ロゴ☆徒然なるままに☆Cyou

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2100)今回のキリ番のお題は、『与えられたもの』。与えられた物には物質面と精神面とありますが、なんといっても生きている間で与えられる大きな物は命でしょうか。命はある意味で物質であり、精神であると私は捉えます。この命を形にしたのが人体という考えです。はじめから人体を与えられているのでその物への愛着も当たり前となってしまっているけれど、そこが要でもあります。植物だったら、犬だったら、虫だったら、、お母さんのお腹で10月10日も大事に守られてこの世に誕生する人体。この体の中に生きる物が存在する事自体、ものすごく不思議で、神秘の世界とずーっと思い、その過程を大切にしています。そんな思いがあると、自ら命をたったり、命を粗末に考える行動を大変遺憾に思うのと同時に、この道徳感をもっと身にしみてほしいとも思います。
その与えられた命と一緒に、定めというか、試練というか、そんなものも一緒に添付されてきているのですね。この命にはこれだけのことは大丈夫、この命にはこうしようとか、、誰が定めたのか、、、これも不思議です。そんな添付されたものに対して、ちゃんと向き合わないでいると、そこで道が変わってしまうものです。できる人だから与えられているのであって、途中放棄する事も、投げ出す事もそれでは意味がなくなってしまうのと同じ。その与えられた添付をきっちりこなしたとき、本物の何かがぴかっとその人を照らし出す。。。私も含めて、多くのそのような経験者を見ていて、はっきりと実感しています。与えられたものに感謝して、そのことを土台にして、また誰かに、何かに、与えられればいい縁/輪となると私は思います。

与えられた。。というか、縁を授かったというか、、夫婦という相性。相性が良ければいいという訳でもないし、悪ければそれこそが試練かもしれないし、、試練を乗り越えれねば破局ともなる訳です。とっととわかれるのも与えられたことでもあり、忍耐の後につかんだ栄光も与えられたことでもあると、、、

 

2099)地球上で科学の力では解明できない物がまだまだたくさんあります。それでも、太古の昔はみんな不思議の世界を普通と思って暮らしていたのですよね。謎だ、不思議だ、と定義をつけるからそのことが執着の引き金となって、結果、その本質が見えそうで見えない。。。科学の力の歴史は浅い。その浅い力に多くの人は左右される。1+1=2でないことだって正しい事もあるとは思いませんか?そもそも正しいとか間違っているとか、、それもこれも人が作った事ですから。私は自分の感性を大事に、与えられたその感覚で動物的に自分らしく結果を見いだしたいです。わからないこと、、、ありません。知らない事はあるでしょうが。。。
人間の本質や体に関してもまだまだ未知の世界です。人間こそがまさに不思議体なのだから。。


2098)行きつけのスーパーは大型店舗。かなり遠くからも買い物客がくるので、週末は長蛇の列。そこへもってきて、決算大売り出し、、毎日食べる物でも決算大売り出しね、なんてのんきに構えて出かけてみれば、買い物10分、レジ待ち1時間。。。あまりの待ち時間に忙しい主婦は腹立ちが隠せず、皆様、眉間にしわを寄せている始末。清算したものを袋に入れる台では、ご主人達が同じような上着をきて、帽子をかぶって腕組みをしながら自分の奥様の到着を待っています。そんな光景を見て思わず笑ってしまった私に、前後の奥様にちらりとにらまれ。。。やっとの思いでかごのものを袋に入れていれば、とろとろ入れている私の両横ではがさごそ凄い勢いで袋へ投入し、備え付けのビニール袋が何メートルも勢いよく抜かれて行くその様に、自分の袋づめ所の騒ぎでないほど、、、大笑いの私でした。気がつけば、、自分では到底持ちきれないほどの買い物をした自分に、馬鹿だねー、、なんてへらへら笑ってしまいました。このままカートを押して帰ろうか、旦那様を呼び出そうか、、試食のパンを口に運びながら考えている、愚図な一日でした。私って、、自分で言うのもなんですが、両極端な面を持っている人です。


2097)情報社会の波に飲み込まれてしまうと、吸収が間に合わずただ焦るという悪循環にも陥ると思います。身の丈。誰にも許容範囲はあって、それで人を語る事も本来は無いはずです。人生もお勉強もスピードは問題ではありません。内容です。たくさんの知識で凝り固まっているかちんこちんな人たち。ある意味、偏った人生とも私は思います。柔軟な身体で平たく緩やかに。。。急がば回れ。うさぎと亀の人生。どちらを選んでもその人の自由。うさぎも亀もそれなりに今は幸せそうですから。


2096)念願の金メダルを手にした女子フィギュア。見てて奇麗な演技には誰の目にも癒しにもなり、その力がメダルへと結びつくのでしょうね。演技=表現力。まさにボディーランゲージと技術のぶつかり合いのスケート。言葉で思っている通り表現できる。。。最近の俳優さんにも少ない貴重な存在かと。会見でかいま見た心理の現れが、まさにぴったりと出た場面でもありました。できるのにできない、、、それはもう一つ重大な心の部分の働きにあると、私は実感します。多くのプレッシャーの中で今回のオリンピックを戦った多くの選手にエールを送ります。

2095)国会中継に映る議員の方々。皆様でーんとふんずりかえって椅子に腰掛けて、我こそが正しい!と言わんばかりの態度と発言。悪い事が露見しそうになると、ベールがかかり、発見者が窮地に追い込まれる絵に描いたような図式に、そろそろ国民は声を上げてもいいのではないでしょうか?どちらにしても、悪い事をしている人は何らかの形でしっぽを出す事になる、、それも自分から。そのようなもんです。この世の不思議。お金がらみの議題が多いのもなんだかな。。お願いだから、、今、何が一番大事で早期解決の必要があるのか、議員の皆様、心の目でしっかりと判断していただきたい物です。

国民の汗水流して働いて支払った税金の無駄な出費。これもそう?あれもそう?何の役に立っているの?そんな実態がでるわでるわ、、見ている方も、ばかばかしくなるほどの死にたい経営。どうですかね。すべての都道府県の会計監査に一般のベテラン主婦をおいてみては?いい仕事すると思うんですがね?節約の達人とか多いんですよ、、、正社員を減らして、主婦を入れれば、一石二鳥とは、主婦の考えでもありますが。。。
国会議員になる人は、、、純粋な心を持ち、かつ、心臓に毛がはえ、かつ、何があっても動じない、、こんな人でなくては勤まらないのでは????

拉致事件で初めて逮捕状が出たけれど、まー、、遅い、遅い、、もっと突っ込める時期は素人が見ても過去に何度もあったはず。すべてが政治がらみで蓋がされてしまう。政治の犠牲に国民が使われる事は大変ん遺憾です。国民があるから政治もあるのです。どうもその要が日本は間違っている。。。

2094)私のやりたい事は、、、着物の着付けのDVDの売り上げを上げる事ではなく、心優美の人材集めでもなく、しっかりと着物を身に着けられる人、心優美な人。。。一人一人確実に手渡しで輪を作って行く事。量よりも質重視。多くの人との縁を大事にこれからも和やかに輪を太くできたらいいなー、、と。私が今まで経験してきたいろいろを通して、自分なりにたどり着いたツール。『大切』というものを心から大切にしたいです。これらの原因に基づいて結果が得られるものですね。

 

2093)メールのうち過ぎで指が病気になり、大豆の取り過ぎでこれもまた病気になるという、、、何でもほどほどがいいのです。世の中の流れで、この食べ物が体にいいとかなんとか言っとりますが、日本人としての基本食をしっかりと底辺に置いて、プラスアルファーでいろいろ取って、主婦ならば普通に家事をして、夫なら普通に仕事して、休日には体を動かしたり娯楽をしたり。。なんら健康を害する事も無い。のではないですか?

いい事/悪い事。いい物/悪い物。奇麗な物/汚い物。。。。この陰陽の価値観の違いは千差万別です。なのでこのことについてなんら深く突っ込む気はありません。が。極端がつくとお話は別となります。すべてほどほど。がしかし、平凡が難しいように、このほどほども意外と難しい現状。これも精進の一つではないでしょうか。


2092)とある企業のトップの方の発言。『世界一の企業にこだわるが為に株に走った、、』そうですかねー。。私はこのような考えではまた二の前だと思いますが。収益は結果ですよ。世界一の企業になるにはやはり中身ではないですかね?中身がなかなかうまく行かないから粉飾するような結果となるのでは?


2091)生活習慣の違い、言葉の壁。そんな事は問題ない、、と言う人は多いけれど、精神的にはかなり深い部分で大きくなってしまうものでもあります。たとえば夫婦でも、元々は赤の他人。その生活習慣は全く同じであるわけがないのです。うまく行くか行かないかはお互いの意思の疎通。そのツールが言葉でもあると思うのです。その言葉もうまく伝わらなかったら、、、ある都市で起きた国際結婚の厳しさ故の事件。私の友人にも多くの国の人がいます。流暢に日本語は話しますが、根本の意味の捉え方が意外と噛み合ない事が多いです。他国の方々は辞書に忠実であり、日本人は辞書にこだわらない話し方の言葉を多く使っています。とても勤勉で、まじめで一生懸命な人が多いのも事実です。だからこそ、もっとその周りで支える事はできなかったのか?残念です。打ち解けるのも言葉、言葉の壁は侮れない物です。私たち日本人も全く同様。言葉は大事です。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、、この心理は永遠なのでしょうね。。。この感情がわかないように日頃からのコミニュケーション。もっと大事。

 

2090)日本のお祭りも知らない物が多いけれど、このところテレビ等で各地のお祭りの模様を見ていると、男性が中心のお祭りがほとんど、、そして、かなり荒手のお祭りが多い。福男とか?私は。。。神社で殺気立った男の人たちが一つの物を取り合う姿を見て、力優先の。。。なんだかあまり気分のいい感じは受けませんでした。権力の象徴を印象づける代々のお祭り。男の人は大変ね、、、このような男の人を男らしいと思う人もいれば、私の様に見る人もいるでしょう。お祭りは、その土地に感謝して、その土地に暮らすすべての人の心が和むもの、、そんな風にとらえるのは変ですか?


