分の思いで一杯で、他の思いは入り込むすきはありませんでしたね、、その強い自我を払拭したのは母の突然の死でした。死という物を初めて目の当たりにしたその時でした。お葬式に行って対面するのではなく、自分の目の前というその死との対面が私を大きく揺さぶったのかも知れません。どんな嫌な事もこの世から居なくなれば体感する事がなくなるのでしょうか?それは誰もわからない事。未知の事。一つ言える事は、亡くなった魂への接し方ではないでしょうか?自殺をした場合の残された家族の悲しみは、決して消える事の無い因果となると思いませんか?生きている人への思いやり、亡くなった人への思いやり。この世にある命ある物は動植物すべて意味があると、今は声を大にして言います。だから私は生きます。生きられるまで生きます。 2773)昨年の今頃は、、爆発寸前の子宮筋腫を抱え、腹痛と不正出血に苦労していた私です。父の介護があり今寝込めない、、その一心で自身に送った自分の気。一年経って変わりました。自分の気で子宮筋腫を無くした自信と気の威力。春先ごろまでそれでもホルモンのバランスで少々苦しかったけれど、今はベストコンディションでしょうか。医者ではないから断言はできないけれど、、、無くなったものは無くなったのです。医者の手助け無しで。父の介護、長年のいろいろから解放された気持ちの変化にもその原因はあると思いますが。。。病は気から。現代医学の発展で陰を潜めるどころか、抹殺されそうな日本の自然治癒。薬草やら薬膳やら、欧米のアロマや中国の漢方に匹敵するものがたくさんあったのです。日本人は自らの手で古き良き物を無くしてしまう特性があるようです。おばあちゃんの知恵袋。私は原住民のいろいろを探りながら、自国のその乏しさに気づきました。外に目を向けるよりも、内へ。そのことは病気にとどまるだけではなくて、衣食住すべてに於いて言える事。民族衣装の着物、もっと大切につなげましょうよ。着ないからどんどん価格も上がるんですよね。コンクリートの家よりも木のぬくもりの家、障子のあたたかさと光のコントラスト、自国で取れる食べ物をどんどんとる。私は日本人であり、日本を愛しています。だからこそ、自分で出来る引き継はしていきたいと常に思っています。
2772) 芸能界でお騒がせのスキャンダルだらけの人達。その通り、身も心も荒んでいる人もいます。その中で杉田かおる、石原真理子、この二人、私は世間がどのようにバッシングしても、この二人の将来を応援します。この二人の目はとても澄んでいて奇麗です。ただあまりにバカ正直すぎて生き方が下手なだけ。目の奇麗な人に悪はいないです。
2770)茶道の事をいろいろ調べていると、何とも果てしない奥の深さに、文字を追う目も黄昏れてしまいます。その調べた中で、このような下りがありました。
2768)早生まれの子供は運動学力ともに劣るという結果がちまたにあるようです。今に始まったことではないけれど、、、私も早生まれ、確かに小学生の頃は運動は苦手、体も小さく前ならへは腰にいつも手をつける、いわゆる一番前のみ、お勉強も父と母がつききりで見たり、家庭教師をつけてもらったり、親は必死だったようです。本人の私の意識は全くなかったけれど、、、、生まれた月で云々まわりでいうよりも、成長ペースがゆっくりなだけなのだから、、後は本人の努力につきると。スポーツのトップ選手でも早生まれの方は多いし、ベストと言われる4月、5月生まれの方でも、???という人も居るのだから。そのような事に焦点をあてることこそ格差の始まり、意識のはじまり。と私は思うのですが、、、