2089)目は口ほどに物を言う。。と言いますが、語調もそれにひけをとらずその人の意思が感じ取れます。トリノオリンピック最後の舞台/フィギュアスケート。選手のインタビューを聞いていて、三人三様の心粋が垣間見えた私です。目の強さと語調がアンバランスだと、やはり説得力に欠けるな、、なんて思いました。なぜ口は柔軟な動きができるのか、、自分の体にあるものはしっかりと使いたい。使えるのだから。

2088)都合のいい人にはならない。だから相手の都合も気にしない。運を天に任せる、、よく使われる言葉ですが、日頃の行動があってこそと思う私です。神仏を信じてもそれは偶像崇拝。信じるのは己の心。このことは以前にも何度もかきました。不動の考えです。最初は物に頼っても、いつかは離れないといつまでたっても同じ所で足踏み状態でいるだけではないですか?


2087)ずーっと信じていたいた人に裏切られた、ずーっといい人と思っていたのに実はいい人ではなかった、、と相手を恨んでみても後の祭りです。信じていたとき、いい人と思っていたときは幸せだったはずです。ならば相手の人を見抜けなかった自身に落ち度があるわけで、相手をどうのこうのいうのは筋が違うとは、私の考え方です。いい面悪い面。陰と陽。プラスとマイナス。すべてを受け入れる事がプラス思考の第一歩だと私は強く思い、実感しています。

 

2086)最近は出先でも和服姿の方を多く見かけて、和服大好きな私にとってうれしい事です。洋服と違ってどんな和服でも目を引くのは、その存在感の大きさにもあると密かに思っています。民族衣装でもある着物です。パーティー等へ出向いてもその存在感は健在で、シルクの持つ光沢と肌にまとわる密接感は、化学繊維のドレスとは味が違うんです。ドレスでもシルクの物は違うように、やはり天然素材の持ち味は同じ生きているという観点からも、波動があうのでしょう。生きている人間だから、合成の作り物よりも生きているものを、、住まいもコンクリートより木造の方がぬくもりを増し、食も自然の物の方が体にもいい。衣食住。すべて生きている物です。そんな発想をすると、日々の暮らしの中での間違い探し、結構面白いです。間違いというと語弊があるかもしれませんが、、発想の元を健康という事から切り離して、生きているということに向けると、また違った面も出てくるという訳です。発想とはほんとに多種多様、10人10色です。頭を柔軟にして発想を切り替えるのも、ストレスの解消法の一つと考えます。


2085)多くの事に敏感になるように、自分のアンテナをフルに活用するのはいいのだけれど、そのキャッチしたいちいちを気にしていたり、妄想的考えに走っては、、、いただけません。敏感になることはすべてに意識を向ける事でもあると同時に、振り分け作業も大事。自分という物の本質を理解していれば、多くの情報に振り回される事はないと確信しています。簡単に言えば、、人のうわさ話に頭をつっこむな!ということです。加えて、自意識過剰になりつつあるその意識の制御は、地に足をつけ、心を魂をしっかりと自分に納める事と思っています。

2084)自分に対しても他人に対しても肯定的な生き方をする。。。人に流されるのではなく、自分で流れをつかみその流れに乗る。

 

2083)どんなに完璧を望んでも、完璧にこなせるのは神業に近い事もあります。そんな事に労力を注いでエネルギーを消費して、体に負担をかけても元の木阿弥。ほどほど、手を抜く、、妥協は敗北ではないと私は思います。変わりようのない事実に、現実に翻弄される時間はもったいないと思いませんか?在るがまま。そんなときこそゆったりと流れに身を任せれば、知らぬうちに、ピカリと何かが光る物です。私の極楽的生き方の一つです。

2082)幸運とチャンスの違い。幸運は自分に向かってやってくるけれど、チャンスは自分で探しつかみ取るもの。ラッキー!なことが重なれば、その中でチャンスもたくさん転がっています。そのチャンスは時期であったり、物証であったり、、、いずれにせよ、ラッキー!と叫べるのも、チャンス!ととびつくのも自分の行い一つだと、思っています。一喜一憂していると、つかんだチャンスを逃す事にもなるもの。ラッキー!と叫んだならなお一層、腹を据えて、地に足をつけて、、、、

2081)知らぬが仏、、なんて言葉があるほど、知らない事がいいとされる時期もありますが、幸か不幸か知ってしまったら、その状況にこだわる事なく、けれど意識は向けて、気持ちを変える必要はあるのでは?現実を受け入れてその現実を恐れては幸に繋がらず、大きな器をもってどーんと構えるぐらいの意気込みも必要だと私は思います。


2080)随分久しぶりに渡辺貞夫氏のトランペットを聞いて、とてもいい感じを受けました。ジャズは人生を語るものでもある、、、50歳を過ぎると、いい感性がぱーっと花開くんでしょうね。若い方のジャズアーティストも素晴らしいけれど、年月を経た心が奏でる素晴らしさにはかなわないでしょう。ジャズとアフリカ民族音楽のコラボレーション。渡辺氏曰く、『20年、30年前ならできなかった。今だからできる。音楽を通じていろいろな文化を伝える事が使命と感じる、、、』そうだ、そうだとうなずきながら、いい時間を過ごしました。人は最初は自分のために何かを極めるけれど、その先、人のため、、と心に響いたときに、顔つきまでも変わるいいステップアップににると私は思います。私が始めている心優美も同じ事。最初は自分の癒し、今は多くの人が己を愛してくれる事を願うだけです。

 

2079)多くの情報の中での真実はたった一つ。その真実を虚偽にしてしまうことも現実には多々ある様です。あってはならぬ事だけれど、闇の世界と言う裏側があるのでしょうか?これも陰と陽。迷惑な陰と陽です。私はどんな世界があっても、真実の強みという物はあると確信しています。だからひるむことなく真実を貫けばいいのです。一時的な避難に負ける事はない、、虚偽は所詮作り物。悲しいかな、、この世は虚偽が多すぎます。だからいろいろつじつまが合わなくて、いろいろな所でいろいろな事が起こるのも納得です。

2078)神聖な物/人/場所に接するとき、どんな行動を取りますか?人に言われたからこうするの、、という心構えでは神聖な物/人/場所に接するにはあまりにも失礼と私は思っています。どうして神聖なのかということが自分で納得できたとき、はじめてその接する行動に現れる物です。その行動がたとえ仕来り通りではなくとも、気は心、、ということになるとも。また、多くの人が感じる神聖な物と、各人が感じる神聖な物もあるという事。
私がそのような事柄に接するときは、身だしなみにも気をつけることはもちろん、常に接している間中、心の中で手を合わせています。朝晩のお経を上げる仏壇でも、神棚でも、写経やその他、、、ぺこりとお辞儀をするようなことはやはりできません。ただ流れに乗ってやることと、気持ちを入れてやることでは、意味が全く別物で、内容も全く変わります。そしてその行動は日常のいろいろにも見え隠れ、、言葉だけで神聖な、、、なんてことはありえない。と私は言い切ります。

2077)知らない病気は多く、こんなにも多くの人が病んでいるのはどうしてなんだろう、、生まれながらにして重病を背負った子供や、不慮の事故に巻き込まれて人生を狂わせる人、、、それでもその方々は生きる喜びを見つけて病気と闘いながら、病気と共存し、笑顔を向けています。どうでしょうか。自分のおかれている環境と比べれば、遥かに自分たちの方が恵まれているのに、不平不満、愚痴のオンパレードで、自ら病気を招いてしまうなんて、、幸せってどういうことでしょうか?ぶつぶつ言えるのも幸せでしょう。そのような所から自分の価値観を少し変えてみると、明日がかわるような気がしますが、、人は何でも足りないぐらいの方が幸せなのかもしれません。頭も体も。それに近づこうと求める努力が生き生きとさせることもあるのでは?その求める物はエゴではない。。。

2076)I like me.I love me. だから I like you. I love you. これが私の今を生き笑顔の毎日の糧です。過去があるから現在があり、また未来もあるということ。過去に感謝してこそ現在がいき、それが未来につながるという考えです。明るい未来が欲しいなら、過去から愛しませんか。

2075)日本のもったいないはどこまで進むのでしょうか?関西空港/伊丹空港に続き神戸空港。神戸って、、、空港作るお金があったら、もっと震災者へ支援ができたのではないでしょうか?日本は空の便よりも電車がメインの狭い土地です。アメリカとは違うのです。静岡にも空港、、なんて話もありますが、いつまでもこのような発想しかできない人の脳のなかって、覗いてみたいぐらいです。確定申告も始まって、国民は税金を有意義に使ってもらうために納めているんですよね。必要性のないものへの後始末に貴重な税金を使われては、、たまりません。民があっての官です。官の方々、何かはき違えていませんか?