2765)ある記事で、犬を飼う事は愛しているふりした虐待、、という文字に引きつけられました。犬は飼い犬で幸せか不幸せか。。。犬に聞いてみないとわかりませんが、以前病院の先生が、犬を飼う事はそもそも人間のエゴだとおっしゃっていた事を思い出しました。飼う以上はその動物の特性を理解し生涯をもって責任を持つ事と。その基本概念が人間のエゴにより崩れると、昨今の動物の悲劇に繋がる訳です。愛しているふりをした虐待、、、この言葉、今の人間社会にも同調する所は多いと私は感じます。どれが本当の愛し方か知らないから、ただかわいがってもそれは愛じゃない。。。親が子供を理解していない、飼い主が動物を理解していない、、知らないのに、こんなもの?といった自己流でもあります。その自己流も信念を通せばそれなりでしょうが、信念も無い、やはり虐待というものに近いのかも知れませんね。人も、物も、知識も、学問も、、、すべて、理解する事、知る事から始まるのです。それは勤勉欲だけではなく、好奇心も大事でしょう。この基本中の基本をしっかりすれば、もっとよくなると私は確信しています。
2763)国家公務員の採用枠にフリーターが導入される予定であるということを初めて知った訳ですが、、唖然。もちろん、見送られたようですが当然でしょう。一般的に見聞きしているフリーターは救済の余地なしと。自分の判断で自分の考えでフリーターをしている人に、救済はないです。諸事情でフリーターをせざるを得ない人にとっては迷惑な話。昨今、国家公務員の品格が疑われている中で、採用側がこのような判断をしていたら、、、まったく、どこを改革しているんだか、、といった感じでしょうか。 2762)俳優さんやスター、角界で活躍している人達を見ていて思うけれど、天才と言えどその経験に勝る物無し。味が違うというか、艶というか、その年月の重さはやはり若い人には叶わない物です。年齢はただ重ねるものではなくて、着実に積み上がっている時という宝物。その時々のいろいろが体から出る。経験は宝なり、よく言ったものです。一般人だって同じ事。目から鱗の悟り人は、一生懸命真っ黒になって働いていたおじいちゃん、おばあちゃんだった、、ってことはよくありますから。そのような人は謙虚だから自分からあえて表に出ないんですね、必要な人が必要な人の所へ出向く、、ネイティブアメリカンの偉大なシャーマンは表に出ないで、尋ねるものだと聞いた事がありますが。。。中途半端な人は自分を出したくて表に出るような、、昨今、そんな感じが強いです。私はこれこれこうなんだ、、と言わなくとも、偉大な人はわかるんですよね。わかる人には。そのわかる人が要でしょうか。それも経験。 2761)神社仏閣ご先祖様亡き両親神様方、、、私はお参りはします。けれど、いずれも拝み倒したり願掛けをしたことはありません。お参りする時は常にありがとうございます。この一言のみです。ご利益はあります。絶大に。なので余計にありがとうございます。何事も心が第一と。信心するも偶像の物に頼るのもいいでしょうが、、、私は私。 2760)教育再生委員会のメンバーが胸を張って推進しているバウチャー制度。どうも欧米のそれとは違っているようでもあります。私は教育再生の一環で先生を競争させ向上に向け、学校が競争によって生徒を確保し助成金を得るような図式はどうも、、、納得は行きません。なんでもかんでも競争でいいのかな?受験戦争も一つの競争で、その結果が今です。蹴落として、排除して的に聞こえるこの競争方式よりも、実を肥やす方が勤勉な日本人にはあっているかなと。ともあれ、今を見て皆さんがこれでは行けないと動き出したポジティブ姿勢ではあるけれど、、、紆余曲折、しばらくはつま付きながら進むのでしょうね、、その迷える組織の最大なる犠牲者である子供が翻弄しない様、支える大人も必要かなと。 2759)嫌いな者/物、苦手な物/者、、、それらを受け入れるという事は結果として自分の価値観での判断をしなくなるということでもあります。自分/自我というちっぽけな枠にこだわることなく、、、悟りの境地だと想っています。このサイトを立ち上げた頃は怖い物はないけれど、嫌いな物はあるといっていた私も、少しづつその枠も取り払われて来たような、、想っても執着しなくなったことが結果かも知れません。在るがまま。。よくこの言葉を使いますが、決して簡単なことではありません。自分勝手な事でもありません。その奥にある意味は果てしなく壮大で寛大なるものです。
2758)不思議なくらいに欲しいものがひょんなことで手に入る、、、嬉しいというかびっくりというか、そんな日々がここ数年、特に顕著に出ています。 “想う事叶うなり”私の座右の銘。46年間のたぶん80%はこの通りに来ていることへの幸せと、自分へ、これからもエールを送り、笑顔を大切に忍耐も心得て心優美を邁進したいです。我を通さなくともなるようになるのがこの宇宙の法則とでもいうのでしょうか。素直になる事と自分を理解する事の大切さも多く学びました。それができるようになると感謝という言葉の重みもさらに感じるわけですね。 2757)紅白歌合戦の話題が登るようになって、師走を感じる私です。子供の頃は年末の楽しみのひとつであった紅白歌合戦、歌謡番組を日頃禁止されていたけれど、この番組だけは家族で見ていたものです。それでもここ数年はちっともわからなくて、つまらなくて、、台所にいる時間が長くほとんど見ていない、というか、見る気にもなれない。今の世代の人は知っている歌が沢山あるようだけれど、、、やはり昭和の人間としては昔のこてこての歌謡曲が懐かしくもあります。ポップスでも80年代のディスクを聞くと、自然と体がリズムを取って入る、、その時代を謳歌したとも言える懐かしい思いで、歌や曲にはそんな思いもあるので好きですが。。紅白ももう少しなんとかならないのでしょうかね、、国民的、世界的歌番組なんでしょうに、、 2756)GPファイナル出場権をかけたNHK杯がはじまりました。浅田真央ちゃん、、身長も伸びてなかなかいままでのようなスタイルに定着できない模様、、昨年一斉を風靡したその波に乗った時にオリンピックで成功を収めさせてあげたかった選手。それが叶わなかったのは彼女の今後の新たなる壁でもあり、できるからこそ与えられた壁であるとも。ただ、人にはその時期に与えられたチャンスがあってそれをできなかったのは運命?追われる立場から追う立場なった少女の重圧は計り知れないけれど、彼女の観音様のようなお顔に癒しを感じる人は多いはず。試練をできるからこそ与えられたと受け止めて、弱音を吐かず、努力してほしいと思います。次期にくるチャンスをしっかりと手中に収められる様、、、
2755)防衛庁が防衛省になるというニュースを見て、日本の自衛隊の意味がわからなくなった私です。自衛隊、、、日本の平和と独立を守り、国の安全を保つことを主な任務とする防衛組織。と辞書にはありますが、公表された内容を見ると、この防衛省の本来の目的は国外の防衛援助、、災害であるでしょう、戦争であるでしょう、、ちょっと違うのではないのかな?自国を守れなくて他国は守れない、、今必要なのはそんなことではないようにも思いますが、、
2753)いじめ対応策で今度は加害者を教育するという、ある意味かなり形式的な内容が話されたようです。加害者を学校にくるなということや、加害者に罰則を与える事だけで、いじめが学校の中から消えるとは思えません。この問題はそんな単純な構図ではないと私は思っています。公になっているいじめの実態はほとんどが公立校であるという事。経済的ないわゆる差別も根底にあると。人間教育の再生はある一部分の人だけでは出来る訳も無い、、、いじめは加害者も被害者も平等に何らかの問題を抱えているのだから。。母子家庭、両親の不和、貧困、、、、学校は学校であるけれど、学校だけに任せる事は親の責任放棄。まずは心の教育は家からだと。親子のコミュニケーション、いたわり、思いやり、愛し方、愛され方、、すべての始まりは親であると思うのですが、、、 2752)思い込みは成長を止めます。このサイトでも何年も何回もこのことについて私は提唱しています。常に謙虚であれ。できると思った時点で、上り詰めたと思った時点で、実は今度は降りているという認識。学びは日々の繰り返し。自分はどれだけの者なのか、自信過剰はそれこそエゴ。本を読んだから、、それは知識にすぎず、知恵ではない、、人にとって大事なのは知識よりも知恵。身で体感する事と私は強く思います。ビジネスの世界で大成を納め、更なる飛躍を遂げている企業、会社、トップは常にハングリー精神旺盛であり、腰が低いです。どうだ!なんて横柄な人はそこそこの成功で終わりでしょう。人生も全く同じ事と。 2751)またも取れすぎ野菜の廃棄が始まっています。そのわりにスーパーの野菜の値段は変動がない、、捨てるくらいなら何とかできない物なのでしょうか?