2074)人はいい事も悪い事もその自分の体で体験してこそ、喜びの実感があり、苦しみもわかるものです。その経験を過去形で終わらせては成長はないのでは?自分の経験した事、一つ一つ、すべて意味があるのですから、その経験を自分の前にいる同じような人の手引きになれば、そこで大きな智慧となる訳です。それができてこそはじめてクリアです。私はいつもそのように精進しています。すべて10年スパンです。10年、長いように聞こえる響きも、すぎてみればあっという間です。今、私は新たな10年スパンに向けて精進を始めました。


2073)外は雨で寒くとも、朝起きてから面白いほど立て続けにラッキー!が重なると、思わず笑みになる私です。先日、お年玉はがきで1等が2枚とか、1等から4等まで当てた主婦がいましたが、それに匹敵するほど、青天の霹靂。感謝。


2072)人に思いやりを持って接する事は、自分にも同じ事がおきます。思いやりは深い優しさから湧き出る物であり、誰に言われる物でもなく、心から、、ということになります。その思いやりの出し方も間違ってしまっては意味もなく、また、余計なお世話にもなります。相手を見て、心で見る必要性。時には冷たく突き放す事も思いやりになるという事。はき違えると迷子になるのではないでしょうか?

2071)知的障害者の少女にわいせつ行為をした教諭の裁判が無罪に終わった裁判に、後味の悪い思いをしているのは私だけでしょうか?日時の確証がないということを根拠に無罪になったこの裁判。被害者の現状をお分かりなのでしょうか?健常者でさえ、そのような時には頭が真っ白になるものです。ご家族が泣き寝入り、、と涙を流すその姿に、真理を判決する裁判で、真理が突き止められない裁判に憤りを覚えます。そもそも、男性の意識低下が強い風潮。男はオオカミなのよ、、なんて歌よりはるかに程度の低い男性が多くないでしょうか?この少女達が心の傷を癒して素晴らしい男性に巡り会える事を祈っています。

2070)嫁姑問題は永遠のテーマと言われていますが、永遠のテーマにしてしまっているのは人の感情そのものです。縁あって結ばれた人の親の事を、そこまで憎く思う気持ちが私には理解できません。親から生まれた子供です。遺伝子はしっかり受け継いでいます。自分の親の面倒は家族を犠牲にしてまでも面倒を見て、相手方の親の面倒は話す事すらできないでいる人が、聞けば結構いるのでびっくりです。私は古い考えの持ち主です。女性が嫁いで、姓が変わったとき、優先順位は変わるのです。親と名の付く人は一生に少なくとも4人はいる訳です。両家の親に対する感謝の気持ちがない人に、真の愛等わかるはずもなく、いつしか文句ばかりの人生になっている。。。私の周りを見渡しても、両家の親を大事にしている家族に没落はないという事実です。べったりしなくとも、付かず離れず、、、
ちまたで流行している、鬼嫁。言葉をなくします。いずれ、鬼嫁自身もその相手方の感情を受ける事になるのでは??マイナス因子のことばかりクローズアップされて、おもしろおかしく便乗していては、世の中、、、もっともっと楽しいですよ。家族は。

2069)連日紙面におどる記事に、親が子供をどうしたとか、子供が親をどうしたとか、、という事件があります。人の感情で、そのような感情がわく事を私は否定しません。けれど、していい事と、悪い事ってあります。そこまで追いつめられる過程には長い月日の積み重ねが必ずあるものです。とっさの行動でも、その積み重ねたエネルギーは真っ赤に燃え盛っているのです。抱え込む事の危険性。こんなことを考えたら恥ずかしいとか、世間に笑われるとか、どうして自分だけ、、その根底にある意識をオープンにして、信頼のおける人に話してみる。家族で無理なら第三者。信頼のおける人がいない、、それこそが一番の問題でもあります。上辺のおつきあいはだれにもできるものですが、腹を割ってはなせる人を見つけるのも、巡り会うのも日頃のコミュニケーションにつきます。
以前、引きこもりで病院のカウンセリングを受けた人と縁あってであいました。その方は病院でもらう薬も効かないほど自分のからに閉じこもってしまっていました。病院の先生は何万もの人を相手にしているので、その人につききりで見守る事は不可能です。また、人には合う方法、合わない方法いろいろあるのも現実です。心理面において、医者がすべてとは私は決して思いません。先生は先生。もう一つ、親身になってくれる人をそばに持つ事が大事です。そして、頼るのではなくて、一緒に始める、このスタンスがもっとも大事かと。名古屋を拠点に今やアメリカでも注目されている長田塾。私はこの方の指針が大好きです。子供が病んでいる事にも気づかぬほど、実は親も病んでいる、、、親が病んでいる事にも気づかぬほど、子供の心は離れている。。。

 

2068)誰もが求める自由。長い束縛から得た自由を手にしたとき、人はその開放感と喜びにわきます。けれど、その与えられた自由はゼロからのスタートでもある訳です。どのようにその得た自由を有意義に使うか、、、私は今その中にいます。このひと月、自分なりにいろいろ整理して気丈にいたけれど、ここへきてその束縛の大きかった事に改めて気づき、自由という肩にのしかかった膨大な時間に少々手こずっています。人生の指針はある、目標もある、夢もある、希望もある、、、けれど、まだ自分の心のどこかに束縛を求めている自分もいるのかもしれません。これが父の死後、私に与えられた課題でした。


2067)世論調査でバレンタインはもういらない記念日という結果が出たそうです。確かに。チョコレート業界の作った記念日に乗っている方も、、、子供ならともかく。。バラエティー的記念日は世論をあげてにぎわうけれど、もっと昔からの意味のある日本の行事を見直し、受け継ぐ事の方が今だからこそ、大切なのではないでしょうか?
作ったもの、、といえば憲法。男女平等を憲法でうたっていても、戦争の事を定義つけても、、結局は日本人の憲法ではないという事実を、忘れてはいけないような、、しっくりあわなくて当然の憲法であり、それにそって今までよくやってきたな、、との思いも強い。変革と訴えているけれど、途中部分を変えて行っても結局、土台でつまづく。戦後60年。そろそろ自国の憲法という物を次世代に作り上げてもいい頃ではないでしょうか??

2066)イラクであいつぐ欧米兵の暴力事件。戦地への逗留が長過ぎている気がします。人が人を平気で攻撃する状況を、自分たちで拡大しているのでは?誰がどう見ても、普通の神経ではいられない場所です。日本はいつまでいるのでしょうか?


2065)あるニュース番組で、素人の団体が戦没者の遺骨収集をしていることをしりました。沖縄のその地で、たった1時間で数人の遺骨が発見されていました。素人に見つけられて、なぜ、国は60年も何もしなかったのか。犠牲になった人たちのことを思うと、その番組を見ている間中、胸が騒ぎました。多くの人が暮らし、笑い、また癒しを求めて今都会から移り住む沖縄。その地で、まだまだ多くの人が供養されずに見つけ出されるのを待っているんです。その団体の人が語っていました。探してくれ探してくれといっても、何もしてくれないから自分達でやるしかないと。ほんとにこれでいいのでしょうか?60年です。戦争は国の責任です。後始末もできないようならな、やらない事です。今、私たちは新しいことにばかり目を向けているけれど、その事柄が順調には行かないですよね、それはきっと、このようなことが後回しになっているから、、ではないでしょうか?

2064)高知競馬場の競走馬、ホリエモンが引退の危機とか。一連の流れで仕方のない事なのでしょうか?お馬さんにはなんの責任もありません。競走馬は名前を変えられないそうです。この馬も、運命なのでしょうか?人間のホリエモンと違って、凛としてスマートな、とっても奇麗ないい目をしたお馬さんなのに、、、株であおりを受けた人は自分の責任だけれど、お馬さんは選ばれちゃったんだからな、、、

運命と言えば、、波乱含みのトリノオリンピック。いろいろを乗り越えてきた人が多く集まる中での分かれ道。そのいろいろがその人に力を与えてくれたか、くれなかったか、、そのいろいろを選択したのもそれぞれ。今回のオリンピックでは、スポーツを見るというよりも、人の生き方、考え方がより顕著に出ているような、、そんな見方になっている私です。転んでも、失敗しても、今のすべてが出せる選手。それが真の金メダリストかな、、とも思います。後悔は何事においてもマイナスでしかないのだから。


2063)人を外見で判断することは私的には本意ではないけれど、外見で瞬時に判断をしてしまうときがあります。
私の周りには幸か不幸か、健康食品や、サプリメントや、アロマ等等、、いろいろ扱う人が多いけれど、いくら進められてもおつきあいでも買いたくないときもあります。それはその人を見てしまうから。やはり、、、進める商品を売る以上、その方々も愛用しているとの事で、その効果はその方々を見ればわかってしまいます。たとえば、肌がきれいになるのよ、、といわれても、その方はひどい肌荒れだったりしたら、やはり購買意欲は失せる物です。人に何かを進めるのなら、まず己から。そして、いくらそのようにいい商品を扱っても奇麗になれない原因に気がつかないと、、心です。

私自身、着物の着付けの講釈をのべるには、それなりに自信はあります。なんといっても、一日着崩れなしですから。
人を癒すにはまずは自分が癒されてなくては施しようがないという私の結論です。ホリスティックな分野でのカウンセリング等をさせていただくにつれ、その思いは強くなります。相談に来た人と一緒にネガティブになっては始まりませんから。そのためにも常に、心優美。どんな立場であれ、精進は死ぬまで続く。。

2062)とある地域の市長さんが共働きの職員の給料の削減を打ち立てたけれど、ある一定の人を的にした大胆不敵な案。市の情勢が苦しいからか、、これはちょっと不当ではないかと思います。確かに、お役所つとめの方のお給料待遇はいいようで、ならば、全員の(国単位)給料待遇体制を見直すのが筋かと。ある程度の年齢に至っていて、地位のある人の考える事としては、いささかおろかな、、と私は思います。削減すべき点はたくさんあるのに、、中にいてはわからないのでしょうね。それほど麻痺している各地方自治体。そして、国。そこへ行くと、一家の主婦はしっかりしています。一度、主婦を体験されるといいのかもしれませんね。きっと毎月、赤字でしょうが、、、

2061)今まで何かしらの問題があったことや、苦手としていたこともあったのは事実。けれど、今はっきりと自分がそれらの壁をステップしてクリアできた事が、身を以て感じ、槍が降ろうが何が起きようか、自身の身に何が災いしようが、、まったく問題がなくなりました。こんなに簡単だったのね、、と思うほどの意識の変化に我ながら感心し、ピカピカに光った智慧の衣を新しくまといました。
私は10年日記を付けています。2−3行の短い文面ではありますが、昨年、一昨年、、と同時期の自分の心が比較でき、また反省したり感謝したり、これもいい教科書です。亡くなった父は朝の起床時間から就寝まで事細かやかに書き綴っていましたが、その結果、しわせな死という事になったものともそれらを読んでいて思いました。人と話す事も大事ではあるけれど、自分と話す事、もっと大事だと私は思います。

 

2060)身長170cm体重63kgの主人と身長152cm体重4?kgの私。20kg以上の段ボールを7個運ぶのに声もなかった主人と、ひょいと持ち上げてえっさえっさ鼻歌で運ぶ私。。。女は火事場の馬鹿力が顕著に出る??途中でやめようと文句たらたらの主人をおだてつつ、、今日も私の思い通りに片付けが済んで、ぬけるような青空の様に、気分爽快の私です。


2059)せっかく出場権を得たオリンピックで、戦わずして破れたジャンプの選手。この方は出国前からきわどい線にいた経緯から、やはりいくべきでなかった人なのかな?とも思います。選手としての一番の要の管理もできないということは、やはり意識の低下と私はとらえます。キャリアだけでは判断できない大事な点でもあるとともに、もう少し、気合いをいれて欲しかったな、、とも思います。個人競技であれ、国をしょってのオリンピックです。


2058)2月12日は母が亡くなって4年目の命日であり、父の49日でした。4年前の朝、母の死を確認した父が私たちの寝室へ入ってきて、『お母さんが死んじゃったんだよ』と呆然と立ち尽くしていたその姿が、脳裏に浮かびます。4年前、父と二人、呆然と立ち尽くしていたその日。今はその父もいない。たった4年の月日で私の生活環境はずいぶんと様変わりをしています。これが生きている事なんだな、、なんて思いもします。両親を見送って、たぶん、33回忌の法要までは私はしっかりと供養できるでしょう。そう考えると、主人の供養は3回忌まで持つのかな?後を見てくれる人がいない、子供なし夫婦の性でもあります。先日妹が、『こうなったら仕方ないから、お姉さんと太郎さんは私が見るよ、でもお金は残しておいてね、、』なんて言ってくれましたが、一人っ子でない事が唯一の救いでしょうか。その妹も2歳違い。それでもその気持ちが嬉しくて、ありがたい気持ちで一杯です。今は屁理屈一杯のちょっと怖い存在の妹ではあるけれど、見かけは10代のかわいいかわいい私の妹です。。。。こんなふうに妹をかわいいと思えるようになったのは、私が結婚してからの事。妹が生まれた頃はかなり焼きもちを焼いて、意地悪をした、、私です。

 

2057)誰もが自分にないものを求めて本を読んだり、友人を作ったり、、、誰もが同じ興味にある人とその価値観を共有し、相談しあったり、、そんないろいろが成長の過程にあって、また一つ、新しい考えが生まれたり、反省したり、、、とてもいい輪を作る事は精神衛生上極めて重要と心得ています。私自身もそんな数々の輪の中にあり、日々、反省と感謝と、学びです。

犬のしつけを初めて見て、飼い主と犬との関係という事を深く考えました。先生は犬と人間は別もの。けれど、我が家ではどうひっくりかえしても、その方程式にはならないというか、したくなかった。。。そんな葛藤を犬は多分敏感に察知しているので、いつまでもしつけが進まなかった、、そう結論を出しました。そんなとき、まさに、3匹チワワを飼っている友人からメールが入り、そのメールを読んでいて、その出した結論の意味がはっきりとし、犬は動物であり、我が家の家族であって、私は犬といられる幸せが一番、、犬にとっても幸せなんだなー、、と。しつけのできている犬は見ていて気持ちがいいけれど、一緒にいるには私が居心地のいい犬が一番であるわけです。この方程式、たぶん、日常のいろいろにも通じる事と思います。Mさん。ありがとう!私にとっての犬であり、他の人にとっての犬ではないということです。


2056)誰もが新しい事を始めるときには先々を心配し、躊躇することはあると思います。けれど、くよくよ心配してもエネルギーを無駄に使うだけ。やってみる、とにかく初めて見る。それが大事だと思います。うまく行くとか行かないとか、結果重視をしていては何事も意思を貫く事はできないと。結果を受けてそのことをどう自分で受け止めるか、それが何よりも成功とキーポイントと私はとらえます。
何もつまずく事なく頂点に達した人と、幾度もの紆余曲折を乗り越えて頂点に達した人では、同じ結果でも内容は格段、、、違います。苦は楽の種。何をして苦ととらえるか、、それもキーポイント。お金がないというのは、私的には苦ではない、、なぜなら、働けばいいこと。苦は単純明快ではないものと。


2055)トリノオリンピックが開幕されて、、、どのオリンピックも開幕のセレモニーは工夫とイマジネーションをかき立てる素晴らしい演出です。テーマを体動きで表現する、、、今回の人でジャンパーを演出したセレモニーが印象的で北朝鮮のマスゲームより感動した私です。人に勇気と感動を与えるオリンピク、参加できるだけでも素晴らしい事と私は思います。メダル獲得という事が最近は先攻していますが、こだわる事なく、本来の自身を出してほしいな、、と。


2054)いい意味で自分に自信を持つ事は、いろいろを受け止められることともなり、人をも信じる事ができると私は思います。そこには虚偽もなく、騙される事もなく、、、いつも清い心でいること。心優美。

 

2053)吸引機を使っているということで、保育園に入れてもらえなかった子供が、やっと保育園に行かれるようになったニュースに、安堵しています。そもそも、、裁判まで起こさなくては保育園に行かれないという社会の常識、病気の認識に大きな疑問が残ります。高齢化社会を迎える日本にとって、福祉や病気を持っている人に住みにくい社会であっては困ります。真の優しさと判断力の保持。


2052)大津での猿の被害。もう限界と市民達は猿の銃殺も視野に入れているという発言に、恒例の、、動物愛護団体のもっともなご意見。正論は誰もが愛護団体の意見に賛成ではあろうけれど、それではどうやって?ということがまた残ります。かつて、比叡山等は故意に猿を餌付けして観光目的にしてきたとか。。ならば、餌付けをした人が責任をとって、山に返す努力も必要かと。比叡山のお坊さんは私的にあまり印象よろしくなくて、これも修行と考えて市民の苦情に一役買うのも、宗教かなと私は思いますが。。。
自宅でペットとして飼っている動物以外に食べ物をあげる事の是非。かわいそうだから、かわいいから、、それは優しさでは決してないという事ですね。自然の生態系をこわしているのは、心もとない優しさにかけた人々にもあると私は思います。一宿一飯の恩義。動物は律儀ですから、、あげたら飼う、最後まで。

205))ヨーロッパ各地で起こっている暴動。宗教に対する差別と偏見の現れと。。。一つのことを取り上げておもしろおかしく新聞へ掲載する方もする方で、それらの人々の考えと人格が私には理解できません。言論の自由もあれば、宗教も自由です。

日本では宗教でここまで起こる問題のないほど、神や象徴的な物が分散しているけれど、一つの事/物/者にこれほど忠誠を誓えるほどの信仰心は凄いなー、、とも思います。その事が団結感をも生み、幸福感をも生むのだから、やはり信じる者は救われる、、ということでしょうか。