食べ物をせっかく育てた人にも実らせてもらった大地にも何だかちょっと後ろめたいです。世の中食べられない人だって大勢いるというけれど、わけられない物なのでしょうか?捨てるなら、、、と私はあまりの罰当たり行為に悶々としています。マグロの捕獲が制限され、マグロ大好き日本人にはなかなか口に入らない日もくるという、、、自然の恵みを好きという食べたいと言う欲がとり過ぎに走らせる。。必要な分だけでいいのですよね。食べ物は自然の恵み、大事にしたいです。食べられる事のありがたさ、この飽食時代に当たり前になっている悲しさ、お金を出せば欲が満たされるという悲しさ、、
2747)人生は楽あれば苦あり、苦あればこそ楽来たり。その裏に潜む涙と笑顔は縁の下の力持ちであり源となる。。。たった一度の人生、たった一人の為の与えられた人生。一人に一つだけ与えられる貴重な時間。そこに枝葉をつけ花を咲かせるのも、枯らすのも自分という責任。本当はどんな道を歩んでもしっかり花を咲かせることができるようになっていると私は思います。その花の大きさにこだわらなければ。。。小さな花でも感謝。大きな花なら分け与える。それが大事と思います。 2746)昔の大人はかっこ良くて憧れが強い人が多く、何よりも大人としての威厳が感じられて、子供とは一線の区別があった私です。今、この関係が崩れて、子供の方が威厳が大きく怖い存在、、、弱者を標的にしかできない腰抜けの強者。体ばかり大きくて、知識ばかり多くて、その中身はぺらぺらだからやることは動物以下。私は弱者や動物を虫けらの様に扱うこの子供達を野放しにはできないと、強く思います。どうすれば、必然的には大人が大人としての意識改革に目覚める事しかないでしょう。。そして、教育改革教育法の改善といっているけれど、何よりも、教育の根本を見直し、学校のすべき役割を再認識する事。学校は受験の予備校ではない、、集団生活やモラルを教える所、そしてまた、学校と家庭の連携の必要性ではないでしょうか?
2745)何故考え込むのでしょう、何故迷うのでしょう、何故否定するのでしょう。何かが起こったとき、誰でも最初に浮かぶ事があるはずなのに、そのことを無視して違う事を呼び起こす。。。動物は本能があります。人間は直感があります。鈍感な人等、本当はいないのです。鈍感にしているのは自身です。
2742)危険な場所での犬の捕獲劇を見て、心が何だか穏やかでなく、、この種のワンちゃんは保健所行きが通常なのに、手厚い保護、テレビでこれだけさわげば飼い主さんも見つかる事でしょう。なんてラッキーなワンちゃん。今、あっちこっちで野良生活をしているワンちゃん、猫ちゃん、人間に劇的に捕獲してもらってください。メディアの力は偉大です。あなた方の犬生猫生が変わるんですよ、、、って、これでいいの?動物愛護。メディアが騒がなくとも、本当の動物愛護の精神があれば野良はいなくなる、、保健所も捕獲した動物の告知をもっと広めたらいいのではないのでしょかね??かわいそう、、だけでは飼えないのが動物。 2741)内閣の駆け引き、だましのテクニック?郵政改革反対派に離党を強要し、これで変わったはずの自民党が、今度は参院選を見越しての復党問題にゆれています。ほとんどの議員さんは復党する見込み、、当然かな?とも思います。政策の違いであり、離党がおかしな判断だったのだから。それでも大元の自民党の考え方はちょっと???結局変われなかった自民党、頭をさげて、戻って、、とは言えない辛さ。政治はやはり党が要なんでしょうか?無所属では何も出来ないのでしょうか?そんなばかな、、と一般市民の私は思います。大きな政党も無所属も、国民が選んだ人なのだから、すべての議員さんにチャンスは合って然るべき。それが民主主義でもあるのでは?今の内閣では民主主義は成り立たないのだから、早く、民主主義にまず戻す、、それを願います。 2740)いろいろな人からメールやお手紙を頂戴して、一緒に考えながら互いに成長するのが自分でも楽しみです。文通のような感じにもなりますが、これがまた哀愁があって、最近は気に入っています。