私はいいとこ取り宗教ですが、、しいて言えば、太郎教。(主人)なので、幸せ感でいっぱいです。

2050)我が家は静かです。穏やかに毎日が過ぎて行きます。毎朝聞いているクラッシックの音楽も今までとは全く別の意味合いの癒しになってきました。インターネットや、携帯電話の普及で、家の電話も今では滅多になりません。昨年まで、この電話の音に絶えずびくびくして、、、ナンバーディズプレーに出る《お父さん》の文字に深呼吸をして、笑顔を作ってから出ていたことが懐かしくも思います。そんなこんなで、悲しみよりも開放感がまだ先にきている私です。それでも、、もっと悲しんでくれよ、、といわんばかりに毎晩両親、親族一同で夢に出てきては、なんだかんだ言ってますが、、それでもみんな笑顔で楽しそうにしてくれていると、成仏できてるな、、とも。言われなくともその思いはしっかり胸の片隅に秘めています。両親、叔父、叔母、、頼れる人がみんないないのだから、、、一人。そう、私の頼れる人は主人です。一層仲良く、持ちつもたれつで行きます。親族がいなくなると、姉妹という関係が複雑になってきて、連絡もしなくなる。。。今までは父がまだいたからなんのかんの連絡していたけれど、、、こっちのほうがよほど悲しいです。あー、、、妹か。


2049)高齢化社会の影響か、いろいろな場所でシニア割引なるものが多くなっています。加えて、夫婦割引。夫婦割引は映画館で最近よく実施されていて、夫婦の内、どちらかが50歳以上であれば夫婦で2000円で見られるというお得な商品。我が家は夫婦割引で映画を楽しんでおります。あと数年もすれば加えてシニア割引。高齢化社会ではありますが、どんどんエンジョイして今までの疲れを吹っ飛ばして欲しいな、、なんて思います。


2048)このところ世間で話題を振りまいている数々。振りまいている側は自分が正しいと思って、進んできていましたが、そのことがやはり、ちょっと?と何かが感じたとき、ちょっと待った!と言わんばかりに、仕切り直しになっている実情に、なんと、わかりやすい教えだろうかと思ってみています。不正をすればはいここまでとつかまり、いい加減な判断で安全性を見誤れば輸入禁止、天皇家の意味までもが危ぶまれる皇室典範の見直し急展開に救いのご懐妊。ここまで単純明快なストーリーも珍しく、よほど間違った道だったのだな、、なんて見ています。

 

2047)二月八日は針供養の日。十数年来、この日には京都へ行ってお参りをしてきた私も、今年は喪中で控えました。昔からの行事やしきたりには人を思いやるいろいろが込められていて、とても素敵なことだと。日頃針仕事をしている方は針に感謝をし、何よりも、この日は女性の祝日と私は捉えています。また明日からの仕事に備えて、少しお休みをとるのもいいのかなと。

 

2046)越えるべき壁、、自分。ということは以前書いたかもしれません。自分を超えて自分を客観的に見てみれば、自分という確かなものも見えてくると。知識先攻で、知っていることがなまじ多く、自分がそれほどの人と錯覚しているというのは、大変複雑な問題でもあります。自分がどれだけの人であるかという事実に蓋をすることは、自分を否定しているのも同じこと。それさえも気づかないほど重傷な場合、何を言ってもはじまらないということでしょうか。知識が多いのは結構です。むしろ知らないよりはいいでしょうが、それがどれだけ自分の物になっているかが要です。本で読んで、人から聞いて、しっかりその気になって、、、その気になるのも大事ですが、夢見る夢子さんは夢の中でいいでしょう。現実を見ること。。。大事です。得た知識を知恵に変えるには体験です。時間がかかります。だから得た知恵はありがたい物なのです。何にも代え難い自身の宝だと、私は確信しています。


2045)フィギュアスケーターの安藤選手が“メダルにこだわらないで精一杯の演技をし、皆さんの印象に残るすべりを披露したい”と話していた言葉が印象的です。かつて、札幌オリンピックのときのジャネットリンさんの笑顔の滑りの浸透性が今の彼女の手本になっているとか。物事、結果を求めているときにはそれが執着となって壁になるときもあるものです。もちろん、その執着がバネになる人もいますが。。彼女の場合は前者のようですね。転んでもいいから、是非、4回転ジャンプを飛んでほしいと思います。その勇気がきっと糧になると私は思います。失敗を恐れては何もできず、また、失敗があっての成功でもある。。。やらないよりはやったほうがいい。そのチャンスに恵まれているのだから。4年に一度のオリンピッック。存分に自分のできるすべてを出してほしいと。またそのことは、彼女だけにとどまらず、私も含むすべての人に言えることと思います。


2044)そんなに急いでどこへ行く。。。というように、人生においても急いで結果が得られることと、ゆっくり休憩をとって結果が得られることとあるのでは?自分では大して疲労感を感じていなくとも、今までを振り返れば、たとえ昨日のこと、数ヶ月の間のこと、数年のこと、、、体は感じている以上に悲鳴を上げているということ。それが生身の体。ちっとも疲労感はない、、それでも体をいたわって、点検し、少しの休憩をとったらならば、そのまま突き進むよりも、はるかに気持ちよく発進できる。私も今、そのことを感じています。25年以上、疲労感はあまりないけれど、振り返れば、かなり精神を酷使していました。疲労感を感じないように瞑想したり、座禅をしたり、それもそのときを乗り越えるためのツールにすぎず。。。この先、健康で自分の道を進むためにもそのことを肝に命じ、ゆったりと行こうと改めて思っています。自身の体調を顧みず、早々にこの世を去っていった母を見ているのだから、なおさら。感性に敏感であるように、自身の体にも敏感になるように。

 

2043)私は今まで、奇跡という言葉が当てはまるような経験をたびたびしています。ここへきて、その奇跡は結果自分が起こしていることに気づきました。一生懸命に取り組み、生きること。奇跡は人生に一度ですか?そんなことはないと断言します。


2042)悪いことが起こるから最低な年、、なんていうのは、まだまだ修行が足りないのでは?どんなに悪いことが起こっても、今、そこにいられ、ぶつぶつなげく余裕がある、、悪いことは結果として悪いことになる場合と、未然にある程度のことで防いでくれることと、まあ、取り方はいろいろあると私は思います。なので、そこでがっくり落ち込んでいないで、これだけで済んで良かった、と思う意識が次の運を運んでくるものと私は思います。

2041)文鳥が中国語と英語を聞き分けることが、新たに発見されたそうです。なんだか今頃?と思う結果ですが、文鳥は小さな頭でもその経路は確かに立派だと私も思っています。以前25羽の文鳥と暮らし、鳥かごに人間が住んでいたようなオープンな生活でしたので、その行動や知恵は実感しています。中国語にはまってたときに、中国語と日本語で話しかけたことはありますが、どれも認識していたようでした。まー、、素人の私の日常ですから、きっと彼らは私の表情や声の波動で察知した程度とは思いますが、、しつけもしっかりできた文鳥でした。今、その何倍もある犬のしつけで苦戦しているのが、、、嘘の様です。
子供の頃から何かしら動物と一緒にいた私ですが、動物から学ぶことは結構多くて、情操教育にのせられた両親の気持ちがよくわかります。

2040)東京の日本橋の景観を保持するという地元の強い要望で、首都高走の見直しがされるとかしないとか、、地元の皆さんの気持ちはよくわかるけれど、国がらみになる予算。このような事態は余裕のあるときのものだと私は思うのですが、、今、国が多額の負債を抱え、なおかつ、その収支を国民の負担にさせるべく行動を目の当たりにしていて、今、この景観第一で国が本当に出すの???これもまたにっこり微笑む企業がいることですね。なんの利害もなく、使わなければならないところが筋と私は強く思います。


2039)いろいろな言葉が流行している中で、私的にわからないのが《萌えー》そして、あまり好感を持てないのが《待ち組》(造語)です。勝ち組とか負け組とか、この世のすべては競争社会ではないのです。この言葉だけが先攻すれば、人の心の大事な部分が欠如してしまうと、私は思います。

 

2038)この家に引っ越して1年が経ちました。この1年の間、とても多くのことに気づき、学び、縁を受け、そして最後に父の葬儀を出しての1年。大げさに言えば人生の一部分を凝縮したような1年でもありました。私の中では忘れられない1年でもあります。1年の間に何度部屋の模様替えをしたことか。。。おととい、やっと最終的に落ち着いた家。豪邸ではないけれど、私にとって居心地よく、人の多く集まってくるいい家となりました。夫婦と犬2匹、熱帯魚7匹。このメンバーでまたいい家を維持すべく精進、精進。


2037)念うところあって108球の大きな水晶を使ったネックレスを作っていただきました。そのネックレスを手に取ったときに、《宇宙》という言葉が脳裏をぐるぐるかけめぐり、どんどん光っていくその様を見て、久々に私のたてたアンテナの角度がぴったりあった、、気持ちよく制作していただいたKさんに心から感謝と、新しい石の出会いに感謝です。石が何かをしてくれる訳でもなく、石がお守りという訳でもない。ただ、自分の波動とぴったりあったとき、心の中の声を引き出してくれる、、そんな所でしょうか。肝心なことは、お札でも、石でも、持っていればいいというものではなくて、自分の意念と、意識と、智慧であると私は想っています。
獲得する喜びよりも、何かを解放して得る喜び。。。私はまさに今、その境地です。自然に逆らうことなく、流れにそってあるがままに生きることは、結局、自分の想う通りにもなることと私は想います。一つ役目の終わった石の次に新しい石との出会い。自分の意図することがそのまま。。。まさにその通り。想うこと叶うなり。。あるがまま。

 