手紙の文字から状態も感じられて、暖かくなったり、寒くなったり、、、それでも最後は暖かな気持ちになるのが文字の力でしょうか。自分にとって必要な物は、望まなくともそのようになる。これは本来の宇宙のルールのようにも感じます。素直な心。飾らぬ心。謙虚な心。 2739)飼い犬のトレーニングを初めて約1ヶ月。犬のトレーニングというよりは、飼い主のトレーニングでもあります。犬がこれほど人の心を読み、感じている動物か、、と毎回驚かされている私です。人間のエゴを見透かして決してそのエゴを許さないのが犬です。犬のトレーニングと思って始めたこのレッスンは、実は私の精進かもしれないと、、思っているこのごろです。犬と私の信頼関係。ゆらぐ犬の気持ちに応えるには、まず自分の確固たる物を信じ、犬に安心を与える事。絆は一本。細いか細い絆よりも、太くでーんとしたもの。毎日、いろいろな事が人間の中でも起きているけれど、犬と接する事に寄って、簡単にクリアできる問題も多々あります。そこには言葉も概念も無く、純粋な心と愛情だけ。。。それだけでいいんです。シンプルイズベスト。
2737)時間を見つけては小さなお庭の手入れにいそしんでいます。花々の手入れ、植え替え、植木のせんて、、何週間越しかに完成した庭でお茶を飲んで、視界に入るものに幸せを感じます。青い空に白い雲が低く流れ、遠くに聞こえる小鳥の鳴き声。色とりどりの花々と植木が何だか私を含めて一つの曼荼羅に感じられた瞬間です。夏に植えたウコンが、今年随分なりました。乾燥後は主人の薬膳酒と変わりますが、自分で作った種酒はきっとおいしさも、いただく側も、感無量のことでしょう、、、
2735)人の振り見て我が振り直すとはよくいったものです。人の感情や行動を見て、え?と思う事も多々あります。それらに対して自分はどう感じ、どう思い、自分ならどうするか、、日々そんな繰り返しの中で、ある時は自分を反省し、ある時はそのようにならぬよう、ある時は決定的な決意をする私です。そんないろいろを主人と心行くまで話している時に得られる安心感を感じたとき、よし!今日もこれで大丈夫!と自分をほめてます。大事な事はいろいろ自分が感じた事を消化して、その過程も自分を否定せずにクリアできることでしょうか?
2733)ヒトラーの12日。という映画を見て、戦争という行為と人の心の変化を改めて痛感し、ヒトラーをとりまく人々のその後もはじめて知った、、、衝撃は強かったけれど、自国/ドイツでここまでの映画を作れる、その受け入れた寛容さと振り返りに、私は感動しました。今も米国人監督が硫黄島の戦いを描いた作品が公開されていますが、、、日本はやはり、、、受け入れて戦争という事実に向き合う事が必要であり、そのことが日本のトラウマなのかもしれない。いろいろな意味で。真実は美化する物ではなく、真実を伝えて人の心に刻む事。。。知らないではすまないという事を改めて痛感しました。
2730)子供には苦労をかけたくないという親の思いと、親には迷惑を心配をかけたくないという子供の思い。それぞれがコミュニケーションのうちに、互いにわかり合っている感情ならば美談です。けれど、互いの心の中で思っているだけで、接する時にはそんなそぶりを一つも見せない、、これが今の社会現象化している子供の心の崩壊と傷、親の心の崩壊と傷に相通じているのかなと。子供は子供らしく、親に心を開き預けられるそんな関係がいいと、私は思っています。昭和の時代、私が子供の頃は高度成長期で親は子供の教育に必死でした。その必死さは今の必死さとは違う物と、、、そこには食卓を囲む家族の延長の愛がしっかりありました。あっちゃん、、毎日何回声をかけられ話題に上ったでしょうか。私はです。だから今の私があることに、、、両親がいなくなって親のありがたさが日々募る一因です。親に感謝しようと思っても、心の底からそう思え、そう発せるにはそれなりの知恵もしかり。すべては原因があって結果がある。親子関係は太古の昔からある集団。そのある法則なような関係を崩すということは、やはり、大きな意味では社会をも国をも動かすような一大事であると。
2729)国連で拉致問題が採決されましたが、賛成票がかろうじてうわまったという結果に、棄権国/反対国の意識が私には余計に理解できません。拉致は国家犯罪であり、他国の人権を奪う犯罪と思わない国もこの地球上にたくさんあるという結果です。ましてや、脱北者がおおくいると見られる中国が反対というこの態度表明に、お腹の中が。。。わかります。国連で採決できたからといって決定的な手段になるわけではないけれど、どちら様もまだまだ自分の国だけがかわいい、、そんな風潮も見られます。日本でも何十年もかかってやっと拉致が先ほど認定された方や、まだ行方不明の方が多く、各国にも同様の事情が多数あるにも関わらず、たった一つの小さな国に対しても何も出来ないでいる事の方が、私にショックです。21世紀の文明の進んだこの世の中で、時代錯誤の行いがいつまでも認められるなんて、、まったくナンセンスです。目覚めよ!北朝鮮!目覚めよ!地球人!という思いで一杯です。
2725)世の中には考えられないような犯罪行為が当たり前の様に日々繰り返されています。こんな被害があるんだー、、と思っても、その巧妙な手口に人ごとではありません。犯罪というものが世の中から地球上からなくなってくれたらどんなに平和になるのだろう、、それには、平和ぼけにならぬよう、人間がそれだけの知恵を身につけないと、そんな平和は夢物語に終わるのでしょうね。平和や自由は気楽ではいられない、、、いろいろあっての平和であり自由。世の中から悪がなくなるように、目を肥やし、アンテナを磨き、事の本意をわかるよう、そして、欲を無くす事が一番でしょうか。
2723)史上空前の移籍額に空前の脱税額。この両極端な陰陽は人の明暗でもありました。あまりの高額に一般庶民の私には凄いとか、はーという感情すら湧きませんでした。けれど、人に対するお金の価値、、と言う点では、少々意に反するかな、、と。お金は仕事に対する評価であり代価。何事も高騰して行くこの相場に、お金の価値もこれまでか、、とも思っています。 2722)人の顔から表情から伺える心模様。離婚や破局して顔色が悪く暗くなっている人と、以前にまして奇麗になっている人。その過程での自分への信頼度が伺える一こまでもあります。
2721)人は昔から動物と共存してきました。そして、この地球上でもうまく共存できている国も沢山あります。
2716)秋の風景をカメラに収めるのには絶好な日が続いています。枯れ葉ではあるけれど、黄色や赤のなんと奇麗なコントラスト。絵の具をこぼしたかのような真っ青な青空に、太陽の日が木々にこぼれ、今年はいいショットがたくさん残せました。山を散策中に出会う野生のキジの群れに遭遇。2度目のことです。いつも人は辺りにいない、私がそこにいるのもおもしろい光景。足下をとられてころんで枯れ葉でガサガサ言っても逃げないのが不思議。まるまる太った、、、いいキジでした。また会える不思議な時間を楽しみに。 2715)意識のあるかぎり探究心は持ち続けたいものです。それこそ今よく言われるアンチエイジングでもあります。若々しくあるために、生き生き過ごす為に、、、好きな物、興味のある物には感心があるから知りたくなるはず。感心がなければ知らなくても問題ないのだから探求もしなくなる、、、けれど、興味を持ち、その先を知りたいという願望は大事にしたいです。願望があれば行動にでるのが普通であると、私は思っていますが、、、願望であり、執着でないもの。
2713)この地球上に今も現存している原住民/先住民と言われる人々。その今に至るまで、また、今も、厳しい生活を強いられています。どうしてこのような状況になってしまうのか、理解に苦しむけれど、、、彼らは住んでいる所も言語も思想も違うけれど、提唱している事は一つなんです。けれど、今大勢いる私たちはなんだかんだとかこつけて、何通りもの提唱がある。。。私はどれがいいという事は言いませんが、一貫してそれらをずーっと守り続けていることに敬意を評し、賛同する一人です。どうしてか。。それは今の世界で起きているいろいろにほとんどがあてはまり、見直す事が多いからです。新しい考え方もしかり、けれど、根底は温故知新の精神を私は取りたいです。アレルギーだとか、ストレスだとか、なるべきしてなった産物。