2036)中近東ではイスラム教徒が暴動を起こしており、米国ではテロや軍事拡大をにらんだQDR...この宇宙いち奇麗な地球が荒れています。CNN等をみるにつけ、米国大統領が意気盛んに演説していて、みるたびに、この人はかなりエネルギー消費しているだろうな、、なんて思います。我が国のライオン総理とはある意味対照的な静と動。どちらがいいとはいえないけれど、、どの国も駆け引きをにらんだ友好関係。あっちこっちで熱くなっている地盤が、早く鎮火してくれることを祈るだけ。。


2035)もったいない!と流暢な日本語でアピールしている広告。もったいない!とはどのような場面で使うべき言葉なのかさえも、、、わからない人々。生きることすべてに関わるものに値するとは私の考え方でもあります。衣食住という大きなくくり。ことのほか目につくのは食べ物の価値。安全か安全でないかを問う前の問題でもあります。食べ物を粗末にするなと子供の頃から両親はじめ、いろいろな人からインプットされてきたものです。どんなものでも、口に入れて、生きる足しになる物は神聖なものと同等であると、私は思います。今、何の災害も経験していないけれど、不自由な生活を強いられるような事態になったとき、そのありがたさは多くの人に浸透するのでしょう。環境問題とかいろいろなテーマを掲げているこの時代。何事も経験するよりも普段の見直しから。食べ物を粗末にすることは、環境問題にも匹敵する物です。

 

2034)大人になりきれない大人と、子供のままの青年と、、、精神年齢と実年齢の格差はあるものの、これほどかけ離れた人達が多くなると、世の中の是非が狂ってしまうこともあります。そうかと思えば、中学の入試の発表を終えて、喜びの会見をする子供達の発言は大人顔負け。うーん。。。頭脳明晰で将来夢や希望に満ちあふれた子供の顔は光り輝いてとてもいいものですが、どうか、勉強と一緒に社会と心も学んでほしいと、切に思います。バランスよく。何事もバランス。

2033)成功の象徴かのように豪邸に豪遊に、、私利私欲に走る人のその人格形成に、お金に対する怖いまでもの執着を感じます。お金がなければ何もできない、、という根底の価値観。私が思うには、その自分の財を他人のために使ってみると、必ず、何らかの心の変化はあるものと思っています。欧米人の方々は比較的そのような傾向が強くでて、ごく自然にできるのです。福祉に取り組む姿勢にも現れています。私もまだまだそのようなことへは足下にも及ばないですが、少しでも何かできることが、自然にできるような人間に成長できるよう、これからの目標でもあり、指針でもあります。人に与えるものへは何ものも見返りを求めない。ありがとうのひとことすらも求めない。求めるからそれが業になる。。。仕事と奉仕の区別。これができないとさらにひどい業になる。。。と思い、感じます。

2032)節分に恵方巻きという巻きすしを食べるのが最近の常識とまでいわれるほどの浸透ぶり。今年は生まれて初めて巻きすしを作って見ました。意外と簡単に奇麗にできて、ここまでは上機嫌でしたが、いざ食べるとき、主人と南南東に向かってもくもくと食べるその姿。。。早食い競争ではないけれど、それに類似しているような、、滑稽であり、むなしさと、消化不良で、、もう来年はしないでしょう。やはり、縁起物とはいえ、私の発想にはこのような食べ方はなく、食事は会話を楽しみながら上機嫌でいただきたいものです。それが私には縁起がいいといたしましょう。

 

2031)謝るぐらいなら警察はいらない、、なんて良く言います。この所の地位の有る方々の心ない発言に、その立場の自覚の無さと、人格の低さと、ボキャブラリーの乏しさと、、、、まだまだその比喩は出てきますが、、言葉は大切。言葉はその人の心そのものです。だから大事なんです。同時に言葉を乗せる波動。はっきりとした口調と、大きな声。清々しい心でいい波動の言葉をたくさん使って頂けたら、見ている子供や大人への影響も上がると、、それは上に立つ人の心得とも私は思います。

2030)物事には早急に対処することと、時間をかけて行うことがあると思います。時間をかけて行うべき事を、早急に済ませてしまうと、有る意味、エゴであり、いい結果は得られないということは誰もが少なからずも思い当たることと。今、政局はその場面にまさに当たっているかのようです。皇室典範の改正は時代と共に、いずれ必要と私も思いますが、今行うべき事ではないというのは私の考え。報道だけを見ての判断ですが、ライオン総理の手柄を一つでも残そうと言うエゴがあまりにも見え見えに見えるのは、私だけでしょうか?改革はトントン拍子のように進むことも弾みとなるでしょうが、その真価もあります。そんなことに大事な税金使って討論するよりも、拉致の問題、年金の問題、天下りの問題、さっさとけりを付けていただきたいことは山ほど有るのに、、どれも影を薄くしていきます、、、それも政策の一つだとしたら、なんだかな、、なんて思います。

2029)自分に与えられた自由な時間の使い方。。。自分の指針でもある直感で行くことに決めました。肯定的にその直感に臨みます。それが本来の私であり、想うこと叶うなり、、でもあったことに改めて気づいた次第です。時空という空間の流れに逆らわず、直感で。節分を期にアンテナに磨きをかけて、高々と張り巡らそう。

2028)久々に大きな地震を昨夜経験し、動物の敏感さと自分の敏感さが同等であった一こまに、喜ぶべきか、悲しむべきか、、2匹いるチワワ。5歳になるチワワはベッドで寝ていましたが、8ヶ月のチワワは私とほぼ同時にどこからともなくよりあってテーブルの下にいました。思わず合った目が、しっかりね!といわんばかりの力強さに、腰が引けた私です。このベビーチワワ。目下しつけのやり直しの最中。何よりも頭が良すぎて先を読まれます。今、わが家のボスの座をめぐって私と一対一の勝負に出ていますが、、、人の子も子供の頃の躾が結局大人まで後を引く物。先生にもアドバイスを受けましたがこの3ヶ月が勝負かと。相手は言葉を使わない犬。心と、波動で信頼感をつかみ取ることが要ではあるけれど、なかなか人間のようにはいかない。。。これもお勉強。私にとってこの子を躾るということは、きっと大きな自信になることは間違いないです。頑張らずに心をオープンにして、アンテナの角度をちょっと変えましょうか、、、いつも私の横にいるかわいい顔をイメージして。躾という言葉をちょっとはずして、肩の力を抜いてみます。ベビーチワワのように。

2027)輪廻転生ということを少なからず感じ、信じています。魂、心は永遠と以前にも書いた記憶はまだ新しいですが。死後の世界は経験がないのでまったく未知の部分ではありますが、死ということは呼吸も臓器も全ての機能が停止する状態。今五感で色々感じたり、脳を働かせたり、ご飯を食べたり、、それはまさにこの世だけの体験。生きているからこそでもあるのです。その生きている間に過去世から受け継いだ行を一つ一つ消化して、少しでも軽くなって来世に受け継ぐか、この世で全て燃焼させてしまうか。そうやって人の体に宿した魂は受け継がれていく物と。。。自分に起こる様々な体験もそんな輪廻転生の一つと受けとめると、まじめにこの世での役割を果たそうか、、なんて思ったりもします。それぞれ生きていることにも、起こるいろいろにも意味がある、、、命は大切にしたいです。死んだら終わりです。人間としての価値はこの世だけ。自ら命を絶つ。。。死ぬ勇気があれば、乗り越えられます。来世の魂。荷物は軽い方がいいのでは?

 

2026)言葉を愛しましょう。自分の言葉を増やしましょう。自分の言葉に責任を持ちましょう。。。。必ず、人格が変わります。素晴らしい言葉のパワーを使わなくして生きていることは、もったいないことです。人間として与えられた一つ一つの部品やパーツ。ありがたく、感謝しながら使いこなせば、悪い言葉や、嘘、は使えなくなるはず。。。と思うのですが。。

 

2025)ど根性大根の大ちゃんが私たちに教えてくれたこと、、一つ、根性。一つ、欲は捨てろ!
根性は見てのとおり、どこでも生きようとすれば生き延びる、生きる力そのもの。欲は、水栽培でその後を送っていた大ちゃんが花の実を付けだして、その実が落ちてまた大根がなる、との多くの人の声に従って水栽培から土に戻したら、大ちゃんは元気を無くしてしまいました、、、、、一命をとりとめただけでもありがたい大ちゃんに、この上、健常大根のような過程を望むあさはかさ。。というわけです。

 

2024)今朝、父が電話をかけてきた夢を見ました。「もしもし、お父さんだけれど、今日は記念日だからね」父の笑顔と母の笑顔がはっきりと見えて、飛び起きた私です。何の記念日なんだろう???何となく、父は母に会えたんだなと、、少し安堵の気持ちでもあります。
同時に、、私は自由になったという現実を直視。自分に係わる障害がすべてなくなって、自由なんです。その与えられた自由という時空を自分らしく生きることが、この先の人生を左右することでもあるのです。晴れて待ちに待った自由な時空を手にした私は、その自由を持て余しています。壁がないというのはこのようなことなのか、、、以前はあれもやりたい、これもやりたい、、でも、今はできない、、なのに、それらに手を付けることがまだ出来ないでいます。大切な与えられた時間、しっかりと整理して自分らしく使えるよう、しばし、自分の心と対話が必要かも、、しれない。贅沢な悩み?確かに。。。

 