2711)太り過ぎを心配したり、せっせとダイエットにいそしんでいる国があれば、食料不足で栄養失調や病気が深刻化している国もあります。ちょうどバランスよく、、とは、なかなかいかないのも世の常でしょうか。そんな狭間で、では自分は今どうしたらいいのか。。これこそ食育と考えます。いい物を取り寄せ摂取していて、いいのは当たり前。でも、それはすべての人には不可能でしょう。私的食育はすべての人に可能な食材での食育。いいもの食べても、バランスに気をつけても、なんだかな。。という人も多いです。物にこだわるから物に飲まれてしまう、、そんな所でしょうか。物質は無くなります。無くならないものは心、料理では愛情一杯の手料理といった所でしょうか。何でも感謝しておいしくいただく。これが究極と考えます。
2709)日本の灯台守が姿を消し、灯台も自動化にすべて落ち着いたそうです。灯台守のお仕事は大変だとは思っていましたが、なんだか寂しい感じもします。子供の頃、母と一緒に見た昼メロにこの灯台守の歌とシーンが思い出されます。自動化は便利でいいのかもしれないけれど、人には人のいい所が沢山合って、、、器械に頼るのはどうも好ましくない、、私です。人の手が加わる暖かさ、家族の支え、守る辛さと喜び、そんな象徴だったような気がします。今の時代だからこそ、残しておきたかった職業なのかもしれない、、
2706)上を求めない、巧みを求めない、奇麗を求めない、、、猫もしゃくしも年を取る、功労があって年をとるのではない、何歳だからといって何も変わらない、、、京都の100歳のお坊さんの談。笑顔が優しく年齢を感じませんでした。求めるという欲、したいという欲、待っているという欲。欲は限りない、、、自分では欲はないと思っていても、まだあるだろうな、、けれど、そのことに執着はしないので、まだいいかな?
2702)自己管理ができないということは、時間の管理もできないばかりでなく、責任すら回避するようになる。。物事の決着を計る時に人は往々にして誰かを悪者にしたがるけれど、悪者は存在するけれど、その責任は自分にもあるという事の認識が必要と私は思っています。いじめにしても、被害者意識がつのり、では自分は?ということにも考えが行くのが道理と。先生を攻める前に、では親はどうしましたか?と私は言いたいです。義務教育だから何が合っても学校に行かせるという観念と、コミニュケーション不足を改めるのも管理の一つと私は捉えます。一日は24時間もあるんです。その時間のなかでの自分の置き場、それもストレス回避、寝不足解消になると。すべてにいえる自分への甘え、社会への甘え、どうしちゃったの?日本人。 2701)人は成長過程で自分の位置確認をしたがります。すべて始まりと終わりをつける、、入学があり卒業があり、次の段階へ入学し、、、生まれてからすべてにおいてこの方式で育って来た私たちです。私の頭にもそんな知識がしっかりとありました。けれど、そんな小さなわけのわからない執着を手放します。自分がどの位置にいても今どのレベルにいるのかも自分とそれに関わった人のみのランク付け。私は自分の道をあるがままいくだけ。だから、今のレベルよりも、その方向に向かう事に精進します。小さな枠を外すととても楽になった気分になります。私のいうあるがまま、、、それこそ、その究極の意図と思いました。人は知らないうちに沢山の固定観念や執着に縛られているのです。それらを一つ一つ取り去るのも、日々の経験という賜物と。死んだらどこへ行くのかもわからないのが真実でしょう?どこそこへ行くと決めていても、言われていても、それこそ観念でしかないのだから。だからこそ、先の事等いいのです。二十歳そこそこで人生に悔い無しと命を絶った人もいますが、人生はそんなに簡単な道場ではないと、私は思うのですが、、棺桶の蓋が閉まる時に、その言葉が言えれば最高にハッピーです。そうなる為の毎日でもある訳です。
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