2023)一喜一憂している人は、判断を間違えます。その時の事象で突き進むことは良い面もありますが、一喜一憂して地に足がついていないので、結果として、先を見据えることが出来なくなるわけです。それを全国的にメディアで証明しているおじさんもいますが。。。

 

2022)自分が人に対する態度を変えれば、自分の人生も変わるとずーっと思っていますし、実感しています。仮に、イヤなことをされても、私はどんな些細な出逢い、その縁に感謝です。なぜなら、そのことを選んだのは自分だからです。結果、日々混沌とした気持ちもなく、良い気分で送れると言うわけです。これも、、、心優美。

 

2021)今時の若い方は人に怒られることに安心感を持つという、、ふーん、、私は随分しつけの厳しい両親の元に育った為、地震雷火事おやじ、、よりはおやじだけでしたが。。それほど怒られたし恐かったものです。そのかわり、人様から怒られることはまずありませんでしたが。

両親を煙たく思ったり、どうしてこんな親の元に生まれちゃったんだろうと、、どうしょうもない親の話は聞かないで、よそ様に怒られて気にかけてもらっているとか、愛情を受けているとか、それはやはり他人と言うことを肝に命じるべきで、どんな親でも自分の子を気にかけない親は居ないと言うことです。ただ、親も人の子、自分のいろいろで手一杯になっているときがあるのも実状です。それもこれも、元気な両親がいればこその感情です。私も両親の事では体を壊すほどいろいろありましたが、今、両親ともに居なくなってみると、そのありがたさと、愛が痛切に感じています。失ってみないとわからなかった愛でもあります。もちろん、生前も沢山の愛をもらってはいましたが、、、人の感情はそれだけ複雑なわけです。けれど、裏を返せばもっとも単純ということも気づきました。どうせ怒られるなら、喧嘩するのなら、両親が一番なのでは?

 

2020)成功を収めている企業人に必ず共通しているのは、「利他(りた)」の心をいつも内に秘めていることです。
「利他」の心とは、人を思いやる心。
自分だけの利益を考えるのではなく、自己犠牲を払ってでも相手に尽くそうという、人間として最も尊く美しい心です。
というお話をお寺の住職さんから伺いました。今、日本人に足りていない部分の一つと痛感しています。ざーっと見渡せば、そこそこ人のことを思いやっているような人が多く居そうに見える、、、だけ。本物の優しさ・愛情を知らない人だから逆に全く知らなかったり、気づかなかったり。。この時代を作り上げてしまった性でしょうか。子供の頃からのしつけとくくる中に、その要素は限りなくたくさん含まれると思っています。お勉強よりも、心の成長を先ずは手ほどきするのが順序かと。


2019)私の座右の銘、【想うこと叶うなり】これをもう一つ踏み込んで実を付けたいことがあります。私のこのあふれでているイマジネーションの世界を、自分で表現していくこと。着物で有ればそれはコーディネートになり、お化粧にいたってはメーキャップということになる、、、想像を表現する。絵?書?文字?お細工?私自身をどう表現するか。。。これから色々な場面で実践していきたいと想います。

 

2018)46年生きているということは有る意味で人生の半分きているようなもの。もしかしたら後半にさしかかっているかもしれません。若い頃を振り返ってみれば、その若さ故の愚かさと、素晴らしさが見事に調和していた私でもあります。そんな多くの経験は日々の生活の中での精進で、神職者にひけもおとらぬ修行の日々かと。色々な思いがあってお寺や修道院へ身を預ける人もいる中で、そのような状況になくとも同じ修行が出来ると言うことです。加えて、この日常の世界の中で、その限りをするということは、広い器の土台もでき、視野も広く、わりと偏りがないと、同じ様な経験者を見ていて思います。なので、この私の運命を授けて下さった事に大きな感謝の気持ちで溢れます。

学業は、見聞きをしながら自分で回答を出すという、いわゆる学習。すぐに経験の出来るものではあるけれど、人生は見聞きだけではとうてい学習することは難しく、体験が必須の科目であると。

 

2017)今週末旧暦のお正月を迎え、節分、春分の日と、私にとっての意識の中で新たな一年が始まります。それまでにいろいろが綺麗に解決されるのも、私にとって、はっきりと認識できた面白い年回りでもあります。世の中ごたごたしておりますが、私は私で、しっかりと軸をくずさずに今この時にいられることを、まずは感謝でしょうか。
一月一日からかなり脳を使ってきたようで、かなり敏感になっています。そして意識の中でも新年を迎えるにあたり、私はさらにヒートアップしています。ある一つのことに限りなく縁があるのを感じ、そのことにこれからどう係わり、どう自分が接していくのか、楽しみでもあります。ある一つのこと、、、いずれまた書くときもあるでしょうが、、、オープンな私ではありますが、体験しないことには書けないのも心情です。ただ、自分を客観的に見ていると、随分昔(生まれる前)に何をしていたのか、そしてそのことからいろいろとひもとける不思議。

2006年。自分探しの旅、第二弾とでもいいましょうか。加えて、心優美の充実。さらに、、、ホームページの作成、、、これはパソコン苦手の私にはかなり厳しいです。何はともあれ、Going My way !調和と共鳴の心を忘れずに。。。。

 

2016)今、まさに、占いブーム。それぞれのそれらに長けた方々が弁をふるい、それに集まる人の多さにびっくりしている次第です。いろいろな事件を通してもこの傾向は顕著にでていて、全てに言えることは自分に自信がなく、誰かに頼りたい、、その意識がかなり強いものと。信頼感の欠如と愛情不足、加えてコミュニケーション不足。自分に合った人を信じるのは結構ですが、その前に、自分がなければ結局は変われないのです。今のこの状況は有る意味宗教化していて、仏教やキリスト教、ヒンドゥー教、、、全く同じ事。信じる物が神や仏の代わりに占いをする人々になっただけ。信じるという一つのマインドコントロール、信じる人を間違えると自分もこけることをお忘れなく。その為にも、自分をよく熟知し、自分の考えをしっかり出せる人になることが必須かと。

 

2015)どんな些細なことまでも自分で責任を持って毎日を過ごしたいです。もちろん、生きることにも、食べることにも、消費することにも、交友関係にも、あらゆる投資に関しても。生きることに自己責任を持つと言うことは、近代医学が発達した中で、これほど難題もないでしょう。長寿大国日本ではありますが、最後まで自分という意識の中で送れることが望みでもあります。それもその時では遅いのだから、今からでも一生懸命に右脳左脳を駆使して、その限りに有りたいです。幸いにも私の両親は最後まで自己責任の意識の中に生きていました。が、そうでない人々も介護施設・病院の生活の中で、寿命だけが伸びている現実。どの生き方が幸せとは言い切れないけれど、私は、最後まで自己責任を持てる世界にいます。そうなるよう、日々精進。。心優美。

 

2014)私たちはこの大宇宙の中の地球という星に住んでいて、宇宙には形という固定した物がなく実体がない、、、と最近読んだ本の一節です。その本の中で、私たちが生きている物質的存在を現象として捉え、その現象は刻々と変化すると。面白いほど、昨今の日本で起きている特有の事象に当てはまり、まったくだ!と妙に感心している私です。実体のない物こそ空であるということ。その本質は私たちも空であるわけです。。。。この宇宙に住んでいるのだから。地球という枠を取り払ってしまうと、すべてがばかばかしいほど、、、微塵でもあります。その空を自身で感じるには、この本のタイトルでもある、「生きて死ぬ智恵」それにつきます。死と言うことを神聖に受けとめていると、その感じがわかるはずです。

この本を読んだおかげで、また一つ、確認作業が完了。これからも智恵をどんどん付けていきましょう。知識先行型で生きているよりも、遥かに生きている実感があり、何よりも自身が身近に感じ、自分の魂が掴めます。有る程度の年齢に達したらこの生き方を薦めます。

自分の言葉では、経験からほとんどのことをおかげさまで察知しています。願わくば、あっと驚くような、まったく未知の内容の本に出逢って見たい、、、けれど、たぶん、ないでしょう。なのでまたいつか確認作業で新しい本に巡り会えるのを楽しみにしています。難しい言葉や、しっかりとした言葉でも、自信の体験した感じとまったく変わりのないことに感謝です。

 

2013)父がなくなって一ヶ月。とても長い一ヶ月でした。まだまだ相続や法事が控えてて、しんみりできる間は有りませんが、そうですね、、悲しいというよりは寂しいです。毎朝お経を上げるとき、目の前にある父の笑顔の写真を見ると、後悔はないものの、あれもできた、もっとこうすればよかった、、、人間は欲張りですから、いろいろな思いも湧いてきます。それでも、父の死に顔や、死に至るいきさつを考慮すれば、それらも線香の煙とともに無くなります。昨日新しいお位牌が出来上がってきました。父と母の名を一体にしました。先立たれた父は母のことを思って3年間過ごしてきたのだから、これからはずーっと寄り添ってもらおうと思います。父の日記に入っていた母との結婚したときのモノクロ写真が、その父の思いを全て語ってくれました。私も主人に対して、ずーっとそのような気持ちでいられるように。。。ふと、生前の口癖を思い出しました。「家の婿さんたちはみんな優しいんだ、私も幸せだな」その婿さんという言葉に主人は随分抵抗して、抗議したこともあったっけ、、、入り婿のような生活でしたが、一応、私は嫁ぎましたから、、、

 

2012)今朝いつも身につけている水晶のネックレスが切れました。思い返せばこのネックレスは私と共に、いろいろを経験してきてくれました。ネックレスやブレスレットが切れることは、私の身代わりでもあり、また、一区切りという意味あいでもあると私は感じています。いいタイミングというか、このネックレスも、一つの目的のために私の元にきてくれたのだなー、、なんて、つくづく感じています。自身ではあまりまだ実感はありませんが、確実に、私の無意識の中ではその準備が進んでいるような、、素敵です。うれしい。感謝。色々な宝石の中でもことのほか相性のいい水晶とダイヤモンド。新たなスタートに備えて、またいい石と出会えるのを楽しみに。。。

 

2011)陰陽があるように、人にも陰陽は兼ね備わっていると思う私。良い面悪い面、長所欠点ともいいましょうか。良心もあれば毒もある。。。先日ブルーリボン賞を受賞した女優さんが、自分の中の毒を出した、、と話したいたのが印象的です。日常で毒ばかりの人であふれてはちょっと問題ですが、誰にもあるその部分を否定することは無いと言い切る私でもあります。すべてが自分であり、それは受け入れることでもある、、、

 

2010)ゴミ袋が有料化になるようです。買い物に出かける人はマイバックを持参する姿が増えるでしょう。ずいぶん昔、買い物かごを持って買い物に出かけていた姿が思い出されます。ごみ捨ても自宅前収集や、蓋つき大型バケツ出しが出てきています。そう考えると、以前も書きましたが、ほんとに最初に戻るんだナー、、と面白くも思います。進化を求め開発し、新しいものをどんどん取り入れてきた私たち。アナログ時代から世の中はデジタル時代になりますが、どうも、人間自体が一番遅れているようなそんな場面も多々あるのかと。私などもそうですが未だに、このパソコンには苦戦していますから、、、

 

2009)久々に日本の力士の優勝で終わった大相撲。横綱の怪我が要因の一つのようですが、、、私の見解ではコマーシャルなど芸能活動を頻繁にするスポーツ選手は、力つきている。。。何か一つのことに燃えている人は二足の草鞋は履かない方がいいのかなーと見ています。これはスポーツ選手だけではなく、全てのことに通じることで、二兎追う者は一兎も得ず、です。それをクリアにするにはどんな時でも気を緩めないことだと。とにもかくにも、横綱以外の日本の力士が優勝を飾ったことに、大変喜んでいる私です。

 

2008)人にとっての衣食住。これは大事な三大要素。とりわけ、家はとても大事です。全ての発信基地でもあり、癒しの場でもあり、自分をすべて出せる場でもあるわけです。どんな空間にいれば居心地が良くなるかでその場も変わります。場は空気でもあるわけで、その空気が良い空気で有れば必然的に体も満たされるわけです。どこそこの家に行くととても落ちつくとか、どこそこの家は二度と行きたくないとか、、人は誰でも肌で感じることが自然にできているんですね。いい家を造ると言うことは、大きな家でもなければ、飾りたてた家でもない、、いい家は暖かく心をなごませてくれる家であると、私はかねがね言い続けています。暖かい家には笑顔があふれて、その家にすんでいる人の笑顔パワーで、その場もいい流れに成ると言うことです。言い流れになると、風水などで見なくとも、自然にいいようになっているものです。それが人のパワーでもあります。そのもって生まれた人のパワーを最大限常に使えるようにすることは、、、心優美でもあるわけです。天気のいい日には太陽をたっぷり浴びて、大地を踏みしめて自然を感じ、、、それだけでも運気なんていうものは上がる物と、私は思います。

コンクリートジャングルに住む都会人たちは自然から遠ざかると共に、体に必要な物をどんどん取れ無くもなっています。太陽の下で遊ぶ子供が減り、日のあたらない室内で一日勉強したり、ゲームをしたり、、アレルギー体質を増やしているのは自身でもあると。花粉症の原因をその木々だけに押しつけて、伐採などしても、、とも思うのです。

 

2007)何をやっても上手く事が運び、あー、なんて自分は恵まれているんだろう、と思う時と、何をやっても上手く行かず、あー、なんて私は不幸なんだろう、ついてない、と思うとき、人生の中で誰も経験していることではあります。結果をみると、この対極ともいえる事象は同じ様な体験と言うこと。どちらにしても大事なことはしっかりと地に足を付けて、浮き沈みを傍観する大きな気持ちが大事かと。良いことも有れば、悪いこともあります。全ての人がいい人でもないのです。その現実を操作できる(自分の心の平和のために)のも自分の意識と意念です。

 

2006)ここ数日株問題で大騒ぎをしていて、耐震偽造がちょっと影を薄めています。たたけば結果が出るものに関してのこの異常な報道に、耐震偽造の行く手を阻む政治家の陰謀???なんてことも思ってしまう程。投資家の皆様には大変な問題かも知れませんが、投資ですから、、耐震偽造は人命もかかっていること、さらなる被害拡大を防ぐ為にもこちらをクローズアップさせていただきたいものです。

 

2005)米国の牛肉がまた輸入禁止になった、、わずか一ヶ月で裏切られたわけです。双方の認識の違いと価値観の違い、これは大きなものがあると思っています。米国ではあまりBSEを気にしていないようだし、、認識は学び知ればクリアになる事だけれど、価値観は生まれながらのいろいろが関わるので、なかなかクリアになることはないのかと。この問題は命や健康に関わる事だけに、大陸並みのおおらかな考えではやはりちょっと困るかなと。30年先50年先の発病をどう捕らえるか、その価値観の違いです。私は市場に出ているものは自己判断を優先します。自分が怪しいと思ったものには手をつけない。なので誰も恨む事も怒る事もないわけです、牛肉は米国の物はここ2年近く食べていません。

 

2004)お金はこの世でだけの価値。心/魂は永遠の価値です。私は今年も声を大にして言い続けます。お金じゃないよ、心だよ!1億積まれてあげますと言われても私は断ります。私の周りの数人の人がお金の使い道がわからない、、などと半分自慢げによく話すのですが、身の丈以上のものを持つと、とかくこのようになるようです。それならば、過疎の国や自治体に寄付等をして学校や施設の建設、アフリカ等へ医療支援でもすれば?と言えば、そうねー、、と浮かぬ顔。所詮、自分のお金意識。私利私欲でしかないと。お金をもってあの世には行けませんが、この世で人の為に業を積めば、自分に帰ってくるものですよ。

 

2003)難題が目の前に広がった時、悩む事無く、考える事無く穏やかにその時空を通過する為には、その事を正面から受け入れればいい。じたばたしても同じ事。避ける事をしないで受け入れる事を覚え、体に体得することは、生きる上でもっとも快適となることであると、私の経験から、、、それが簡単にできない、、とよく耳にします。簡単にできない困難な事とはじめからくくっているからでは?修行不足でもなんでもないのです。悩み考え、ネガティブな思考はどんどん足を引っ張ると言う簡単な図式です。その図式に逆らえばいいのです。問題がでてきたら、そうなんだ、、と内容を把握してあとはなるようになる、そのことに執着しない事。簡単に言えば、それが受け入れる事と私は思います。一日24時間、何年もすれば何百、何千、何万時間にもなるのです。もったいないでしょう?

 

2002)トリノオリンピックの話題が多くなってきました。同時に、パラリンピックも開催されるという事の認識がどうも低いのが残念です。施設は同じでも設備は健常者とは比べ物にならぬほど。同じオリンピックです。ただ体が不自由なだけです。健康な人でも選抜に熱い戦いがあるほどのオリンピックに、体が不自由な人が挑むこの勇気と希望にもっと熱い注目を向けていただければと、切に願います。
オリンピックの競技は見ていてこちらも力が入るほど、影響力は大きいと私は感じています。出来ない事を出来る人への憧れと勇気。私はパラリンピックを見るたびに、泣き言を言わなくなります。それだけ強さもくれるパラリンピックです。リストバンドをはめているだけではなく、心からの理解を必要とするこの社会であると思います。


2001)とかく頭のいい人(学業)のやることは、理屈屋さんだけあって数学的。ことに30代40代のヒヨッコ実業家には知恵がないので政治家ほどずる賢くもないなー、、なんて見ています。青年実業家を軽んじているわけではないけれど、世の中そんなに甘くもなく、ここは日本。日本の土壌を知らなければ底をつくこともある。。。高学歴社会の産んだ落し子とは、働くとは、、今一度胸に手を当てて考えてたいものです。
東証の対応で、、、一応経済大国日本の中枢もこれしきの取引もできない、、おまけに、株はまとめて買って欲しい、、、なんだか、一気に崩れ落ちて行く経済界が浮き彫りになったようです。経団連はじめのんきに会見開いている場合ではないでしょう。足下を救われないよう、しっかり柔軟な頭で知恵をしぼっていただきたいです。日本人には日本人のやり方があり、欧米をまねても本質は違うもの。全てにおいて言える事と私は思っています。その風土にあったものは、衣食住含め全てに当てはまる事。それが地球上に数多くいる人類の違いにも通じるものではないでしょうか?体質も思考も行動も、、、それを変えて行こうとするならばそれなりの教育と価値観の植え付けも必要と、、、
改革者。。。一つの事にしか長けていない人に、改革ができるわけもないという私の考えです。

 

 

 

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